彼にワルツを、わたしに餌を

好きだと言ったら好きだと返してくれる相手がいいし、好きだと言われたら好きだと返したくなる相手がいい。

***

追い込まれると余計に殻に籠るタイプの彼にいま縋ったところで、勝算など欠片もないことは分かっていたから、一言も異を唱えずに手を離した。理性で女を選ぶ彼の態度を寂しいと思わないといえば嘘になるけれど、わたしはそれ以上に、愛に我を忘れる人のことを好きになれない女だから、きっとこれでよかったのだろうと思っている。いま理性を維持して手を離せる程度には、彼のことをちゃんと好きだった。

もう陳腐な言葉しか出てこないから眠ってしまったほうがいいのは分かっているのに、誰も隣にいない夜は、指先から感情を絞り出すようにただ言葉を噴き零している。どうしてこんなに会いたいのだろう。どうしてこんなに、彼の温もりが恋しいのだろう。どうしてこんなに、わたしに触れた彼の指先の感触を思い出すのだろう。

酔ったわたしに好きだと告げたあの日の彼が悪いのか、ディテールを記憶しすぎるとこういう弊害があるのを忘れていたわたしが悪いのかは分からない。けれど、夜が更けるとひとつひとつの記憶が痛いほどに心を刺す。キスされながら、抱かれながら、わたしからもどうにかして触れていたい、などと思ったのは初めてだった。

別れてからも何度か顔を合わせたけれど、結局のところ、「ほかの女が彼に触れたら嫌だ」がすべてだと思った。誰かに触れさせるためにその手を離したわけではない。わたしの前で気を許して酔うのなら、その隙に付け込んで触れたくなってしまう。

***

飲んでも飲んでも、心の奥がどうしようもなく冷えている。金曜の夜をわたしと浮かれて過ごしたい男が、酔いの回り始めた手つきでわたしのグラスにアルコールを注ぎ足してくれる。下心を抱かれているのは知っているけれど、愛されていないのも知っているし、何より自分がこの男を愛していないのを知っている。きっとこの男には、触れても触れても満たされない。

唐突にiPhoneが震えたと思ったら、「今日星が綺麗だよ」と彼からのメッセージがポップした。酒場の喧騒がくらりと歪んで遠ざかり、わたしの周りに真空が落ちる。脳内でうわんうわんとなにかが脈動する。わたしたちは付き合う前何度かその言葉でお互いを誘ったけれど、彼は今さらどういうつもりで同じ言葉を紡いでいるのだろうか。それでも、何の期待もできなくても、会いたいと思ってしまうわたしは愚かだろうか。

返し方は随分逡巡したけれど、わたしは結局酔いに任せて、戯言のように甘えた「会いたい」をタイプしてしまう。どうせ初めからわたしの負けなのだから、もうどうにでもなってしまえと自棄になる。今ここでこの「会いたい」を吐けない関係なら、きっともう一生吐けないままだろうと思った。好きだから手を離した。好きだから手を伸ばした。離したのは彼だし、取るか取らないかも、どんな取り方をするかも彼次第だ。

彼も近くで飲んでいるのだという。酔ったときに甘えたくなったり触れたくなったりする相手に対して抱いている感情は、恋であるかどうかは措くとしても、安心感と性欲の混合物であろうことには間違いないし、高度に混ざり合ったそれはもはや恋情と見分けがつかない。彼はたぶん、そこの峻別を過たずにできるほど器用な人間ではないということを、わたしはもう知ってしまっている。

たとえばわたしに会いたいと思うかどうかも、たとえば「わたしがいるから」があなたの動機になるかどうかも、たとえばわたしに触れるか触れないかも、あなたが選べばいい。それでいい。わたしはあなたの選択を100%肯定するし、あなたを咎めも歪めもしない。あなたの「会いたい」も、おそらく「触れたい」でさえも、すべて受け入れるだろう。それが、わたしを、満たすから。


逃げるように酒場を飛び出して、落ち合ったのは結局いつもの海辺へと続く坂の上だった。海沿いの町の天気は変わりやすい。最初のメッセージから2時間が経過した空には案の定もう雲が広がっていて、わたしたちは口実を見失ってしまう。歩を進めかけるけれど、風のない夜、街灯も月の光もなくて、わたしには先が見えない。すべて彼次第でいい。

ふ、と後ろから彼の腕が回る。どんな形かはともかくとして、彼はいつかまたきっとわたしに触れるだろう、と確信して手を離した1か月半前の自分が脳内で「ほらね」と笑うので、跳ねる心臓を諫めながらちいさく微笑みを返した。

彼は、なにかをなぞるようにわたしの手を掬い取り、肩に触れ、顔を寄せて、あからさまな躊躇いを滲ませながら、それでも何かを決意した声で、「あれから彼氏できた?」と問う。「さすがに2ヶ月足らずじゃできないよ」と笑ったら、「そっか」と彼が黙るので、わたしは「できてたほうがよかった?」と意地悪な駄目押しをする。自分があれから誰と何回寝たかはもう覚えていないけれど。すこし掠れた声が、「…できてなくてよかった」と呟く。

「きみを忘れられなかった」

女として受け取るのに、これ以上の台詞などないと思った。

振り向かないまま、「あなたが好きよ」とだけ返したら、彼が息を飲む気配がした。「好き」という言葉を吐くべきタイミングの見極め具合が我ながら情け容赦ないなと思う。もっとも適切なタイミングでもっとも適切な言葉を吐けるくらいには成長した。大丈夫、もうちゃんとやれる。それだけ、己の屍も誰かの屍も踏み越えてきたから。

***

「うちに来る?」に逆らえるわけなどなく、彼は確かめるようにわたしに触れる。

「ここにほくろがあるの、知らなかった」
「覚えて」

覚えて。わたしのからだを。隅から隅まで触れて、なぞって、記憶して、反芻して、脳に焼きつけて。二度と忘れないで。

やがて押し入ってきた先端が、記憶にあるよりも張り詰めていて、ああ、興奮しているのだな、と身体のいちばん深いところで感じる。彼がわたしに欲情しつづける限り、わたしは彼のことをただしく好きでいられるだろうと思った。


痛飲した夜に執拗にキスを強請ってわたしを泣かせたことも、そのあとわたしの指を咥えながらわたしの膝で寝落ちしたことも、記憶にないんだよという彼の言葉を容れたふりをしている。あの夜があったから、「彼はきっとわたしのところに戻ってくる」と信じて待てた。わたしは彼とでなくても寝れる女だし、彼はたぶんわたしがいなくても生きていける男だけれど、それだからこそ、選び選ばれたことに意味があるのだと思いたい。うつくしいものばかりではない。それでもいい。

「わたし」を忘れられなかったのか、「わたしのからだ」を忘れられなかったのか、「わたしというストーリー」を忘れられなかったのか、は今のところどうでもいい。ただ、彼がまたわたしのところに戻ってきた、いまはそのことを喜んでいたい。

「あなたは床上手だから、一度寝たら男はあなたを手放したがらないわよ」と言った占い師も、「男がきみの身体に飽きるのと、きみがその男に関するストーリーに飽きるのとだと、ほとんどすべての場合において、後者のほうが早いだろうよ」と言った男も、なかなか正鵠を射ていたとは思うのだけれど、彼はわたしを飽きさせてくれない。

わたしが惚れるのはいつだって、わたしを容易く放置する男だ。わたしを容易く傷つける男だ。呼べば必ず応えてくれる相手はとてもたいせつだけれど、けれど、それまでだ。わたしはそういう男を愛し抜けない。

復縁、ということばで形容される帰結を辿ったのは人生で初めてなのだけれど、結局のところわたしはなにもしていない。どうしてほしいともどうしたいとも言わないまま、ただ変わらずに同じ場所で待っていただけだ。そういう振る舞いに彼が、安心したり、惜しくなったり、帰りたくなったりするという確証があったわけではない。ただ、そうすることしかできなかっただけだ。それが今のふたりの関係性において最善の振る舞いだと諒解していただけだ。

ふたりになれる機会はいくらでもあったけれど、なんとなく、離れていたあの期間にもし寝ていたら、彼は戻ってこなかっただろうという気がしている。



彼に抱かれることはわたしをこのうえなく安心させる。わたしに触れる手や唇に滲む感情を、「きみを好きだよ」だと読み取ることを許されたのだと思いたくなる。

わたしのゆるい揶揄いにあっさり乗ってきてくれたなめらかさ、酔った勢いでわたしを抱かなかった理性、一緒に過ごす時間の快適さ、ふたりで楽しめる話題の豊かさ、落ちるキスの執拗さと熱、汗を拭ってくれた指先、撮ってくれた写真に滲む感情、ただ彼に対してひらかれてあるわたしのところにこうして帰ってきてくれたこと。

「釣った魚に餌をやらない男」を自任しているのは知っているのだけれど、ただわたしの一存で、それらすべてを、愛と呼んでいいだろうか。

「愛されている」と判断しうる片鱗を鵜呑みにできるほどもう純情ではないけれど、ときたまこうして餌を与えられて、釣られた魚はあっさり欣喜する。


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