【掌編】ATM先生

 それは部屋の片づけをしていた時のこと。クローゼットの奥底にあった透明なケースをひっくり返すと、やけに大きな本が落ちてきた。高校の時の卒業アルバムだ。こんなところにあったのか。もう何年前になるんだ?そんな問いに答えるよりも先に、手が勝手にページをめくっていた。ああ、懐かしい。
 散らかった部屋の端っこで一人思い出に浸っているまま、最後のページまでたどり着いた。そこには友達とか先生とかから貰った寄せ書きがたくさんあった。それぞれの文字から声が聞こえてくるような感じがして、つい泣きそうになってしまう。
 見開きのページの左下、やけに細々とした字で書かれた文字に目が留まった。誰からだろう。文章の最後には、「ATM」という三文字。あ、これはあれだ。ATM先生だ。あー、あの先生だ。髪の毛がいつもセンター分けだったあの先生だ。顔は浮かんでくるけれど、声は聞こえてこない。そもそもなんの先生だっけな。別に部活の顧問だったわけじゃないよな。なんかの授業をしていたんだろうけど。なんだったかな。数学じゃないし、英語でも無いよな。多分あれだ、物理か化学か日本史だな。それにしても、どうして仲良くなったんだっけな。ってか、ATMってなんの略だったかな。別にお金を恵んでくれたわけではなかったはずだし。三文字ってことはイニシャルの可能性も薄いよな。ってことは苗字か?あるいは名前か?でも先生の一人称が名前なのはちょっとなー。ATMになり得る苗字ってなんだ?Aが「あ」なのは固定だろ?……「あとむ」?いやいや、あのセンター分けの先生が十万馬力なわけがないよな。……「あたみ」?いやいやいや、あのセンター分けの先生が有名観光地なわけがないよな。さては、苗字じゃないな?じゃあなんだ、Aだけが苗字で、TMが名前、みたいな可能性を考えるか?Aから始まる苗字だろ?「あんどう」「あだち」「あさい」「あいざわ」「あおやま」……だめだ、候補が多すぎる。きりがないや。ってか、そもそも先生だったっけ。もしかして、学校帰りに中原達と一緒に通ってた塾のチューターの先生か?いや、違う。その人は右ページのOKB先生だもんな。ATMって何者なんだ……。まさか、架空の存在か?知らない間に寄せ書きに適当なメッセージを書いてくる妖怪、ATMなのか?……ってそんなわけない。今の私はどうかしている。ATM先生が架空の存在なわけないじゃないか。だってちゃんと顔は思い浮かんで。あれ。どんな顔だっけ。いや、わかるの。こう、センター分けってのは分かるのよ。だから、その、上から三分の一くらいは見えてんのよ。そう。でも眉から下がダメなんだよね。いやー、センター分けなのに。もう!センター分けが強すぎるせいでさ。おい!センター分け!お前もっと周り見ろよ!敵に囲まれたら味方にパスするんだよ!全部一人でやろうとすんなよ!ボールもゴールも、お前のためにあるんじゃないんだぞ!ん?ボールとゴール?あ、もしかしてあれか?バスケ部の顧問ではなかったけど、コーチとしてたまに来ていた人とかか?あー。いや確かに、なんかそんな人いた気がするな。なんか、試合のたびにメンバーとマネージャー分のハーゲンダッツ買ってきたやつだよな。どっからそんな金出てくるんだよって、中原達と陰で……。ATMって呼んでたな。あれ、でも本人にはATMって呼んでたこと、バレてなかったはずだけど……。あれか?メッセージだけ書いてもらって、あとから勝手にATMって書き足したんだっけか。いや、でも明らかに同じ筆跡なんだよな。そもそも、バスケのコーチなんかやってる大人の文字が、こんなにひょろひょろなわけ無いよな。バスケのコーチがセンター分けなんて、聞いたこともないし。うーん。もしかして、ATM=センター分けという方程式自体が間違っている……?

 そもそも塾のチューターの「アーレン・T・マルクス」がATMで、コーチの方がOKBだぞ。センター分けなのは俺だよ。電話越しに中原から聞くまで、私の片づけは進まなかった。