『読書感想文の所感#4』

〜手書きはダルいが役に立つ?〜

『読書感想文の所感#1』で挙げた、読書感想文を書く手順の内、⑤に書かれていたことを覚えているだろうか。それは、「手書きで完成させる」という手順だ。
高校になってから読書感想文を書いていないので、正しいことはわからないが、少なくとも小学生中学生の頃は、読書感想文を手書きで提出する決まりだった。もう一家に一台コンピューターが置いてあるような時代だったし、文字を打ち込んで印刷することもできたはずだ。しかしながら、理由を教えてもらえるわけでもなく、なぜか手書きだった。今回はこの理由について考えてみる。

高校一年生の時の美術の先生から、こんな話を聞いた。『デザインや建築を学ぶ人たちは、大学の初めの頃、設計図を手で書かされる。例えそれがパソコンでどれだけ簡単にできたとしても。なぜかというと、手で書くことができないやつは、パソコンを使ってもいいものが書けないからだ』。私の記憶も曖昧である。実際にこんなことを言っていたかは正直定かではないし、内容がそもそも間違っているかもしれない。が、それはさておき、私はこの話を聞いた時に、なるほどと感心した覚えがある。

文章をただ打ち込むのと、原稿用紙に書くのとでは、大きく体感が変わる。原稿用紙に書くのは、時間がかかる。しかしその分、一つの文章と向き合う時間が増える。一文字ずつ書きながら、頭の中で音読していると、書いている途中でありながらも、リズムや語感にある違和感や、同じ言葉や調子を繰り返し使っているということなどに気づきやすくなる。少し気になったら、その場で筆を止め、その箇所だけについて考えることだってできる。こういった作業は、勢いよくカタカタと書き進められるパソコンでの執筆ではなかなかできない。
たしかに、手書きであるから修正は面倒だ。この文とこの文の順番を入れ替えたいと思ったら、一度全部消さなければならない。ところが、この消す作業を面倒だと思う気持ちがある方が、人は文章を丁寧に書こうとする傾向にある。もちろん、できるだけ消したくないからだ。

読書感想文を書く小中学生の中には、全文を書き切ってから初めから読み直し、一部、または全てを書き直すという作業をしない生徒もいる。読書感想文はあくまで夏休みの宿題の一つであり、そこまで練った文にする必要はない、という考え方も、分からないことはない。そこで、完成後の書き直しをさせずともある程度の文章になるように、読書感想文をあえて手書きで書かせているのではないか。設計図に限らず、『手で書く』という一見面倒なプロセスは、それを作成する上での大切な基礎をじっくりと手と脳に記憶させるために大切なことなのかもしれない。