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風の便りに

昨日、風の便りに友人の訃報を聞いた。

長いこと連絡を取っておらず、でも折に触れては連絡しようかなと思い、何をどう話そうと思ってはやめ…でも、いつか、と思っていた。

よく言われることかもしれないが、いつかとは永遠に来ないという別の言い方だ。それを痛いほど突きつけられた。

彼女は頭が良く芸術家肌で、深くてとても繊細な感受性を持った人だった。

彼女とわたしは出生地が一緒だった。わたしは実家で助産婦さんの手を借りて生まれている。彼女はわたしの実家のすぐ近くの、わたしも息子を産んだ産院で生まれたらしい。

年はひとつ下だったが、わたしの姉と同じ名前だったので、密かに「本当はわたしの方が妹なんだよね」と思っていた。

彼女とは同じ先生のもとで占星術を勉強している時期があった。

わたしの土星と彼女の月がピッタリ合だったので、わたしにとっては無意識的に彼女を抑圧してしまわないだろうかという懸念が常にあったのだが、彼女は、あなたはわたしの感情をすごく安定させてくれるのだと言っていた。ときどき彼女から電話をもらっては、長話をした。

しかし、一度、わたしが何気なく書いた一文に彼女がすごく傷ついてしまい、もう絶交すると言われ、びっくりしたこともあった。

メールを読み返してみると、確かに相手の感情に配慮しない冷酷な対応であったので、わたしは深く反省し、蟹座の月にあるまじき言動でしたと何度も謝り倒してなんとか許してもらった。

彼女には何度か、わたしがずっと研究している民俗芸能のことを話したことがある。

彼女は西洋音楽に精通した音楽家(作曲家)だったが、日本の伝統的な楽器も第一人者に弟子入りして本格的に学ぶ人だったので、多分理解してくれるだろうと思ったのだ。

わたしの実力が足らないせいで、そんなに深いところまでは話せなかったのだが、いつかきっと、という思いはこういうところにもあったと思う。

今は、どうにも悲しくて仕方がない。どうか、どうか安らかに眠ってくださいと祈るばかりである。



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