ケルト人の夢/マリオ・バルガス=リョサ



歴史小説の面白さは、時空を超えて、出来事を生身のようにダイナミックに追体験する高揚感だと思っている。過去の事実の羅列として確認するだけでは見過ごされがちな因果のひとつひとつを、なぞるように、零さないように、確かめるように読んでいくのには、知的好奇心を煽るのは然ることながら、人間の起こしたことに関する重要な考察や反省を促す作用があって趣深い。

この本は、ロジャー・ケイスメントという実在の人物を主人公とするお話。時は19世紀後半から20世紀初頭。アイルランド人で、大英帝国の外交官としてコンゴとペルーに赴き、ゴム農園で蔓延っていた先住民虐待・奴隷化を告発した英雄。と同時にその後、アイルランドの大英帝国からの独立蜂起を促した戦犯として捕らえられた反逆者でもある人物だ。

お話自体は、ロジャー・ケイスメントの人生を語るように進むものの、その流れが当時の歴史ロジックときれいにリンクしている感じに気づく。なので最初混乱する。いま自分が歴史小説を読んでいるのか、小説を読んでいるのか、わからなくなるからだ。

小説が、登場人物の心情の描写に重きをおくものを前提するとき、この本はそうである。だって私はロジャー・ケイスメントが好きになっていた。先住民の虐待を告発するために中央政府と闘う人権派。敬虔なナショナリスト。と同時に真っすぐで、神経質で、不器用で、人間的な、アイルランド人。彼は理想に燃え、差別や暴力に怒り、エネルギーに満ちて行動を起こしていく小説的な人間である。

が、同時に、明らかに歴史小説だ。ロジャー・ケイスメントの人生として読んでいるのに、私は同時に帝国主義、植民地化、先住民への虐待、そしてイースター蜂起、このような歴史事実を歴史小説のセオリーかのようにダイナミックに追体験もしていた。

こうした大きな時代の流れの描写に、ロジャー・ケイスメントの丁寧に、繊細な心情描写が全然埋もれない。だからやばい。なお語られるのは、当時の時代背景は一個人にいかなる影響を与え、個人が行動を起こし、歴史に影響を及ぼしていったのか、という破格の相互作用。この点が特異で、恐ろしいほどの技術に感動して、痺れて、酔って、空中ふわふわ浮いていた。

そんな不思議で高い次元の世界に運んでくれる本書を薦めるのだが、いちおうすこし世界史の復習しておくとよい。欧州のキリスト教事情、帝国主義の大義名分、第一次世界大戦の戦況、それだけ。それだけをWikipediaあたりで復習しておけば、面白すぎて500ページほどある長編が一瞬の物語のように感じてしまうだろう。

なお、マリオ・バルガス=リョサはペルー出身の小説家。ラテンアメリカ文学の先駆者的な存在で、「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」として2010年のノーベル文学賞を受賞した。ペルー大統領選に出馬して落選したり、85歳とかなのにいまだに長編書き続ける人外のパワーが魅力的な作者。


夢に向かって頑張ります‼