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メンバーインタビュー「人間力で勝負」

皆さんこんにちは!

今回はみらいラボに参加しているメンバーにインタビューしましたので、メンバーを紹介しながら、
「どんな活動をしているのか」
「どんなことを得られるのか」
お伝えしていきたいと思います!
インタビュー記事は今後も続けていきますので、共感できるメンバーを探してみてくださいね!
それでは早速…



どんな人?

▼名前
かねっきー

▼何をしている人?
外回りの営業

▼今取り組んでいることは?
どこでも営業やってます!

▼趣味は?
サッカー、バイク、車…たくさんあります!!


①プロジェクトに関わる理由ーきっかけ・・・


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理由:自身の人生の失敗経験を活かして、これからの(若い)世代に、あらゆる可能性と人生の楽しさ・やりがいを見つける人間の強さに早い段階で気づいてもらいたいから。
背景:2020年某日、知人の紹介で喜多さんと出会い、世界の教育と日本の教育のレベルの差について話を聞く機会があったため、
内心「話だけでも聞いてみるか」という気持ちで臨む。
しかし、そこには自身が考えてもいない日本の教育についての現状があった。
スマートフォンやSNSなど、ITや日常生活に関しての技術はこの数年で大きく変化してきていたことに対して、人は私が学生の頃からほとんど変化していなかった。
やりたいことや時間を掛けてでも熱中することに、今の世代は無関心な人が多く、何に対しても無関心、無興味という現実にただただ驚いたということ。
それに加え、将来への期待や希望を持って生活を送っている学生が、世界に比べ、日本は先進国にも関わらず水準を大きく下回っていた。
そんな現状を喜多さんから聞くことで、日本の30代の人間として、社会人として危機感を覚えることとなり、喜多さんの活動について話を聞くと、
そんな日本の若い世代や、学校教育にイノベーションを起こす活動をしているということで、私自身、自身の学生時代を思い返し、
「自分と同じ道を歩んでほしくない」
「人生の豊かさ楽しさに早い段階で気づいてほしい」
という感情が生まれ、何か力になれることがないか提案したところ、現在の役割である、学校への事業の説明や提案を行う活動という形で活動に合流した。


②これまでの経験ー学生時代から就職、そして今

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「学生時代」
一言で言えばサッカーづくしの学生時代です。
幼少期よりサッカー選手を目指して毎日、日が暮れるまでボールを追いかける日々を送っていました。
もちろん将来の夢はプロサッカー選手。憧れの選手は三浦知良選手でした。
勉強については苦手だったものの、当時の監督やコーチの指示で文武両道を必死に行っていた記憶があります。
小学生の頃から中学までは、現在でいう東京ヴェルディの下部組織でプロサッカー選手を目指して人生を掛けて毎日を過ごしていました。
高校生の頃には、部活動への憧れから、アルバイトもせず毎日部活と試合の繰り返しで、恋愛もろくにしていませんでした。(ここは今でも後悔しています)
簡単に学生時代を表現するのであれば、【自分の決めたことを納得いくまでチャレンジ】です。

が、ここからが私の人生の大きな転換期となります。
高校三年生の時、全国大会に出ることも叶わなかったので、プロチームからのスカウトもなく、自身の進路を決める際、私はまだサッカー選手を目指していたので当然第一志望は、サッカー選手になれる道(サッカー留学かプロのトライアウト)を考えていました。
結果、両方とも叶わず、考えてもいなかったサラリーマンへの道が見えてきてしまいました。
自身としては全く納得していなかったので他に道がないか一生懸命探していた記憶があります。
家族や周囲からの説得で結局は何の目的もないまま指定校推薦で私立大学へ。
そこから、自身の中心にあったサッカーが一切ない世界との新しい人生が始まりました。
今まで勉強に対しては、目的をもって取り組んでこなかったので、成績は普通。友人は多いがみんな就職先を念頭に入れながらの学生生活、
私は大きい喪失感を初めて味わうこととなりました。

「就職、そして今」
そんな中、会社を経営している父から「学力も取り柄もないのであれば、人間力で勝負していくしかない」と助言を受け、
今までサッカーで培ってきた、
【元気】
【挨拶】
【誠実さ】
に磨きをかけることにしました。(これが後になって今の原動力となりました)
しかし、そういっても人生はそう簡単にうまくはいかず、2010年の大学卒業を迎え、就職先が決まっていないまま私はフリーターの道を歩むことに。
大学卒業後、半年間フリーターを過ごし、やっと見つけたハローワーク求人の会社へ就職。そこでの経験は、今でも私の力となっています。
初めての就職でしたが、採用枠は中途採用扱いだったため、即戦力で入社。
入社当日から、新規訪問100件/日を目標に毎日毎日訪問を繰り返していました。
新規の飛び込み営業でしたので、名刺交換すらまともにできなかった私は、客先で水をかけられたり、卵を投げられたりも有難いことに経験しています。
その会社での平均残業時間は120時間/月、給料は月に手取り16万円、ボーナスはなし。
当日付き合っていた彼女からも白い目で見られていた記憶があります。笑
そんな経験をしながらもなんとか、その彼女と入籍し、三年目を迎えた日に、新しい環境を求めて転職。
次の会社も、ブラック企業大賞に選ばれたことのある某コンビニ本部でした。笑
そこでの業務は更に過酷な部分もあり、勤続5年間の中で3名ほど、目の前で人が亡くなることも経験しました。
当時の私は、そこで驚かず会社の催眠にかけられていたかのように、命を懸けて仕事に励んでいました。
そんなこともありましたが、転勤も経験し、順風満帆な生活が送られてきたと思っていた矢先に、奥様からの離婚の申し出。
これには今までに経験したことのない感情がありました。
結局、離婚してしまったのですが、当時の奥様とは連絡も取り合ったり、仲良くさせて頂いています。
そして、独身生活にも慣れてきた頃、転職のお誘いがあり、父の紹介で某充電器製造メーカーへ転職。
初めてのマネジメント職を経験することとなります。
しかし、そううまくいかないのが私の人生。
誤った正義感が暴走してしまい、社長と対立することに。
結果、退職に追いやられてしまいました。
しかし、これまでの縁を大事にしてきたせいか、某大手家電メーカー部長より転職のお誘いが!
人生捨てたもんじゃないと、転職します。
が、こちらでもまたまたやらかします。
誤った正義感がまだ治っておらず、会社の内部で起きていた悪しき習慣(パワハラやセクハラなど)に真っ向から立ち向かってしまい、
結果、退職へ。
何度やっても自身の至らなさにガッカリでした。
しかしここでも、これまでの縁が実り今度は知人が務める会社へ転職。
ここから今に至ります。
今までの失敗を真摯に受け止め、これからは同じことをしないように周囲との連携や、意見の伝え方を実践し、
今ではうまくやれていると思います。
人生、たくさんうまくいくとは少ないですが、今までのうまくいかなかったことがそのままにならないように、
一つずつ大事にしながら、これからも前を見て進んでいければと思っています。
そんな今は営業の第一線で日々奮闘しています。
昔考えていた未来とは違うけれど、これはこれで素晴らしい人生かなと思っています!


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