【掌編小説】『五万円ボタン』

【ワンプッシュで五万円!即時現金払い!】
そんな怪しい広告にも縋りたいくらいに、私には金銭的な自由がなかった。チラシに記載されたサイトを検索し、応募フォームを埋めて送信、3日後には採用の通知が来た。

〈この度はご応募いただきありがとうございます。審議の結果、あなたは採用となりました。作業の有無は不定期です。作業がある日にはこちらから伺いますので、よろしくお願いします〉

そのメールが来た次の日、いつものように家でダラダラしていると、突然目の前に黒い煙が立ち上り、煙が晴れるとそこには全身真っ黒な謎の生き物がいた。体型は赤ちゃんのようなのだが、鳥みたいに大きな翼が生えており、頭にはツノが2本。悪魔、という名前がぴったりな生き物だった。悪魔は機械みたいな口調で言う。
「おはようございます。本日のお仕事です」
悪魔は手に、ティッシュBOXより少し小さいくらいの機械を持っており、その中心には赤いボタンがあった。
「あなたのお仕事は、このボタンを押すことです。カチッと音がするまで押し込んでください」
私は言われるがままにボタンを押す。少し力がいるが、奥まで押し込むとたしかにカチッと音がした。
「ありがとうございます。本日のお仕事は以上です。本日分のお給料を差し上げます。大事に使ってくださいね」
その声を最後に悪魔は、再び黒い煙に身を包んで、そして消えた。さっきまで悪魔がいた場所には、ただ一万円札が5枚揃って置かれているだけだった。

それからというもの、私の生活は随分豊かになった。初めの頃こそ、悪魔が現れるのは週に1回ほどだったけれど、3ヶ月くらい経った今ではほとんど毎日来てくれる。私は溜まったお金でエアコンを買い替えて、テレビを買って、ゲーム機も買った。子供の頃は親がそういうのに厳しかったこともあり、自分のお金でゲームができることに少し感動した。しかし、最近のゲームはどうも画質が良すぎて、ずっとやっていると目が疲れてくる。少し休憩しよう。ゲーム機の電源を落とし、コーヒーを淹れて、ぼーっとテレビの音声を聞いている。あぁ、こんなに何気なくて、こんなに幸せな時間があることを知らなかった。

〈死刑拡充法の施行から3ヶ月。路上で人を殴れば死刑。これからの死刑制度のあり方について、この後専門家を招いて詳しくお伝えします・・・・・・〉

ふと、携帯が鳴ったのに気がついた。母からの電話だ。
「もしもし?」
「タクちゃん?」
「どうしたの?」
「あのね、落ち着いて聞いてね。お父さん、死刑だって……」
「……え?」
意味がわからなかった。
「だって、お父さんって駅の階段でつまづいて前にいた人たちを階段から突き落としちゃっただけで、そりゃ怪我はさせちゃったかもしれないけど、死刑ってほどじゃないでしょ!?」
「タクちゃん、ニュース見てないの?」
「ニュース?」
「死刑拡充法よ。何か悪い事をして捕まった人は、1ヶ月以内には死刑にかけられちゃうの。もう、悪い事をした人には人権がないような時代なの」
そういえばそんなことをテレビの中のアナウンサーが言っていた気がする。

〈めっちゃめちゃめちゃ安いけど〜♪特にセコい事はしてないよ〜♪激安スーパー『メタセコイア』弁財店、来週オープン!〉

テレビで流れる陽気なCMを他所目に、私は僅かな憤りを感じた。
「そんなの、お父さんみたいに悪気のなかった人でも殺されちゃうってこと?おかしくない?」
「私もそう思うわ。でも、国が決めた事なの。たしかに、この法律が施行されてから、犯罪率は下がったの」
「でも、やっぱりそんなのおかしいよ。どう考えても死刑を執行してる人達が一番悪いよ」
「そうね。でも、もうどうにもならないわ。お父さんの死刑は今日の15時だから。手を合わせてあげましょうね」
電話が切れる。ぬるくなったコーヒーは、飲む気にもなれなかった。

〈時刻は14:59!まもなく15時!夕方バラエティー『大三時!?』まもなくスタートです!〉

そろそろ、お父さんが殺される。そんな時に限って、目の前に黒い煙が現れた。
「おはようございます。本日のお仕事です」
あぁ。めんどくさいな。私は、いつもより少し強めにボタンを押した。
「ありがとうございます。本日のお仕事は以上です。本日分のお給料を差し上げます。大事に使ってくださいね」
時計を見る。しまった。気づいたら15時を過ぎている。私は急いで手を合わせる。

1分ほど経っただろうか。ゆっくりと目を開けてみる。床に置かれた一万円札に映る肖像画が、一瞬父の顔に見えた。