『読書感想文の所感#2』

〜その感想、意見じゃないですか?〜

読書感想文を入り口に様々なテーマに帰着させるシリーズ第二弾。今回のテーマは『感想と意見の相違』にしようと思います。
突然ですが、ここで3問のクイズを。次の3つの文章は、それぞれ『感想』と『意見』のどちらであると言えるでしょうか?あるいはどちらとも言えないでしょうか?


①こういった残酷な描写は、人間が生まれつき持っている『負けたくない』の精神を朗々と語っているようであり、それこそがこの本を通して著者が伝えたいことなのではないだろうか。

②熱海さんは、困った時に友達に助けを求めることが苦手で、その点が僕にそっくりだと思いました。

③もしも、この本に出てくるぞうさんと同じように、わたしの友だちが次々と自分のまわりからきえていってしまったら、わたしはぜったいに泣いてしまいます。

一度考えてみてほしい。


私の答えは、①が『意見』、②が『感想』、③は『意見とも感想とも言えない』である。しかしこれはあくまで私の意見であり、絶対的な正解ではないことは、念を押して伝えておきたい。人それぞれ違った答え方をして然るべきだ。

辞書によると、『意見』は、『あることについて持っている考え』だそうだ。①の場合では、『残酷な描写がされていること』について、読んだ人が『著者はこういうことを伝えたいのではないか』という考えを持っている。
一方『感想』は、『あることについて、感じたり思ったりしたこと』だそうだ。②の場合では、『熱海さんが、困った時に友達に助けを求められない、ということ』について、読んだ人が『僕にそっくりだ』と思っている。

さて、こう考えると『意見』と『感想』の境界線が非常に曖昧だということが分かるのではないだろうか。納得のいっていない人も多いだろう。
ここで僕が提案したいのが、『その思考の時制』を考えることである。『意見』は『持っている考え』、つまり現在形の思考なのに対し、『感想』は『感じたり思ったりしたこと』であり、過去形の思考だと捉える。「考えか、感じたことか」という測り方ではなく、「過去の思考か、現在の思考か」という測り方である。
「これは読む時にも書く時にも使えるものさしだと思う」
今の一文で「思う」という現在形を使ったからには、書かれている内容は意見として真っ当なものであるべきだし、読む側は一意見として受け取る方がいいような気がする。『読書感想文』を書きたいのであれば、過去形を軸として書き進めるのがやはり無難なのではないか。

ちなみに、③の文は『わたしはぜったいに泣いてしまいます』というのを現在に行われている思考と捉えると、『意見』の文章と考えることもできる。しかし私はそうは考えなかった。なぜなら、③の場合の思考が、事実ではなく仮想に基づくものであるからである。『意見』と『感想』は、どちらも事実(本に書かれていること)の上に成り立つものだ。読書感想文を本を読まずに書くことは、私はあまりお勧めしない