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流れないのが海なら

東京で暮らしていたころ、「死にたい」という感情はいつも心のわりあい浅いところにあって、ごく自然なものとして毎秒その存在を認識していたのだけれど、この町で海を眺めていると、あまりそう思わない。それは「死にたくない」だとか「生きたい」だとかいうことではなく、単に「死にたいと思う瞬間が少ない」というだけのことなのだけれど。

ふた回りほど年上の先達に数年前から、「わたしが先に死ぬから、骨はこの海の、わたしのお気に入りの場所に撒いてほしいの」と、ことあるごとに頼みつづけている。すべての非論理を飛び越えて、毎回ごくフラットに「聞き届けた」と言ってくれるのがうれしいのだけれど、たまに強めの希死念慮が言葉尻に滲んでしまう日があるようで、一度真顔で「どこか身体でも悪いのか」と問われたことがあった。

人の死を悼んでふたりで泣いた夜を覚えているから、わたしたちにとって死はそれなりに身近で、けれどだからこそ、喪失が痛いことも知っている。おそらく結構心配されているのだろうと思うものの、彼は個人の感情を個人のものとして心の裡に留めたり適切に尊重したりすることを知っているひとなので、「死ぬなよ」でわたしの感情を否定することも、「澪が死んだら悲しいよ」でわたしに罪悪感を覚えさせることも決して選ばず、代わりにわたしがあれがしたいこれが見たいと駄々を捏ねるたびに「欲の深い人間は死ねないな」と笑い、「まだ澪の見ていないものがある」とわたしの知らない世界の美しさを教えてくれて、彼がわたしに手渡すそういう言葉は、安直な感情よりもよほど、わたしを生かしてくれる。

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共通の知人を交えて飲んでいたらなんだか楽しくなってしまって、珍しく日付が変わるまで酒場にいた。開始から6時間が経過した飲み会はもう、誰にも正常な理性は残っていなくて、向かい合った足がテーブルの下で触れたとき、彼もわたしも引かなかった。一度離れたあと、触れなおしたのはお互いに意図的だった。数年前にもあったシチュエーションだなと思い出して、彼にも「人恋しい」というような感情はあるのだろうか、とぼんやりと思った。いつも斜に構えていて、あまり感情を表に出さず、他人への期待というものを持ち合わせることを己に禁じているようなひとだと思う。彼の魂は、いつも鎧を着こんでいる。けれどそういう、普段目が笑っていないひとの目が、海を見て輝くのを見るのが好きだった。

軽口のはずみに平生彼とわたしの間でだけ許容されている気安い悪口を返してしまったら、知人が「彼にそれを言えるのは澪ちゃんだけだなあ」と呆れたように笑って、「澪と話すのはいつも楽しいんだよ」と彼がふと真顔になった。「こういう経歴の人間はやっぱり皆こう喋りが上手いのかね」と首を傾げる彼に知人は、「いや、澪ちゃんが圧倒的にコミュニケーション強者なだけで、これは外れ値」と返すので笑ってしまった。

自認としてはコミュニケーション能力はそう高いほうではないと思っているものの、「コミュ力と社会性の塊」と評されることはときどきある。それは概ね、人間関係をすべて接客で乗り切ろうとするわたしの過剰適応によるおもてなしへの評価でしかないのだけれど、わたしは彼と話すとき珍しく素のわたしでいる。別段合わせようとしていないし殊更に楽しませようともしていない。それでも、彼との会話はいつもうまく噛み合って流れていく感覚がある。無言の時間すらも心地よくて、彼がうつくしいものを見てこちらを振り返ってにやりと笑うとき、ああ、共有したいと思ってくれたのだな、わたしとなら共有できると思ってくれたのだな、といつも嬉しかった。あの瞬間彼は、わたしに対してだけ、普段の鎧を脱いでいる。

好き嫌いのはっきりした彼がわたしを「好き」枠に入れて、「お前といるのは楽しいよ」と言葉でも態度でも示してくれるのを、得難いことだと思う。週に一度のペースで7時間ぶっ通しで話しつづけられるくらいに「楽しい」を共有できていることが嬉しくて、わたしは彼にとりとめもない話を投げかけつづけてしまうのだけれど、どんな話題でも適切な温度感で相槌や突っ込みを返してくれる彼は、ものごとの本質を理解するのがとても早い冴えたひとなのだろうな、と思う。その言葉選びも思考の綾も心地よくて、ふたりの間だけで通じるコンテクストを孕んだ語彙や慣用句をたくさん積み上げてきてしまった。探りあうというよりも開示しあうようにして彼と思考回路を混ぜ合わせるのが、純粋に楽しかった。

そういえば先日別の飲み会で同席したときに、酔った彼が「僕と澪は精神的にデキてるもんな」と笑っていたのが嬉しかったのを思い出した。愛するものに対する彼の価値観と熱量に共感しつづけ、彼の生きざまとプロフェッショナリズムを尊敬しつづけている。時折一緒に仕事をすることもあって、今もうお互いの愛するものに向き合っているときや仕事をしているときの脳内はほぼシンクロしているといっていいほどだと思う。わたしは興味の湧いた男とはつい出会い頭に寝てしまいがちなのだけれど、そうせずに数えきれないくらいの時間と経験を共有し、会話を重ねて、そうやって関係を築いてきたひととのあいだの信頼は、勁くて、安心する。

わたしが素顔で話せるほどにわたしを受け入れてくれていることにも、話すのが楽しいと思えるほどに自己開示してくれていることにも感謝している。彼は、迂闊に触れれば手が切れそうな鋭利なエッジを持っているひとだと思うけれど、年齢なりの老成や円熟に加えて他人への興味のなさがそのエッジの上に淡く積もって、人を傷つけさせないでいるというだけなのだろう。彼のそういうところが好きだし、抜身の刃のようなその魂をわたしには隠さずにいてくれることが嬉しかった。彼の生き方を、うつくしい、と思う。彼がわりと早い段階から淡雪を払ってエッジを見せてくれていたので、わたしはそのうつくしさに惹かれることができた。あのエッジを知らなかったら、ここまで興味を持っていない。

飲み会帰りの夜道でふたりになったとき、ちょうど上弦の月が山の端から顔を出して、平生空に興味がないと言い切っている彼が「お、綺麗だな」と珍しく視線を上げて空を見たので、顎に指を添えて無理やり上を向かせてやった。深夜のオリオンが月明かりに負けずに瞬いていて、冬に向かう空だなと思った。数年前はこの温度感で手を繋いで帰ったのだったけれど、その夜はふたりともすこし酔い足りず、お互い手を伸ばしはしなかった。次の日ばったり会ったときに「首大丈夫だった?」と揶揄ったら、「おー、なんとか」と笑っていたので、ああ、ちゃんと記憶にあるのね、と思った。「精神的にデキてる」というあの台詞が意識的に吐かれたものならば、それだけでもう彼への好意は昇華されたな、と思った。身体をつなぐのは容易いことで、心をつなぐほうがよほど難しい。

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足先を触れ合わせたあとの帰り道、凭れるように指先を絡めてみたら案外ひとつも抵抗されず、随分酔っているせいもあってか、今日の彼はわたしに甘いな、と思う。お互いの家庭やパートナーの話をしたことはあったし、わたしにとって彼はずっと「男」だけれど、なんとなくわたしに対して「男」の顔をすることはないひとだと思っていたから、分かれ道で一度手を離したあと、ちょうど彼が家に着いた頃合いを見計らって電話を鳴らしたのは、分が悪いと知りながらもなぜか今日が唯一のチャンスのような気がして出た賭けだった。「もう一杯だけ飲まない?」に「いいけど、うちに今酒は一滴もないぞ」と彼がいつものフラットなトーンで発声するので、わたしは自分が勝ったのか負けたのか分からないまま、「じゃあそこの交差点の自販機でお酒買って波止場で飲みましょ」を繰り出してしまった。

10分ほどで戻ってきた彼と、缶ビールを片手に海沿いを歩く。ベンチに腰を下ろそうとしたわたしに彼は「船で飲むか」と笑い、「あら素敵」と返しながらも、アルコールに浸されたわたしの脳は混乱の度合いを増す。彼のボートには乗り慣れているけれど、夜足を踏み入れるのは初めてだった。この季節にしては珍しいほどの凪が続いていて、係留されているボートは微かな波音を立てながらも身じろぎしない。月のない夜に、港のオレンジの街灯が彼の横顔の輪郭を照らした。彼の人生観がそのまま刻まれたようなその造形を、とても好きだと思った。

やがて落とされたキスがやっぱり意外で、思わずまじまじと顔を見てしまった。「澪とはいつかこうなると思ってたんだよ」と彼は言って、わたしの「どうして?」を飲み込むようにしてもう一度唇を重ねた。唇の厚くない男にしてはキスがどこまでも柔らかくて、とても繊細なひとなのだな、と改めて思った。「でも、今夜だとは思ってなかった」と彼が笑うので、今夜があってよかった、と思った。

デッキにふたりぶんの服が散らばってゆくにつれて、溜息のように落とされる「エロいなあ」はフラットから揺れて明確にやさしくて、ああ、抱きたい程度には興味を持たれていたし好かれてもいたのだな、とわたしは妙に安心する。「いつかこうなると思ってたんだよ」が酷く嬉しかったのは、長年じゃれるように好意を伝えつづけてきて、彼からも「好きか嫌いかで言うと好きだよ」程度の感情が返ってきているのは分かっていたのだけれど、蓋を開けてみたらもうすこし強度と粘度のある情が向けられていたから、ということになるだろうか。その「いつか」に彼は、わたしの抱き心地を想像したのだろうか。だとしたらそれは、とても甘美なことだと思った。

ある程度の確かさがそこにあることは分かっていたし、ある程度の温度があるとも感じていたけれど、粘度があるのは知らなかった。嬉しかった。彼とわたしの間にあるのは水のようにさらさらとこぼれ落ちてゆくものばかりだと思っていたのに、彼の情がわたしの身体にも心にも絡まる。穴を塞ぐものとしてではなく優しく包まれるものとして、彼の情を受けとめている。

好いた相手に性的な目で見られるのも性的な意味でほしいと思われるのも嬉しいけれど、セックスで埋めたい心の穴がもうないことを、人間的成長と呼んでよいだろうか。必要とされているということをベッドの上でしか感じられなかったわたしがもういない。かわりに、わたし自身を求めてくれたりわたしとの関係性をたいせつだと思ってくれたりするひとがいることを知って、信頼して、納得した。わたしは案外、たしかなものを築いてきたのかもしれない、と思った。

彼の心は堅牢で、たぶん、穴がない。穴のない男にはわたしを抱く必然性がなくて、そしてたぶん、わたしに穴がある間は、彼はわたしのことを抱かなかっただろうと思う。同じものを愛しているわたしたちが世界を見る目はおそらくもうかなり似通ってしまっていて、だからこそ、わたしにとって今だったのなら、彼にとっても今だったのだろう。気が合って話が合って価値観が合って、お互いに魅力的だと思える異性とは、もはや寝ない理由を探すほうが難しい。


触れかたが思ったよりやさしくて、好き嫌いの明確な彼が愛しているものたちのうちにわたしも含まれているのだと、わたしはそんなところで実感してしまう。声を殺せなくなってきて手の甲を噛むわたしに、彼は笑って立ち上がり、わたしの手を引いてキャビンに入った。普段荷物置きにしているソファがフルフラットに形を変えて、この先もうこれを正視できない、と思う。日常の中でこれまでも彼は「こうすればお前は快適だろう」をたくさん差し出してくれてきたのだけれど、キャビンの戸を閉めて、「こっちなら好きなだけ声出せるだろ」と笑った彼に、どうしようもなく胸が詰まった。きちんと主導権を握ってくれる男で安心する。相手のそういう思慮とわたしの崩れかたのコントラストに、わたしは欲情する。

動物を見慣れて、触れ慣れているひとの触れかただな、と思う。なにも言わなくても、すべてが適切だった。相変わらず顔はすこしも見られなかったけれど、彼の名前はもう呼び慣れてしまっているせいか酷く舌に乗せやすい。喘ぎに混ぜて壊れたように名前を呼びつづけるわたしに、彼が落とす「エロいなあ」は途中から「可愛いなあ」に変わっていって、脳が蕩けるかと思った。合間にきちんと名前を呼んでくれるので、ああ、彼は今ちゃんとわたしを抱いている、と思う。おざなりでなく、記号でも何かの仮託でもなく、ただ、わたしという人間への一定の好意をもってわたしを抱いている、と思う。このひとのセックス仕草もとても好きだな、と思った。

手を伸ばしたらちゃんと掬い取られたのが嬉しかった。鋭利さをいつも飄々とした態度で包んでいた男が、肌に触れると突然人間らしい温かみを差し出してきて、わたしは溺れそうになってしまう。心の裡に誰よりも熱い情熱を秘めているひとだと、分かっていたはずなのに。箍が外れてきてごめんなさいごめんなさいと泣き喘ぐわたしに彼は「なにがごめんなさいなんだよ」と笑うので、わたしは「わたしばっかり気持ちよくてごめんなさい」と、うっかり本音をこぼしてしまう。彼にも気持ちよくなってほしかった。わたしで気持ちよくなってほしかった。

交代したつもりがすこし好きにさせてくれたあとに結局姿勢を入れ替えられ、ついには顔面騎乗に誘導されてまたわたしばかりだと思いかけたところへ、「これでいいんだよ」と優しい声が届いて、彼はわたしが口にしたすべてのことばをいつも適切に理解してくれているのだ、と不意に気づいてしまった。このひとでよかった、と思った。もうずっとこうしてきたかのような安心感が、わたしを素直にさせる。彼にわたしを晒すのは気持ちよくて、挿入を懇願した挙句に全身でしがみついてしまった。思考回路を混ぜ合わせ尽くしたら、身体を混ぜ合わせたくなってしまった。触れずに重ねてきたものがこんなにもあったのに、まだ重ねられるものがあったことが嬉しい。


抱かれることよりもちゃんと腕枕が差し出されることのほうに、わたしはぐっと来てしまう。キスを強請るわたしに、「澪の味するよ」と彼が笑うので、「いいよ」とわたしも笑ってそのまま唇を重ねた。キスがやさしいと、ああ、ちゃんと統制されている、と思って安心する。わたしがわたしを見失っても、彼にはわたしを見失わないでいてほしい。船底を波が洗う音が、微かに鳴りつづける。

彼がごくフラットなトーンで、「澪とはいつかこうなると思ってたんだよ」と何度も言うので、「こうなってもなにも変わらないでしょう」と頭を撫でた。ただ、まだ知らなかった表情をひとつ知り、まだ知らなかった肌の温度を知っただけだ。「そうか、変わらないか、変わらないな」と彼は笑って、わたしは彼の頭を思う存分撫でてたいへんに満足した。ずっと、その肌に触れたかった。


どこへも行けない船の上で夜が明ける。カーテンのないガラス越しの薄明るい空が、彼の輪郭をすこしずつ描き出す。もう一度わたしを抱いたあと身体を離した彼はちゃんといつもの彼で、ああ、これまでの日々の延長線上を生きていける、と思った。触れてみて改めて、とても肌馴染みの良い相手だったな、と思う。これほどにナチュラルなのはたぶん、精神的にきちんと繋がってから身体を繋げたからだ。わたしはそういうことを、これまで一度もしてこなかった。論理的な話をしつくした相手とするまったく非論理的なセックスはとてもよいものなのだと、彼と知れてよかった。

まだ柔らかな朝の光の中で、脱ぎ散らしてしまった服がほんのり湿って肌にまとわりつく。ドリンクホルダーに缶ビールが放置されていて、空けて捨てようと手に取ったら、2本とも2割も減っていなくて、下手な口実を口実と知りながら乗ってきてくれたのだなと思った。

空には秋の雲がたなびいていて、綺麗よと声をかけたら、相変わらず気のない返事が返ってきたけれど、それでも見上げてくれている気配がして、あらぬ方向を眺める彼に「そっちじゃなくてこっちの空!」と笑ってしまった。

***

大丈夫、変わらずに続いていく。続いていくけれど、なかったことにはしないしさせない、と思う。わたしは彼がどれだけ柔らかく触れてくれるかを知ってしまったし、彼はわたしがどれだけ甘ったるい声で名前を呼ぶかを知ってしまった。知らなかったころには戻れないし、べつに戻らなくていい。知った上で、このひとのことが好きだと思い合っていくだけだ。

わたしたちは、同じものを愛している。この町でいちばん楽しそうなわたしをずっと見てきたのがおそらく彼で、彼の隣でこれからもずっと笑っていたい。そして、めったに目が笑わない彼がたまに浮かべる悪戯っ子のような無防備な笑顔を、この町で2番目にたくさん見ている女になりたい。接客でも嫌味でもなく、心の底から「あなたの価値観や生き方が好き」「あなたのこういうところを尊敬している」と思えて伝えることのできる相手がいるのを、とても幸せなことだと思うし、生きてきてよかったと思う。

わたしにとっての「生きてきてよかった」は、いつからか「もう死んでもいい」とセットになってしまっている。わたしたちは、好きで好きでたまらないものを、そのために生きて死ねると思えるものを見つけてしまったのだ。それを彼と共有できていることを、酷く嬉しいと思う。彼の隣で見る海を、死ぬまで一生愛しつづけていけると思った。

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