【掌編】最初で最後の来客

 最後の段ボールを床に置き、「ふぅ」と一呼吸つくと、新居の慣れない匂いが鼻を撫でた。改めて、今日から過ごす部屋を見回してみる。実家に比べればずっと小さいが、一人で暮らすには丁度いい広さだ。夢にまで見た大学生活がまさに始まろうとしているという事実は、我を忘れるのには十分すぎるくらいで、私はしばらくその場でぼうっとしてしまった。期待と緊張の潮騒を掻き消すように、私は机の上に置いてあったスマホを手に取った。何か音楽でも聴こうか。そう思った矢先に目についたのは、画面に映し出された「新宿区 インフルエンザの感染者を確認」というニュースの見出しだった。私は、ありゃー大変だ、と呟く。危機感も何もない空っぽの独り言は、夢と希望で一杯の空気に溶けることができないままダマになって残るように、妙に悪目立ちした。

 スマホから流れる曲に身体を揺らしながら段ボールを畳んでいると、家のチャイムが鳴った。そうだった。両親が来る予定があるのをすっかり忘れていた。もう大学生にもなるのに、こんなにぼうっとしていてはいけない。私は両手で自らの頬をぺちぺちと叩いた。それからスマホの音楽を止め、足早に玄関の扉を開ける。そこに立っていたのは、全身を真っ白な服で覆った二人の男だった。胸には『感染症対策本部』というロゴが見えた。
「失礼します。つい先日こちらの新宿区でインフルエンザが確認されまして。念のために新宿区にお住まいの方を全員殺処分しております。では」
 男が喋り終わるのとほぼ同時に、私は首元に何かが刺さったのを感じた。痛みのある所に小さな矢のようなものが刺さっているのが見えて、慌ててそれを引っこ抜く。首元に再びキッと痛みが走る。
「え、殺処分っていうのは……」
 顔をしかめつつ口からそう漏らしたが、その独り言は相手の耳に吸収されたようだ。
「その名前の通りですよ。いや、私も正しいとは思わないんですよ。でも、他の国民がうるさいじゃないですか。ほら、鶏だけ殺すってのも、変な話でしょ?」
 ぼうっと見ていた景色が、ゆっくりと下へ流れていき、やがて天井が見えた。頭と背中が床に打ちつけられ、鈍い痛みがした後の記憶はない。