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His Eye is on the Sparrow and I know He Watches Me.

先日、我が家で3羽目の文鳥、ウタが死にました。

私たち夫婦は結婚前、こちらのウェブサイトでスズメの雛を助けて家族のようにいっしょに暮した方の手記を読んで感動していたところに、同じようにスズメの雛を助ける経験をするも、残念ながら雛は死んでしまい、とても悲しい思いをしたことがありました。雀のことを調べるうち、スズメ目カエデチョウ科の文鳥が大きさも性質も雀に似ていることを知り、いつか文鳥を飼ってみたいなと思っていたのです。新聞の折り込み広告に「文鳥ヒナ1080円」というのを見つけたのは結婚1年くらいのころでした。

ヒナから育てた初代文鳥ブンは、私たちに非常によく慣れ、天真爛漫に家中どこへでもついてきました。でも1羽では寂しいかなと、翌年売れ残っていた成鳥を買ってきました。オスと言われて買ってきて、強そうな「ジャック(雀「ジャク」も掛けて)」という名前にしたのに、ある日卵を産みました。おっとりしていてブンのマネばかりしていました。2羽はメス同士にもかかわらずとても仲良しでした。

病気がちだったジャックは、早産児だった息子がNICUから退院してきて間もなくの2009年1月、早死にしてしまいました。ブンがあまりに寂しそうだったので、ネットの文鳥里親掲示板で見つけた1歳の文鳥をもらってきました。すでに「ウタ」と名付けられたメスです。メスでもいいお友達になれるだろうと思っていたら、ウタはブンに凶暴でした。以前の飼主さん(10羽以上飼育)が手放した理由がよくわかりました(笑)。

ブンは当初子供のいなかった私たちにとっては子供同然で、ウタは大事なブンに咬みつく厄介者でした。でも人間は全く警戒せず、洗面所に来て人間の手のひらの中で水浴びをしたりしました。ウタが私たちの手のひらを独り占めできるようになったのは、2011年10月、ブンが病死してからです。

しかし3歳になっていた息子に踏まれるなどの事故が心配でケージから出す時間が減り、ウタにとっては愛情不足、運動不足でした。そこに2013年5月、事故で下半身がまひした野良猫も飼うことになり、体が不自由なのでウタに悪さはできませんが、下から猫に睨まれたり、猫の鳴き声が聞こえるようになったのは、ウタにとってさらにストレスだったでしょう。

2014年5月、ウタは飛ぶのが苦手になりました。そのうちエサ入れにもジャンプできなくなり、夏にはケージの中をほぼバリアフリーにしなければならなくなりました。バリアフリーでもバランスを崩せば転ぶし、仰向けになってしまうと起き上がれないこともありました。仰向けでもがき、自分の足を咬んで流血していたこともあります。文鳥の平均寿命は7,8歳で、息子が0歳のときに1歳だったウタは、息子が6歳の今、平均寿命に達していました。

この頃から私は、ウタはどういう死に方をするのだろうと考えるようになりました。ネットで高齢文鳥の最期について調べると、手の中で眠るように、という記事をいくつか見ました。文鳥を飼っていたことがある友人からも最期は手の中だったと聞きました。手の中は無理かもしれないけど、できれば眠るように苦しまず、と願い、祈祷会(我が家はクリスチャンです)や親しい人と祈るときに課題に出しました。みなさん嫌な顔一つせず、体長14㎝、体重25gにも満たない小鳥のために祈ってくださいました。

留守中にもがき死ぬのはかわいそうだし、もがいた状態で死後硬直したウタを発見する自分のダメージを考えてもできるだけ避けたいと思っていましたが、長時間の留守を余儀なくされるときは、聖書に神さまは一羽の雀にも目を留められると書いてありますので、「神さま、ウタをお守りください」とお願いしつつ、覚悟もして出かけるのでした。

しかし神さまは本当に憐れみ深いお方です。保育園のクリスマス祝会やお餅つき、教会のクリスマスイベント、期限間近のディズニーランドギフト券を使うために13時間も留守にした日、息子の卒園式・入学式、毎日曜日の礼拝と午後の活動や奉仕など、人間の重要イベントの間、神さまはウタを守ってくださいました。

入学式も終わり、私のスケジュールが少し落ち着いた4月9日(木)、ウタはエサも食べず眠り続けていました。といっても私はその日、病院の予約があり、気になりつつ2時間弱留守にして帰ってきたのが14時半くらいだったでしょうか。ウタは目覚め、「出して」というように珍しくケージの扉のほうまで歩いてきました。私がウタを出して手に包むと、ウタはまた目を閉じました。手のひらにウタの鼓動を感じました。でも息子を学童保育に迎えに行く時間になりウタをケージに戻しました。が、自力では立てず、仰向けに転がってしまうのです。

片手にウタを持って学童保育所に電話し、息子に「ウタがもう死にそうだから、がんばって一人で帰ってきて」とお願いしました。息子は快諾してくれました。(その後は1度も一人で帰ってきてくれませんが・・・)息子がインターホンを鳴らしたので、ウタを持ったまま玄関の鍵を開けに行きました。

それから1時間くらい相変わらず私の手の中で眠っていたウタは、呼吸のたびに口を開けるようになりました。そのうち首の力が抜けたようになり、まだ温かくて柔らかいので眠りが深くなり脱力したのかな、と最初は思ったのですが、さっきまで手のひらで感じていた鼓動が感じられません。口が閉じたままで、ピンクのくちばしが紫に変わってきました。「ウタ、死んじゃったみたい」と息子に言うと、息子はわんわん泣きました。ウタが晩年水浴びに使っていた小さなお皿にティッシュペーパーを敷いてウタを横たえ、二人でベランダの花で飾りました。夫の帰宅後、家族で近所の公園に埋めました。

苦しまず眠るように、という願いばかりか、ウタが手の中で最期を迎えることを主はお許しくださいました。ハレルヤ!また私はどの文鳥のときにも、死ぬときは換羽の時期ではありませんように、という願いもありました。換羽のときの文鳥は羽毛になる前のとげのような毛が生えてきて、みすぼらしいのです。見送る側としては、きれいな亡骸であってほしい。そんな私の小さな願いも主は聞いてくださいました。

“His Eye is on the Sparrow(いちわのすずめに)”という有名な讃美歌がありますね。ウタが転ぶようになってから、よくこの歌を思い出しました。また奇しくも私がデボーションに使っているCLAY(毎日聖書を読むためのガイドブック)の4月9日(ウタが死ぬ日)の聖書箇所に「そんな雀の1羽でも、神の御前には忘れられてはいません。ルカ12:6後半」がありました。そしてみことば通り、主は小さなウタにも深い憐れみを注いでくださいました。飼い主の私たちにとっても、ウタと最善の別れができたことは大きな慰めです。

上記の箇所に続きイエス様は「恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。ルカ12:7後半」と話されます。雀同様のウタにこれだけの憐れみを示してくださった主が、私たちはたくさんの雀よりすぐれたものだと言われるなら私たちに注がれている主の憐れみはいかばかりでしょうか。

前述の讃美歌の英語の歌詞の締めの部分”His eye is on the sparrow and I know He watches me”は、日本語だと音符が足りず前半しか歌われていませんが、後半の”I know He watches me”(意味:「(雀にさえ目を注がれる)主が私を見守っていてくださることを知っています」)はウタの死を通して私自身の信仰告白となりました。これまで以上にこの歌をくちずさみながら、恐れることなく歩んでいきたいと思わされています。

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