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その鼓動を忽せに

この夜の底に縫い留められて、あのひととふたり溺れたとしたら、先に息が続かなくなるのは、きっとわたしだ。

第三夜

明け方からまた降りだした雨は、夜のさなかのわたしの吐息や寝台の軋みまでもその低層に隠して穏やかだった。濡れた下草を踏みしだき、水滴をたっぷりと纏って咲き誇るハイビスカスの脇を抜けて、朝靄の町であのひとはわたしの手を引かない。半歩前を歩くあのひとのシャツに、雨粒が幾何学模様を縫い込んでゆく。町中がのびやかな湿度に包まれて、ちいさな交差点はすこし滲んでいた。

別れ際には振り向かないことにしているので、短く言葉を交わしたあと背を向けて、仮想の白線の上を、踏み外さないように一歩ずつ進む。「昨日も会った相手だろうが、今日が永遠の別れになる相手だろうが、出会い頭には最高の笑顔で迎え、別れ際には決して振り向くな。」 昔の男が教えてくれたことを、わたしは今も忠実に守っている。

次第に濃密に纏いつく雨の帳を摺り抜けるように足を早め、やがて走った。あのひともまたきっと、遠ざかるわたしの姿を見送らずに背を向けているのだろうと、確信に近い予感を抱きながら。

***

「今夜も会いたい」を素直に言えないのは、あのひとが今なぜこの町にいるのかとか、あのひとが何を愛しているのかとか、わたしがおぼろげに知っているなにかそういうたいせつでうつくしいものに、あのひとが全身で浸ることを妨げたくないからだ。己の愛するもののために、時間と労力を費やし熱を注ぎ、それを仕事にまでしてしまい、ときに何かを捨ててさえきたひとだと知っているから。わたしも、そうだから。

けれど、週の始まりのルーティンを淡々とこなしながらの他愛ないメッセージのやり取りの中で、前の返信から30分間をあけて追い打たれた「今夜はゆっくり休んで」、は、わたしの心に軟着陸し損ねた。文字通りの優しさなのか、「明日は朝早く出るから今夜は来るな」という牽制を含意しているのか、「会いたい気持ちはあるがお互い明日は早いから」という大人の対応なのか、測りかねて持て余す。悩んだ挙句に、意図を取りかねていることをそのまま伝えたら笑われた。

言いたいことを言いたいように言い捨てるのは、本来本意ではない。相手の心の底など読めないのに、こっそり正解を探す癖はいまだに抜けない。正解を探す癖がついているから、安易に解釈するのが怖い。最適解を見つけられないときはただ自意識の沼に沈むだけだ。そんなわたしだったから、わたしが相手の意図するところを読もうとしていること、読みきれなくてもどかしく思っていること、をなんのひねりもなくそのまま伝えてしまったのは初めてだった。あのひとであれば伝えたい、伝えてもいい、と思ったのだった。

「会いたいか」と問われ、もう二度と会わないかもしれないから、今夜はわたしが負けてもいいと思ったけれど、「おいで」はあのひとの口から聞きたくて少し駄々を捏ねた。

***

好きな映画の話、は、正しい前戯だと思う。

三度の飯より映画が好きだと笑うあのひとが、3本並べてどれか1本あげると言ったから、「潜水服は蝶の夢を見る」を選んだ。あのひとの指や唇や肌の温もりを思い出した夜に、大事に観ようと思う。自然のつよさや映像のうつくしさを愛でるひとであることは予想がついたけれど、フランスもののシニカルさを好むひとであるのは新しい発見だった。紡がれる言葉から立ちのぼる気配や、肌の奥から湧きあがる匂いから、少しずつ相手のことを知っていく時間は豊かだ。

誰かが何かを愛しているのを見るのがとても好きだ。その愛がわたしに向いていないのもとても好きだ。だって、なにも返さなくていいから。そして、何かをきちんと愛している人が、その愛の対象について語ってくれるのを聞くのがとても好きだ。初対面の誰にでも開示するような話しぶりではなく、3回目に会ったあたりでようやく問わず語りに教えてもらえるような、そういう話。どうせ寝るのなら、バックグラウンドごと抱き合って紐解き合うのが面白い。身体だけでなく、心まで腑分けしあうようで。

わたしがわたしの好きなものの話をひととおり終えかかるころ、あのひとは適切な相槌を打ちながら合間に脈絡なくキスを落としてわたしの息を乱し、さりげなく肌に触れては、ついにわたしを語れなくさせた。今夜は雨も風も息を潜めているから、わたしも息を止めて、夜に潜る。わたしが好きなのは、潜った先にいるものだ。

***

あのひとは、息を上げず鼓動も乱さずにわたしを抱く。

それがなんだか悔しくて、「心臓のはやさが変わらない」と拗ねてみたら、「スポーツ心臓なだけ。きみに興奮も欲情もしている。してなきゃ抱かない。」と返されて、ああ、わたしのほしいことばを的確にくれるひとだな、と思った。

わたしを抱いても、心身の統制を失わない冷静なひとは魅力的だ。で、そういうひとがわたしの耳元で押し殺すように零す濡れた吐息だとか、ふとした瞬間に息を飲むことだとか、触れた肌の熱さだとか、ああこのひとはちゃんとわたしに欲情しているのだ、と知る瞬間が、わたしをどうしようもなく欲情させる。触れられると無意識に腰が動いてしまう傾向にあるのだけれど、あのひともわたしに触れながら緩やかに腰が揺れていて、ああ、うれしい、と思った。

騎乗位で挿れてもらえずに跨ったまま焦らされながら、延々と太ももから腰にかけてを撫で回されて、気が狂いそうになった。ほしくてたまらないのに触れられるのはきもちよくてでももっと先があるのを知っている。核心でもない箇所を撫でられているだけなのに声を上げるわたしを見て、あのひとは満足げにわらった。「好きな女がよがっているのを見ると満たされる」とあのひとは言い、わたしはわたしをよがらせて満たされる男を見ると安心する。

快感に逃げかかるわたしを逃がすまいと、わたしの腰や肩を押さえる人は多かったけれど、あのひとはそっとわたしの頬に手を添えた。つよく押さえられているわけでもないのに、なぜか動けなくなった。与えられるままを真向から受け止め続けていたら、わたしの鼓動も息も声も、もう嘘を吐けなくなってしまった。

***

4時半には仕事に出かけるというあのひとに合わせて、丑の刻を少し過ぎたころに部屋を出た。夜が明けるころ、「これが朝焼け。で、これが俺の好きなもの。」と、2葉の写真を添えたメッセージが届いた。

夜の底で高鳴ることのなかったあのひとの胸が躍る音を、たしかに聴いた、と思った。

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