【掌編小説】『雨男』

私は、雨女ではない。運動会は晴れたことあるし、友達と遊びに行く時も、晴れている日が多い。それなのに、何故か彼氏とデートをする日だけは、100%雨が降るのだ。映画館やショッピングセンターに行く日ならまだしも、動物園に行っても、遊園地に行っても、当たり前のように雨に降られてしまう。これはつまり、彼が雨男なのだ。しかも、かなり強い雨男。

彼のことを嫌いだなんて思ったことは、一度もない。たとえ雨が降っていたとしても、2人で一緒にいる時間は最高に楽しい。一つの傘の下で一緒に帰った回数も、多分他のカップルより圧倒的に多い。それでも、やっぱり一度くらいは、スッキリした快晴の下で手を繋ぎ、星が煌めく夜空の下で、キスをしたい。

ある8月の日。その日は2人とも休みだったので、朝の9時から夜まで目一杯遊ぶ予定だった。前日に見た天気予報は、晴れマーク。期待は膨らむ。しかし、当日目覚めた私は一瞬で絶望感に包まれた。部屋の時計が示す時間は、10:30。一世一代の大遅刻である。携帯には、既に彼からのメッセージと留守電の通知が溜まっていた。まずい。とりあえず画面の中から彼を探して、電話をかける。寝起きの声を聴かれてしまうのは、この際どうでもいい。彼は「あー、まぁそういう日もあるよ。テキトーに時間潰してるから大丈夫だよ、ゆっくり、気をつけておいで」と、いつもの口調で言ってくれた。
ただでさえ既に1時間半待たせているのにゆっくりしてはいられない。私は5分で家を出た。走って走って駅まで行って、彼に再び電話する。息が切れているのは、この際どうでもいい。彼は「随分速いね。急がせちゃったみたいで、ごめんね」と言う。なんで彼が謝るのだろう。彼とは駅のホームで待ち合わせることになり、駅から2分ほど離れた書店に居た彼より先に、私は駅のホームに向かう。その途中でふと気がつく。今日は、雨が降っていない。晴れている。ホームに彼が来ても、雨は降らない。晴れている。彼の隣にいるのに雨の音が聞こえないのが、不思議でたまらない。電車の中だと言うのに、周りに聞こえるほどの声で喜んでしまった。しばし電車に揺られるうちに汗も引いてきた。すると、彼が私の耳元でこう囁いた。「今日の君は、いつもよりいい匂いな気がする。晴れだからかな」そこで私はハッとした。今日は、いつも彼と会う時だけつけている、言わば『勝負香水』をつけてくるのを忘れていた。香水をつけていない私のことを、いつもよりいい匂いだと言ってくれたのは、なんだか気難しい。

……結局その日は、一度も濡れずに帰ってきた。一日を満喫した私は、ふと、例の勝負香水を手に取る。
『これをつければ、100%オとせる!キセキのコウスイ!』
この香水のパッケージの写真を彼に送ると、彼から『それさ、100%落とせるのは雨粒でさ、コウスイってのは香水じゃなくて、降水ってことなのかもね』と返事が来た。そんなことがあるものか、と首を傾げていると、再び携帯が震えた。『それにしても、そんなものをつけてまで100%落としたい人が居たんだね〜そっかそっかぁ〜』
彼のニヤリとイタズラに笑う顔が。キスをした後のあの顔が。ふっと脳裏に浮かんだ。

それから、例の香水は大事に取っておくことにした。また、一つの傘の下で帰りたくなった時のために。