夢が叶った日。

大学生になるまで、自分で服を選んだことがなかった。
子どもの頃からずっと、母の趣味で選んだ服は、黒、紺、グレー、たまに茶色、と決まっていた。
その方がシックだから、というのが母の口癖だった。
ピンクのフリフリした服を、母はよく小馬鹿にしていた。
着てみたい、と言い出したら母に軽蔑されるのが怖かった。
いつしか私も、ピンクの服を小馬鹿にするようになった。
子どもは親を見て育つ。

時は流れて30歳を目前にしたとき、
多くの女子のご多分に漏れず、私は焦った。
もう若くなくなる。
ピンクとか着られなくなる。
その時初めて私は、今のうちにピンクを着ておかなきゃ、と思った。
自分の軽蔑していたものが実は「酸っぱいぶどう」だったと自覚した。
それと同時に、可愛いものが似合わない自分の酷い容姿を呪った。
ただでさえ私は自信がなくて自分をダメだと思い続けてきたのに、
更にピンクを否定してきた自分まで否定してしまった。苦しかった。

私がいかにして醜形恐怖を乗り越えてきたかを語るのはまた後日として…
そんな私にも可愛い女の子が二人生まれた。
彼女達を育てるときにいつも思ってきた。
私と同じ思いをさせたくない。
私は子ども達の服を買うとき、常に彼女達
の好みを聞いてきた。
長女が2~3歳の頃にピンク星人になったのは私の押し付けではない。
あくまで彼女がハマっただけだ。
ついでに言うと、私が着たくなかった黒や紺の服を彼女が好んで着るのにも、口は出していない。
たまにちょっと複雑な気持ちになることもあるけど。

大人げないけれど、
私は自分がしてもらえなかったことを当たり前のようにしてもらえる自分の娘達が少し羨ましいと思うときがある。
私はあんな服買ってもらったことない。
あんなふうに安心して甘えたことがない。
ふと鏡の中の自分を見て思う。
母が私を見てあんなふうに嬉しそうに笑ったことはない。

「大人買い」という言葉がある。
もう大人になったんだから、
自分の好きなものを好きなように買っていい。
私は時々、ピンクのフリフリした服をたくさん取り扱っているブランドのサイトを覗きに行く。
あれもいいな、これもいいな。
ある夜、眺めているところに背後から歓声が上がった。
「可愛い~!」娘達の声だ。
それ以来時々、子ども達と一緒にそのサイトを眺めるようになった。
なにせそのブランドには子ども服のラインまであるのだ。
子ども達と、可愛いね、欲しいね、と話すうちに、本当に買っちゃおうかな、という気になってきた。

もうすぐ長女の誕生日が来る。
コロナウイルスをできるだけ避けるために子ども達には学校以外ほとんど人混みを避けさせてきた。
でも、今回だけ特別に。
とある平日の午後、学校から帰った子ども達に超速で宿題と明日の支度を終えさせて、私達は空いたバスに乗った。
閑散としたショッピングモールの一画に、そのブランドのお店はあった。
子ども達が歓声を上げて真っ先に駆け寄る。

そこからは、まるで貸切状態での試着大会。
気になった服を、子ども達はとっかえひっかえ試着していった。

そして…
二人同時に試着室のカーテンを開けたとき。
「可愛いーーーーー!!」
頭のネジが飛んだみたいな声が私の口から漏れた。
本当に、お姫様みたいだと思った。
こんな可愛い娘達がこんな可愛い服を着たらこんなに可愛くなるんだ。
バカみたいだけど、本当にそう思った。
フリルとレースがいっぱいの服を着て満面の笑みの二人の娘を見て、
私は夢が叶ったような気がした。

そう、どんなに取り戻したくても、私はもう子どもの頃には戻れない。
けれど、今目の前で子ども時代を謳歌している私の娘達が、私の夢を代わりに叶えてくれたみたいで。
それは、とても幸せで満たされた気持ちだった。

結局私は自分の服は一着も買わなかった。
帰り道、買った服を大事そうに抱えて歩く娘達にお礼を言った。

娘達は少しキョトンとして、少し照れながら、でもとても嬉しそうだった。

私はずっと、大人になっても子どもの心を忘れないことが大事だと思っていた。
でも、子どもの心だけで生きるのは、もうそろそろいいかな、と思う。
子どもの心を大切に、大人として、大人の心で生きてみたい。

そんなことを思った、まだ蒸し暑い9月の夜でした。

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