ここで唐揚げ弁当を食べないでください/小原晩



大阪へ越してきた著者が東京での生活を振り返る。
仕事、家族、友人、恋。
どこか覚束ない足取りで歩んできた生活。
今、大阪から鳥の目で東京の街を歩いていた自分を書いてみる。
著者の胸に去来したものは何だろう。
ここに出てくる登場人物、お母さん、りんごちゃん、めろんちゃん、もちろん会ったことなどないのにみんな元気だろうかと考えてしまう不思議。
エッセイと短歌、小原晩の第一作。
「一生懸命生きれば生きるほど空回りするすべての人に捧げます。」(小原晩)


詩というものを考えていた。それは単なるワードバトルを超えたより深みのある文章体験。詩はむずかしい。ストーリーみたいなものは重視されない感じがするためさぼれない。連なる言葉、語彙、リズム、改行、文字の形、等々の一挙手一投足を取りこぼさずに五感をフルに駆使してイマジネーション。読む人のほうで積極的に文脈や意味を創造せんとする主体的な態度が求められている、瞬きも油断も許さない、総合格闘技……

などという詩のやばさを考えているときに、この唐揚げ弁当などに関するエッセイ集に出会った。近所の小さな個人経営の本屋で見つけたものである。エッセイが主だけれども、詩や短歌が各所に散りばめられていた、混合型の様相を呈している。


それは狩人と呼ばれた夏。
それは銀座の街が金色に霞んだ春。
それは暴力の、横で降る雪。


この3行が最も美しく感じられ、いちばん気に入っている。綺麗だ。季節のイメージと語彙のイメージとの融合がなんとも心地よい。狩人、銀座、金色に霞む、暴力、そして横に降っている雪…!それぞれの季節をどのように過ごしたのかをとても想像してみたい感じになる。で、なんと、これの解釈にかんするエピソードがエッセイ調で前置きとして綴られている形となっている。狩人と呼ばれた夏について、金色に霞んだ春について、暴力と雪について… 作者のユーモアに支えられた出来事(実は結構つらい感じだったりはする)に透かしてこの3行を読むのは、なんというか詩、詩の創造、詩の解釈、というものを考えさせられる丁度良い体験となった。

全体はユーモアの感じがさっぱりとしていて、めっちゃ小気味好い。結構な社会の修羅場みたいな出来事に見舞われているのに、淡々とこんなの別になんでもないみたいにユーモアしてくるから、カフェでひとりで5回くらい笑った。かと思えば、シリアスに悲しみを帯びた結末としている章もあったりして、はっとさせられる。エッセイ・短歌・詩、多彩なアプローチとユーモアで前向きを誘ってくれる、この新進気鋭の小原晩さんを推してみたいとおもった。


夢に向かって頑張ります‼