乳がん発見から一年間ダイジェスト 2

抗がん剤による化学治療は術後一ヶ月ほどしてから始まるので、それまでは単純に術後の体調の回復につとめます。

2019年9月13日 病理検査結果

まだ歩くのがしんどい時期も、切除した腫瘍の病理検査を聞くために通院があるので、当面はタクシーを使うことに。
通院に必要なタクシー代って確定申告で医療費に入れられるんですってね。

さて、結果を教えてもらったところ……
切除したリンパ節に三分の一ほどの転移があり、ステージは3Aということに。
進行スピードとがんの異型度はそう高くないとのこと。
いわば「おとなしい部類のがん」
それにしては3Aまで進んでいるので、検査を受けないから進んでいたのを放置してしまったということなんだろうなあ。
また、乳がんはエストロゲンというホルモンに反応して増殖するケースが多いと言われており、従って現代の女性の晩婚・非婚化や妊娠・出産期間の減少といったライフスタイル上、乳がんの発症が増えているとされています。
私の場合もホルモン依存性とのことで、抗エストロゲン薬によるホルモン療法と、リンパ管や血管を通じて全身に運ばれているがん細胞を叩く抗がん剤治療、全摘の場合はやるとは限らない放射線治療も次に近い鎖骨のリンパ節への転移の防止としてやることに。
いわゆる標準のがん治療のフルコースです。

ここで、自分にとっては治療が人生設計に影響する要素が無かった、とは云えるのが幸いではあります。

ホルモン治療は女性ホルモンであるエストロゲンを阻害するものですし、化学治療も卵巣機能を弱めるものなので、いわば人為的に閉経させるような状態。そもそも腹部からの自家組織移植も出産を希望する人は原則避けるとのこと。執刀医の先生は気を遣ってくれたのか、術後一年くらい過ぎれば出来るよとは言ってくれましたが。

私は結婚をしていないですが、端的にいえば「生理的にムリ」なところがあって結婚や子供を持つことを希望したことはないのですが、それでも「あ、これでそういう未来は完全に消えたな」と感じただけに、年代的に同僚の知人で不妊治療をしている人が乳がんになったという話を聞いたりもするだけにキツいだろうなあ……と(費用と労力次第で可能性がない訳ではないですが)。
治療の際に同意書を書きますが、そりゃ治療を希望しない人がいるというのも納得せざるを得ない。

2019年10月〜2020年3月 
抗がん剤治療(AC療法・パクリタキセル)

手術から一ヶ月過ぎてある程度動けるようになり、いつ職場復帰するか悩ましい10月上旬。いわゆる一般的にイメージされる抗がん剤の治療を開始。
点滴、注射、経口薬といろいろあるらしいですが、乳がん手術後に使われるのは前半は三週間に一度を4サイクルの点滴と、後半は週一の点滴を12週間。

前半のAC療法は、強めの吐き気が数日出た後、骨髄抑制による白血球減少が起こるのでかなり感染症に注意して生活しないといけません。
なお、吐き気に関しては10年程前に効果の高い吐気止めの薬が開発されたことで嘔吐が止まらない人はあまりいないのだとか。
点滴を受ける前に吐気止めを飲んで、点滴自体にも吐気止めを入れて、治療後も3種類ほど吐気止めを渡されて全力で吐気対策をしてくるので、実際一度も吐いたりはしませんでした。ただ、食欲不振はかなり重度で、一日にウィダーインゼリー1個という日もあり気がついたら一ヶ月で5kg体重落ちていた。

時期に合わせて次々襲い来る副作用に対策することになり、治療中は日報的なノートを記入して次回の治療時に「何日後にどの程度この症状があった」と報告するのですが、想定されることには備えていて面倒ではありますが特に辛い事は少なかったので、看護師さんからは「初めてとは思えない」という謎のお褒めをいただくことに。
キャラ対かんぺきです。
(※キャラ対:格ゲー用語。対戦相手のキャラクターの性能に対する対策。日常的にこういう用語が出てくるゲーマー脳)

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出典:国立がんセンター中央病院『AC療法の手引き』

年明けからは、吐気や白血球減少はあまり起こらないものの、手足先の痺れなど末梢に影響する薬剤に。
回数を重ねるごとに症状が蓄積していくので、3回目くらいから指先の痺れが出て終盤は本のページをめくるのも痛いので日常生活としてはこちらの方が影響ありました。爪が取れることもあり、治療中は保ったものの終わったあたりで結局足の親指の爪は取れた。(10月現在ようやく伸びました)
それと、点滴を重ねていくと血管が硬くなり針が入らなくなるので、後半は数カ所刺してようやく成功するなど点滴針を入れるのに30分以上かかることに。

2019年10月23日 職場復帰

抗がん剤治療中は休職する人の方が多いようだとは聞きましたが、抗がん剤を1サイクルが終わったところで、体調が良い時に数時間からでもいいので復職するようにとの話が。
職場まで徒歩5分、具合が悪くなったらすぐに帰れる距離ならではではあります。
最初の数日は3時間くらいの勤務で体力が限界だったので、早めに復帰したおかげで忙しい時期も働ける体力が戻ったかとは思っています。
有給をほぼ全消費したものの休職をしないで済んだのも翌年の有給日数に関わってくるので結果的には良かったかと。
しかし、もう少し休んで平成ライダーの見ていないシリーズを一気見する計画がー。

2020年4月 
放射線治療……の予定でしたが緊急事態宣言が

3月で抗がん剤治療が終わり、続いてホルモン療法と放射線治療。
国がんのメンテナンス都合で放射線治療のみ連携病院で受けることになったため、平日毎日5週間通う放射線治療を片道1時間以上かかる築地の国がんでなく近場を選択できるのは好都合。
築地まで毎日通うのだったらウィークリーマンションに泊まることも検討していましたわ。

電車が下り方向になる多摩総合医療センターに紹介状を書いてもらうも、しかしここで新型コロナの感染拡大が問題に。
ちょうどこの時期、3月には国がん中央病院、4月に多摩総合医療センターで院内のコロナ感染が発生していたのでした。患者に感染を拡げなかったのは流石というものなのですが。
放射線治療は毎日欠かさず照射する必要があるため、もし、私自身でなくとも職場で感染が発生して自宅待機となったら、また院内で感染が発生したとしたら。
放射線治療が確立してから、現代の医療界は治療を長期中断する事態を経験したことがなく、その場合の治療効果に我々は知見を持たない……。

既に緊急事態宣言が出されていた時期でもあり、とりあえず先送りにして二ヶ月後に改めて治療開始できる状況かを検討することに。

この時つい、私はSFでその時代に治療法のない難病患者をコールドスリーブで未来に託す様を連想していたのでした──

2020年7月〜9月 放射線治療

実のところ、復職してから腕のリハビリをまともにやっていない、ついでに言えばリンパ節を切除した左腋窩の痛みが八ヶ月経っても治らず、放射線治療を受けるにあたって左腕が頭の上まで上がらなかったため、今の状態では治療を開始できないとなったのですよね。

そこで整形外科に回され、凍結肩という関節が固まった状態のリハビリを開始。リハビリは結局、炎症を抑えるステロイド剤を出すから自宅で頑張れというものなのですが。

ともあれ、左腕が動くようになってオールクリア。7月下旬から放射線治療を開始となりました。
通院時間は少なくなったものの、仕事はどうするか、時短がいいなあ…。
と思っていたのですが、朝一に治療を受けに行って2時間出勤をずらせば間に合うならと、2時間ズレの遅番の形態でのフル勤務に。
治療は毎日受けにいく。終わったらフル出勤する。ハードコースだ。

なるべく土曜出勤の代休を平日に充てて通院→出勤の日を減らしたりしつつ(通院は平日のみなので土曜は出勤だけで済む)無事完了。

放射線治療は終盤〜終了後に副作用が起こるので、気分が悪くなったり皮膚が硬くなる、片側日焼け状態だったりしましたが、一ヶ月の経過観察が終わる頃には完全回復。

この先は

10月で放射線科の経過観察も終わり、標準治療はひとまず終了です。
7月の超音波検査でも胸部での再発は確認されず。
あとは5年〜10年ホルモン療法を続けることになりますが、あとは定期的な経過観察の通院になる見込みです。

ただ、次回の診察時に勧められたのが遺伝子検査
アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査により乳がんの可能性が非常に高いと診断され予防として乳腺切除をしたことがニュースになりましたが、アレです。
自分の場合は、発症年齢が基準以下であることと近親者にこの系統のがんを発症している人が複数いることで、保険適用で検査を受けられる対象なのだとか。
その結果で予防切除をするかどうかは別の話なのですが、とりあえず次回を戦々恐々として待つのでした……。

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