長女が教えてくれたこと。(2019年8月21日)
【長女が教えてくれたこと。】
人には自分なりの成長するペースってものがある。
いっぺんにたくさんのダメ出しをされたり、高い期待をされるのは本当に嫌で、
自分でスッ転んで自分で学ぶのを待ってくれ、と
最近の私は頑なにマイペースを守り続けてるんである。
それは、親のペースに合わせてひたすら勉強して東大に入ったけど気付いたら自分の人生なんか何もなかった、という人生最大の挫折から学んだことのひとつ。
誰かのいい子になるためじゃなくて、自分が自分自身の喜びのために学んだことしか残らないというのを痛いほど実感してきたからだ。
だから子ども達には子どもでいられる時間を十分に子どもでいてくれたらいいと思っているし、宿題でも勉強でも、そんなにガミガミ言ったことはない。
が。ついにやってしまったのだ。
4年生の長女先生は、都道府県を習うお年頃。
「47都道府県を全部漢字で書けるようになったらDSの桃鉄をやらせてあげる」というエサを、元ゲーム廃人みぽりんは娘の目の前にぶら下げた訳だがw、
エサの効果は強烈で、ものの数日で長女はその目標を達成した。
さすが我が娘。
…とここで欲を出したのがいけなかった。
全部の都道府県がどこにあってそれぞれ何地方かまで覚えろと、すぐさま次の要求をしてしまったのだ。
こっちとしては軽い気持ちだったが、長女先生は猛反発した。
ちっとも覚えようとしない娘にイラッとするのを抑え、ふざけてクイズみたいに話を振ったりもしてみたが、毎回長女は不機嫌になる。
そんな長女が、私との交換日記にこんなことを書いてきた。
「反発してごめん、でも私は自分のペースで勉強したい」と。
…そこではたと気付いた。
自分がやられたら嫌なことなのに、娘に対して全く同じことをしてしまったんだと。
娘には、私も同じなのにごめんね、とたくさん謝った。
それと、それでもうっかり言ってしまった理由も話した。
「あなたができないって思ってるからじゃなくて、
あなたがこのくらい簡単にこなせてしまいそうなくらい賢く見えてるからなんだよ」、と。
それは、私自身の長年の呪縛を自分で解く言葉でもあった。
私はずっと、周囲から期待されるのをただただ重いプレッシャーのように感じてきたし、
どれだけ頑張っても次々に高い要求をされて、
いつも溺れそうに苦しかった。
だから期待されるのが本当に嫌だったし、ほっといて、と思っていたけど、
でも口に出して反発することもできず、
頑張っても頑張っても期待に応えられない自分は何てダメなんだろうとずっと思ってきた。
自分が娘に期待をしてしまうという失敗を通して初めて、
相手が「できる子」に見えてるから期待をする、という思考回路を実感した。
なんだ、私、自分が思ってるよりできる子に見えてたんだ。
できないから怒られてたんじゃないんだ。
長年わからなかったことにこんなタイミングで答えを見つけられたことに、私は心底びっくりした。
子どもに教えるつもりが、もっと大事なことを子どもに教えられた。
今の私も、歌手として期待を受けることはある。
ありがたいな、と思う。
けどやっぱり私は私だから、私のペースでスッ転んだりして学んだことしか歌には出せないし、それでいいんだと思う。
それと同時に…ときには高い期待に泣かされるくらいの負荷をかけられても、私は必死に越えていけるんじゃないかという気持ちも芽生えてきている。
私はそれだけ期待されるに値する人間なんだ、だから大丈夫。
そんなふうに、期待を自信に変えていけばいい。
期待に流されて思い上がることもたまにはあるかもしれないけど、その時はその時で、またスッ転んで学べばいいから。
もうちょっとだけ、頑張ってみようかな。
そんなことを思ったのでした。
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