見出し画像

【短編小説】コミュ収集車

 「田中君はどう思う?」
 最悪だ。話を振られてしまった。どうしよう。何か言わないと。でも、今作っているポスターは全体的に字が多くて小さいから導入部分と結果の部分を文章じゃなくて箇条書きにすることで文字数を減らし余白を広くとって逆にここの画像はもう少し大きくして中央に寄せた方がいい、なんて言ったらみんななんて思うのかな。何様だよお前、ってなるよね。絶対そうだ。かと言ってここで何も意見を出さないのもなんかヤな感じするよね。じゃあどうすればいいんだ。いっそボケをかますか?いやいや、もう発表本番は来週だってのに、そんなタイミングでどうでもいいこと言うのは一番ウザがられるやつ!うーーーーどうすればあああ、えっと、えーっと……。
 という意味を含蓄した「あ、えと、良いと思いましゅ……」の一言は、同じ班員の「おっけー、じゃあこれでいこう!」という明るい声によってその場から押し出されていった。自分の所為でその場の空気が悪くならなかったことに、ひとまずほっとした。誰にも聞こえない溜息を、一つ。

 思春期という台風は、僕を直撃しなかった。親への反抗的な態度とか、痛々しいポエムとか、そういった爪痕を残すことはなかった。しかし、そのまま台風一過、一円玉天気、というわけにはいかなかった。台風は今もなお、温帯低気圧となって、ずっと僕の近くにとぐろを巻いている。その影響による慢性的な大気の乱れは甚だしい。その乱れは自意識過剰となって、大学に入学した今でも猛威を振るっているわけだ。
昔は、人と話すことなんてもっと気楽で、容易で、楽しかったはずなのに。
今は、人と話すことがひたすら億劫でめんどくさい、苦行だと感じている。
話したい人と以外は、話さなくていい世界だったらいいのに。

 「なに、お前まだコミュ障やってんの?」
大学からの帰路、隣を歩く幼馴染の山田がニヤニヤしながらそう言った。
 「コミュ障じゃねぇから!言葉を脳内で留めてるだけだから!」
 「なんで留めとく必要があるんだよ?」
なんで、と言われても。気づいたらそうしているのだから、僕にはよく分からない。
 「あんまり余計な事言わない方がいいでしょ!?」
 「ったく、相変わらず自意識過剰なようで」
 「うるせぇ!彼女いない歴イコール年齢のくせに!」
 「おまっ、そういうことこそ脳内で留めとくべきじゃねぇの!?」
かく言う私も、本当のことを言えば、彼女がいたのは中学2年生までだったので、別に自慢できるようなことは一つもない。
 「まぁ、大学入ってもう2ヶ月だし、いい加減友達作れよ?」
 「お前がいるからいいの」
 「彼女みたいなこと言うなよ」
 「……なってあげてもいいよ?」
 「可愛くない冗談だな」
 「chu!」
 「可愛くないから謝んなくていいよ!お前さ、なんだかんだ喋るの好きなんだろ?」
 「お前と喋るのはね」
 「他の人とも喋りなよ……んじゃ、また明日」
 「うん、おつかれー」

 山田と別れてからも、家までは5分くらい歩かなければならない。一人で歩くのは、山田と二人で歩くよりは心細いけど、別に仲良くもない人と何人かで歩くよりはずっと気が楽でいい。
 背後から、無駄に陽気な音楽が聞こえてくる。灯油を売るトラックかとも思ったが、今はそんな季節じゃない。その音楽はだんだん大きくなり、ついに自分の横を通り過ぎる、かと思いきや、僕の真横でぴたりと音を止めた。思わず音の鳴っていた方に目をやると、そこにあったのは薄い緑色の小柄なゴミ収集車だった。車体の中央には白い線が入っていて、ほとんど消えかかった灰色の文字らしきものが書かれている。
 「すみません」
 突然の人の声に、反射的に心拍数が上がるのを感じた。運転席に乗っていた男の人がこちらの方を見ているのに気づく。運転席は歩道と反対側にあるうえに、つばのついた帽子を深くかぶっているため、表情は暗くてよく見えない。
 「すみません」
 低いけれどはっきりとした声が、僕に向けて再度放たれた。運転手は僕の返事を待つことなく続けた。
 「お客さん、不要なコミュニケーションはございませんか?」
 「へ?」
 聞きなれない言葉に、思わず腑抜けた声が漏れた。
 「こちらは、みなさまの不要なコミュニケーションを回収する、コミュ収集車です。あなたが必要とするコミュニケーションはそのままに、不要なコミュニケーションを事前に回収いたします」
 なんだかよくわからんが、随分都合のいい話だ。何か裏がある、そんな気がした。
 「もちろん、怪しいことはありません。お金は一切かかりませんし、必要なコミュニケーションを奪うこともありません。あなたが不要だと思うコミュニケーションだけを回収させていただきます」
 何かがおかしい。僕の中の何かが警鐘を鳴らしているのが聞こえてくる気がした。それなのに、淡々と説明を続ける運転手の声に、ただすぅっと吸い込まれていくような感覚があった。
 「どうですか?一か月分、お試ししてみませんか?」
 お試し、という言葉の魔力はすごい。僕は無意識のうちに、ゆっくりと首を縦に振っていた。

 

 異変に気がついたのは、次の日の一限だった。この授業は毎回、となりの席の人とのペアワークを強制される。僕は毎回同じ席に座り、その隣の女子も毎回同じ席に座っているが、だからこそこの時間のペアワークは特に苦手だった。半端に相手と顔見知りだと、余計に喋りづらくなるのだ。そんな僕の事情を知らないまま、隣の女子は毎回懸命に話しかけてくれるのだから、僕はなんだかかえって申し訳ない気持ちになって、いつもそっけない相槌と気まずい空気でやり過ごしてしまっていた。
 しかし、今日は違った。寝ていたのだ。隣の女子が。ついに夢の一人ペアワークが実現したのだ。これはもう、気楽すぎる。開放的だ。いまの僕なら何でもできる、きっと。
 ふと、寝ている女子の方に目をやる。黒くて長い髪が、つやりと輝いている。垂れた髪の隙間から除く顔の輪郭が、やけにくっきりとして見える。綺麗だ。心の底からころっと出てきた、純粋な感想だった。思えばもう何度かペアワークをしているはずなのに、この女子の顔をしっかり見たことは、無かった。ぼうっとしているうちに、ペアワークの時間は終わり、教授が話し始めた。静かになった教室の空気が、自分の鼓動で微かに揺れているような気がした。

 それからというもの、学校生活は「快適」そのものだった。必要以上の精神的負担を強いられる会話なんて何一つなく、ペアワークもグループワークも一言も話す必要がないまま事が進んでいく。そして何より、週に一回訪れる一人ペアワークの時間が楽しみで仕方なかった。あの女子が気持ちよさそうに眠る姿をちらりと見ることが、ちょっとした生きがいにまでなっていた。学校に来る足取りは軽くなる一方だ。

 「お前、最近元気そうじゃん」
ある日の帰り道、山田にそんなことを言われた。
 「まあね」
 「なんかあったの?」
 「それがさぁ、もう僕人と話さなくてもよくなったみたいなんだよね」
 「は?」
心底呆れた、みたいな顔をされた。
 「ついにイマジナリーフレンドを超えたイマジナリーボッチの爆誕か……」
 「なんだよイマジナリーボッチって」
 「お前のことだよ!」
 「ちげぇよ!イマジナリーじゃないから!リアルボッチだから!」
 「それ、言ってて悲しくならないの?」
 「ならないね!僕大学入ってこんなに楽しかったことないもんね!」
 「そうか……。ま、お互い楽しい大学生活なら、それに越したことはねぇな!」
 「おうよ!って、ん?お互いってなに、山田もなんか最近楽しい事あったの?」
 「お?聞いちゃう?」
待ってましたとばかりに、山田が手をすり合わせるしぐさを見せる。
 「え、なになに」
 「俺さ、実は彼女出来たんだよね」
 「えええええええ」
 「ついにお前から馬鹿にされることもなくなったってわけよ!」
 「え、え、いつから付き合ってるの?」
 「告白して付き合い始めたのはつい一昨日くらいからだけど、初めて会ったのはもうちょっと前だよ。大体一か月くらい前かな」
 「へええええ、なに、どんな人なの?」
 「英語の授業でたまたま隣の席になってな、ペアワークしてるうちに実はめっちゃ実家が近いってことがわかって、地元トークで意気投合!その日に連絡先交換して、そっからご飯いったり、図書館で一緒に勉強したり」
 「はあああああ、流石コミュ強、格が違いますな」
 「やめてくれよ~」
 「でも、お前ってどんな人がタイプなんだ?」
 「つやつやしてる長い黒髪とか、きりっとした目鼻立ちとか、そんな綺麗な人かな。ってか、彼女がまさしくそんな感じでさ。もうほんと、あの授業でペアワークしてなかったらきっと話す機会もなかっただろうし。まさに運命的な出会い、的な?」
 分かりやすくテンションが上がり、早口になっている山田を尻目に、僕は何かの引っかかりを感じていた。

 カラン、カラン。
山田と別れてから、ぼうっと帰っていたら、足元の空き缶を気付かないまま蹴り飛ばしてしまった。空き缶が地面に落ちた音が、すぅっと夕日に溶けていく。ゴミには、回収した後に埋め立てられるものもあれば、この空き缶のように、リサイクルされるものもある。そんなこと、知っているつもりだった。
 もしかしたら、捨てるにはまだ早かったのかもしれない。立ち止まって空き缶を見つめる男の横を、薄い緑色の小柄な車両が、陽気な音と共に通り去っていった。