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労働衛生コンサルタント保健衛生受験体験記〜OSAKAの笑顔〜

仕事が楽しくないのは自分のせい、悔しい思いから労コンに受験した。

5年ほど前に産業医としてスタートを切った(切る前も割と結構大変だった)が、新鮮なのは最初だけで、すぐに飽きた。いまのその事業所で働いている社員も産業医もいるはずで、何も知らない産業医を受け入れてくれたことに感謝しているが、そういった経験を「飽きた」と表現することに対して不快感を示す方もいると思う、先にお詫びしたい。

ただ、わたしは期待されていなくて、訪問日に人は集まらず、講話の資料だけが机の寂しく置かれていたこともあった。

その飽きたという気持ちは自分の未熟さへの防衛であることは薄々気が付いていたが、そんな時に発見したのは当時のTwitterで、Twitterには先人偉人がゴロゴロいる怖い世界である。そしてみんなことごとく労コン合格体験記を書いてる。

わたしは「これだ」と思った。

俺だってマイクを掴みたい!貪るようにnote やフォロワーをみたが行動に移せるのはそれから4年経過する。そんな承認欲求を見透かされてか、神田橋先生に相談に乗ってもらえる機会があり、やる気に火がついたが、怠惰な性格もあり、本格的に勉強を始めたのが試験の2週間前である。1月17日が試験日であったが、年越しの当直を終えてからの正月の深夜のマクドナルドから勉強をはじめることをツイートした。

勉強方法はシンプルで
①労働衛生コンサルタント(保健衛生)口述試験受験講習会「労働衛生のポイント」
②労働衛生コンサルタント問題集 口述試験対策 2023年新傾向対応 岩見 謙太朗 (著)
③労働衛生のしおり

①を暗記するために②と③を活用した。

話はまた戻り飽きた事業所に対して今なら
・労働災害労災計画
・熱中症予防
・騒音対策
・腰痛予防
・転倒予防
・助成金利用
・両立支援
などが色々と頭に思い浮かぶ、当時の自分には何も知らなかった。きっとそういった未熟な産業医であることを事業者も仲介業者も、何よりも自分自身もわかっていた。ただただ事実に悔しく悔しくて仕方がなかった。今、もう一度その事業所で働くと楽しいかどうかはわからないし、当然まだまだ産業医としては未熟である。

2012年からTwitterをやっているわたしは、産業医学講習会を受講すると筆記試験は免除となり、口述試験の合格だけで資格を手にすることができることを早くから知っていた。もし試験が免除になれば、口述試験は、東京と大阪に開催されるが、大阪の方が2週間ほど日程が早い。全く同じ資格なのに開催日が統一されない資格が不思議で仕方なかった。時間的には東京が有利に決まっている、逆にいうと、多少の調整があると確信していた。

以下の理由で大阪を選んだ
・試験を早く終わらせたい
・問題の難易度としては、東京より大阪の方が易しいはず
・大阪の方がスケジュールがつきやすい

スケジュールは、指定された時間に10分間の面談をするのであるが、受験日と受験時間が決定するのが12月中旬なのである。東京は受験者が多いことが想定されているのか、3日間の設定がされている。スケジュールのしやすさで言えば、大阪である。

わたしは奇跡の筆記試験免除組である。倍率が10倍も超えると言われている産業医学講習会(2023年07月15日(土)~2023年07月17日)が当選したからだ。一説によると医師会に所属していることが有利に働くという根拠のない話をTwitterで耳にした。わたしが医師会に入っているかいないかについては個人情報なので伏せておきたい。もしくは「産業医としてたくさん仕事をさせてもらっております!ですがこのままではダメだと思い、勉強のため今回の会を申し込みさせていただきました!今後は、労働衛生コンサルタント取得し、企業の衛生水準向上に努めたいと思います!大変人気な講習会と聞いておりますが、勉強をさせていただきたいので是非ともよろしくお願いします!」こういった文章を申請時の備考欄に記載したから、当選することができたのかもしれない。
ありがとう医師会。

大阪の方が質問内容が平易であるということを信じてやまなかった私は、わざわざ遠方の大阪会場を選んだわけで、大阪の人情味が好きであった。言葉はちょっと乱暴だけど本質的に優しい、それが大阪だと(個人の意見)。

実務経験なしで試験に挑む方もいるが、私は、もしかすると実務経験は多かったかもしれない。

アルバイト感覚で産業医をやっていたのに、徐々に訪問する会社が増え始め、実力不足を知っているから、なんとなく契約の数を少なめに言っていた。罪滅ぼしとして始めた学習は、苦しく辛いものであった。こんなことも知らなかった、あんなことも知らなかった、それなのに金をもらっていた。あの時の意見は合っていたろうか?会社から離れていった人やいろんな人の顔が思い浮かびながら1月17日大阪会場に臨んだ。

予定よりも2時間会場についてしまい、そこは遅れない怒らないが強みであるので当然である。待機室で勉強していたが、待機室だと受験者がどんどん呼ばれるのは当日こない人がいるため。ひたすら直前まで勉強していたが一定の間隔で呼ばれても「誰も反応しない」ことがあり、申請はしたけれどキャンセルをした人である。口述試験の合格率は4割とも言われているが、当日来ない人が散見された。コロナになっちゃったのかな、仕事が忙しかったのかな、プライベートで何かあったのかな、勉強が足りなかったかな、宝くじが当たったのかな、いろんなことを考えているうちに自分の予定時間よりも30分早く係の人に呼ばれた。少しでも知識を入れておきたいわたしは、女々しくこれを辞退して、設定通りの時間で面接室に入った。

面接官は3人の口述試験とは聞いていたが、面接室に入った瞬間圧倒的な雰囲気であった。

「保健衛生〇〇番〇〇と申します」ゴングが鳴る。

50代が1人で70代2名の面接官。高齢の方がいかにも元教授職、どこかの学会現役理事の雰囲気が漂っており、JAPANを代表する産業医のオーラだ。

まず業務歴や経験をサラリと聞かれた。

未来「〇〇会社で働いています。」

教授「それは事務系ですか?有害業務がありますか?」

未来「じ、事務系です。有害業務はありません。」

オフィス系産業医であることが想像され、場にピンとした空気が張り詰めた。

その後にすぐに試験範囲の質問になるが、まずは一番若い面接官(50代)が、感じ良く初歩的な質問をしてくる。

ふふふ、いくらなんでも私でもこれくらいは答えられますとといった余裕はなくひたすらに緊張からか、吃る。救急車を呼びたい時に109を忘れてしまう現象、頭の中が火事ですか救急ですか。

その後、初歩的な質問ターンが終わり、面接官が変わるといきなり厳しい口調で、有害業務の質問に移る。その圧倒的なオーラで記憶が全て飛んでしまい、迂遠な回答をする私に、「簡潔に述べてください」という檄が飛び、「終わった」と思いながらも質問に答え続けていた。

「これはえっと〜確か〜、特殊健診の期間としては、○年だったかな〜」、鈍麻に答えている時に一番若い面接官が、にっこり笑っているように見えて、「○年です!」と答えた。

あの隣りにいた若い面接官の笑顔がOSAKAである。

労働衛生コンサルタント保健衛生口述試験、全体の印象としては、6割くらいの質問には答えられた。

有識者は、面接官の質問には「簡潔に答えよ」「わからない時はわからないと言え」と言っていた。

私はわからなくても食い下がって、自分なりに考えて返答をしていた。

労災が起きた時の事業者の責任
労働衛生管理3管理
許容濃度
管理濃度
リスクの見積方法
労働安全衛生マネジメンントシステム
健康診断を行わないといけない理由
定期健康診断に生活習慣病の検査があるのはなぜか
ストレスチェックの実施の流れ
研磨作業における健康防止策
じん肺健診の頻度
溶接ヒュームの健康障害、健康防止策
プッシュプル換気
振動作業内容、健康母障害防止策
酸欠が起こしやすい場所や作業所
酸欠防止対策

今回残念だった人も来年挑戦してほしい。受験経過で多くの人に励まされて、今振り返ると勉強は楽しかった。

これからも成長できる機会を持ち続けていきたい。

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