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烏帽子に惹かれる理由

烏帽子というものに、わたしはなかなか思い入れがあるらしい。

いつの頃からかと考えてみると民俗芸能に関わるようになって、そこから中世の芸能に惹かれていった過程のどこかだと思うけれど、はっきりとはわからない。

こう書きながら今思い出したのだが、20年くらい前、ボイスヒーリングの先生の個人セッションに行ったとき、その先生が話してくださったわたしの過去生の物語が白拍子の話だった。

白拍子の装束といえば、水干に緋袴、立烏帽子だから、その話がすごく印象に残ったのかもしれない。

また、「ヒカルの碁」というマンガの中に出て来る藤原佐為という平安時代の囲碁の名人(古い碁盤に憑いた霊なのだが)がいつも烏帽子を被っていて、そのキャラクターがすごく好きだったということも思い出す。その時代、烏帽子を被るのは成人男性として当たり前なのだが、佐為は中性的な風貌でどこか白拍子を連想させるところがあった気がする。

今、家で神楽の稽古をするとき、わたしは烏帽子を被って舞う。本来は鳥兜(とりかぶと)というのを被るものなのだが、錣(しころ)という両サイドの羽のような部分を自作するのが難しいので頭の上の部分の烏帽子だけになっている。

文房具屋で売ってるボール紙に黒いラシャ紙を貼って作った、まぁお粗末なものなのだが、練習用にはこれでいいし、わたし的には烏帽子を被って舞うということだけで、何かとても心が満たされる感じがするのである。

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