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これまでもこのさきも

4年前からこのひとだと思っていたわたしの目は、やっぱり確かすぎるなと思う。

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すこし苦しい出来事があったので、一杯付き合ってくれませんかと彼にLINEをしたら、「いいよ、ちょうど冷蔵庫からビールを出そうとしたところだった」と返事が来た。秋の初め、どうせ叶わないだろうと高を括った「今度ふたりで飲みましょう」を案外あっさり承諾されてしまったので、食い気味に「いつ!?」と言ったら「10月中には」と約束するようにテーブル越しに右手を差し出されたことを覚えている。それがもしかしたら、初めて肌に触れた瞬間かもしれなかった。

わたしは飲み会の調整役になることが多くて、そういう実務連絡ばかりが折り重なったまま10月末になり、「わたしとも10月中に飲もうって言ったくせに、酔っ払いの戯言だったのね」と珍しく恨みがましいことを言ってみたら、「ちゃんと覚えてるよ。11月に延期」と返されて、相変わらずいなされているなと思ったことを覚えている。そのまま抱き合って眠った夜が来て、結局11月の末になってようやくこんな形で、「ふたりで飲もう」が果たされたのだった。

1本目の瓶ビールは彼が注いでくれたけれど、2本目の途中からは結局いつものようにわたしのほうが目敏かった。美味しそうにお酒を飲むひとが好きだという比較的外向的な理由と、自分のグラスにも注ぎたいという極めて利己的な理由から、わたしは飲み会のときたいてい注ぎ魔だ。自分のぶんに関しては基本手酌が楽で良いとは思うのだけれど、たまに彼が注いでくれるのも、甘やかされているようで嬉しい。

次なにを飲みますかと尋ねたら、「合わせるよ」と彼は笑った。暖色の灯りが彼の瞳に反射して揺れる。彼とはお酒の好みもペースも許容量もかなり近しいところにあって、彼のそれが投げやりでも蔑ろでも、ましてや口に含むものへの頓着のなさでもなく、ただわたしの選択への信頼であることに、わたしはもう気づいている。

ふたりともよく来るこの居酒屋は比較的日本酒メニューが充実しているので、好きそうな銘柄を端から頼んでみる。わたしに注がれるままに飲みつづけてくれる彼が好きだから、彼がお猪口の最後の一滴を唇に流し込んだ瞬間に、わたしは徳利を差し出している。わたしはずっと、彼の一挙一動を瞳の端で追っている。「よく見てるなあ」と彼は目尻を下げるけれど、それはかつてのわたしを同じように見ていてくれたひとがいたからだ。「こないだ鍋をやったときに澪が持ってきてくれた日本酒、美味しいなあと思ったのは覚えてるけど味の細部をもう思い出せないんだよ」と困ったように言う彼に、わたしが「記憶に残る不味さじゃなくてよかったです」と笑ってしまえるのは、コンサートを聴きながら眠ってしまった幼いわたしに父が、「眠れる演奏のオケはいいオケだよ」と笑ったからだ。愛されたようにしか愛せない。昔誰かにされて嬉しかった振る舞いをついコピーしてしまう程度に、わたしの社会性は学習でしかない。

「飲んでるときに美味しいなあと思えたならそれでいいのかねえ」と彼が言うのに、それで十分だと思ったし、彼と飲むお酒はわたしにとっていつも美味しい。こういうふうに居酒屋で飲むのも、海を見ながら飲むのも、彼の家で向かい合って飲むのも好きだ。彼の作る料理が好きだし、わたしの作る料理を食べてもらうのも好きだ。家での常備菜の話をしたわたしを彼が真顔で見据えてくるので、「なにその顔」と笑ったら、「食わせろ」と彼が目力を増すので、ああ、わたしの作る料理が口に合ったのだな、よかった、と思った。

長い間横並びで同じものを見ながら話してきたけれど、最近お酒を飲みながら向かい合って話すことが増えた。人の目を見て話すのがあまり得意ではなくて、シリアスな話を受け止めるときと意図的に粉を掛けにいくときくらいしか相手と正対しないわたしだったのに、彼の目を見るのはなぜか苦ではない。目を見て話すようになったぶん、瞳の奥の感情が見えやすくなった。ああ、そんなに笑っていたのか、とか、そんなにやさしい目をしていたのか、とか。

彼はわたしにとって、酷くコミュニケーションの取りやすい相手だ。わたしはちいさな言葉尻や単語の用法に引っかかってしまいがちだけれど、彼との会話においてはストレスを感じることがひとつもない。別々の人間がひとつのものごとをまったく同じように解釈することなど不可能だと分かっているけれど、わたしたちはお互いの思考回路がどういうふうに働くかをもう知ってしまっている。彼はわたしが発した言葉を過たずに受け止めてくれていると感じるし、わたしはおそらく彼の発した言葉を過たずに受け止められていると思う。もともと会話の相性はいいほうだったと思うものの、この共通の了解はそれ以上に、長い時間をかけたコミュニケーションを通じて達成されてきたものだ。

何気ないやりとりの中で、「彼ならこの温度感で話すだろう」という返答や言葉選びをしてしまうことが増えた。彼はそのことについてなにも言わないけれど、居心地良さそうに目が笑っているのを、わたしは知っている。あの、目が笑わない男の目が笑っているのを、わたしは知っている。彼に合わせるのは、苦ではない。こんなにもコミュニケーションが取りやすいひとがこの世にいるとは思っていなかった。友達が少ないと自認するひとの、数少ない心を許して話せる相手でありたい。基本的に、他人の気持ちなど分からない。ただ、その心に寄り添っていたいと思う相手が時折いるだけだ。

わたしにとって、自分の好きなものそのものを媒介にひととつながるということは、興味がない、を通り越してもはやかなり苦手な部類に入る。たぶん、「好き」を手段にされるのが好きではない、ということなのだろう。他方、「好き」の対象ではなく様式をきっかけにひととつながることはそれなりにあって、そういうつながりを好ましいと思う。愛しかたは生き方で、そういう背中はずっと眩しい。同じものに心動くひとがいい、はいつも難しいけれど、同じものに同じ心の動かしかたをしている相手に出会えたことと、思考と時間を共有できることを幸せだと思う。

わたしたちは、同じ温度で話せている。同じ語彙を同じ定義で使い、同じ機知に同じように笑えている。そこに込められた毒や悪意や、ときたまの弱音の量さえも近しいところにあると知っている。気を許し許された相手が晒してくる第三者への悪意にはだいたいいつも共感してしまうから、好きなものが同じひとと繋がっているというより、嫌いなものが同じひとと吹き溜まっているのだろう。その「嫌い」には、理由がある。そのうえで、排除したい不愉快の種類が似通っているだとか、排除の様式が似通っているだとかが、わたしたちをどこまでも快適にさせる。

今日もわたしたちは、相手に質問のかたちでなにかを問うことはいっさいなく、ただ、お互いに相手に話したいことだけを話している。質問することもされることも嫌いなわたしたちは、探りあうことではなくて開示しあうことでお互いを知ってきた。見せたい自分だけを見せ、相手が見せたいものだけを真っ直ぐに受け取ってきた。その繰り返しの上に築かれた信頼が、「このひとになら」と、己の柔らかなところを開かせる。彼は、決してわたしの心に土足で踏み込まないし、わたしを傷つけない。

「澪はなんでも話してくれるからなあ」という彼の言葉はほんとうは因果が逆で、彼が決して余計なことを言わないから、わたしは安心してくだらないことからシリアスなことまでを話しつづけられるのだ。「あんな風に隣にやってきて、あのね、わたしね、って話しつづけるのは澪だけだよ」と彼は笑うけれど、彼が過不足なくキャッチボールをしてくれるからわたしはこんなにも話せるのだ。

彼がいつもよりすこし饒舌で、嬉しいな、と思う。男が過去を語り始める瞬間がとても好きだ。彼の深層心理のいちばん下の層から芋蔓式に引き出される幼いころの記憶や青春の記憶を聞くのがわたしは楽しくて、ただ彼が話したいことを聞きつづけている。発した言葉が過たずに届くと信じられる相手に語るのは心地よいものだと知っている。今日のあなたはよく話すねと呟いたら、「澪は僕になにも質問してないよ、僕が話したくなってるだけ」と彼は返した。「お前は走馬灯を見せてくる」と笑った男がかつていた、と言ったら、「これは僕も見てるなあ」と彼は苦笑した。わたしより先に死なないで、と思う。

昔好きだった男が、「興味がないことに対する興味の示し方が上手い」とわたしを評したときにはそれなりに胸がざわついたけれど、彼がわたしの雑談力の高さを評価するのも、本質的にはそれと同じなのだろう。それはたぶん、ちゃんとわたしが彼に見せたい「わたし」だ。空気を読む能力やコミュニケーション能力や雑談力は、わたしが本来の性質として欠いていて、明確に後天的な努力で獲得してきたものなので、そこを愛でられるのは、なんというか、「報われる」という感じがする。過剰適応の末路をこうして愛されるのなら、かつての日々の苦悩も悪くなかったのかもしれない。

追加で頼んだ蟹味噌には胡瓜が添えられていて、あ、苦手、と思う間もなく、つい、と箸を伸ばした彼が胡瓜を一片残らず攫っていった。大人数の飲み会で一度ぽろりと溢しただけのわたしの嫌いな食べものを覚えてくれていて、黙って対応してくれる、そういうわたしに甘いところが好きだ。「甘やかされている」と感じられる甘やかさがあるのは、適切なタイミングと適切な呼吸でなされているからで、ちゃんと見ていてくれてありがとう、と思う。たとへば君ガサッと胡瓜すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか、と、誰にもコンテクストを理解されないパロディーが脳裡で淡く明滅する。

夜が次第に更けて、「澪はどうして僕だったんだよ」と彼が疑問形を投げてくるのは酷く珍しい。外見はもともと好きだったけれど、会話を重ねることで価値観や生き方を好きだと思うようになった、という月並みな答えは許されるだろうかと考えあぐねていると、「どうしてあの夜だったんだろうな」と彼はすこし角度をずらして笑った。「あなたはここ半年ほど、妙にわたしに甘かったから」と目を伏せたら、「僕は変えたつもりはないから、澪の受け止め方だろう」と彼は言っていたけれど、わたしがこの町に住み始めてから一生この町で生きていきたいと思う今に至るまでの生活を、結婚して離婚して付き合って別れても含めてすべて知っている彼は、わたしが腹を括るのを待っていたのではないかと、わたしは薄々思っている。ちょうどそのころ一緒に仕事をする機会が増えて、脳内のシンクロ具合をまざまざと実感してしまったこともお互いの背中を押したのかもしれなかった。

「正直、あなたがわたしに引っかかるとは思ってなかったの」
「引っかかったつもりはないよ。だって、そこに釣竿があったのは分かってたから」
「それでも」
「むしろ引っかけさせたのかもよ」
「…だってあなたは、ここで釣りをするなとは一度も言わなかった」

そう、彼はここで釣りをするなとは一度も言わなかった。ここで釣りをするなと言われたらあっさり引いただろうという確信がある程度には、わたしは触れてしまう前の彼との時間が大事だった。澪が僕のことを好きなのはずっと分かっていた、と彼は笑うけれど、最後の一押しへの彼の自認が「自分で選んだ」ならばそれでいいと思った。「出会ってしまったんだもんなあ」と彼が言っていて、そういうふうに捉えてくれていることが嬉しい。

彼もわたしもたらればを好まないし、戻りたい過去も後悔するような選択の記憶も持ち合わせていないけれど、「まだ小さいころに日本刀の美しさにうたれて、実は刀鍛冶になりたかった」というフラットな独白を聞いて、ああ、やっぱりわたしの言葉は彼に対して適切だ、と思った。彼のことを、その価値観や生き方も含めて、迂闊に触れれば手が切れそうな、日本刀のようなうつくしいひとだ、と思ってきた。うつくしいと思ったから、ずっと触れたかった。それ以上の理由などないのかもしれなかった。

わたしは、裸の身体をきちんと受けとめて抱きしめてくれた相手にしか心のやわらかなところを見せられない傾向がある。彼もそうなのかどうかは分からないけれど、身体を重ねてから、お互いに話せることが増えたと思う。たとえば、もう古い傷痕になってしまっているような痛みの記憶。彼の心に目立つ穴をわたしはまだ見つけられていないけれど、傷痕はある。その痛みすべてを乗り越えてきた彼の知性と強靭さを、わたしはとても好きなのだ。

他人の心の穴や傷痕や痛みの記憶に興味を持ってしまうわたしは、たぶんレジリエンスのありかたに惹かれているのだと思う。起伏のないものを愛せない。やわらかな諦念や強固な鎧を身に纏ったひとが、どれだけ血を吐くような痛みを重ねてそれを手に入れたのかに興味がある。どう育って、どう躓いて、どう傷ついて、どう足掻いて、どう立ち直って、どうプライドを維持して、どう平気な顔して笑っているのか、に興味がある。

わたしは彼になぜわたしなのかとは聞かないけれど、賢いひとがこんな危ない橋を渡ってまでなぜ、とは思っている。お互い今の居場所を失えないくせに。わたしが彼のどの穴にはまったのかは、いまだによく分からない。彼が穴も狡さも持たないのならば、彼がわたしを必要とする理由をわたしはひとつしか思いつかないのだけれど、まだそうと断定してしまえるほど厚顔ではない。

わたしは穴があるひとの穴に収まるのがとても好きな悪趣味な女だけれど、そういうときのわたしは、相手がわたしを受け入れてくれるそれを「穴埋め」という需要でしか認識できない。それを、ストレートな感情の乗ったなにかであると認識できない。だから完成品しか愛せないし、穴のあるひとが口にする「好き」を信じられない。それはわたしにとって、「需要」でしかない。往々にして、わたしが意図的に喚起した需要。だからこそ、彼の穴のなさを信用しているのだろう。

手をつないで帰路を辿ることも抱き合って眠ることも当たり前ではないのに、いつの間にかひとつの引っ掛かりもなく遂行される営為になってしまった。彼はわたしの首筋の匂いを好きだと言って、後ろから抱きしめては延々唇を落としつづけるので、わたしはそれだけでどうしようもなくなってしまう。

名前をちゃんと呼んで身体を触って、けれど必要なのも嬉しいのもそれだけではなくなってしまった。どこまでも適切な量と質で彼が紡いでゆく言葉たちに煽られて、思ったよりも好かれているという実感がわたしを焼く。あんなにも言語化に拘泥してきたのに、好いた男がめちゃくちゃにわたしに嵌ってゆくのを、わたしは今「愛しい」以外のどんな言葉で表現していいか分からない。

事後の時間は甘くて、なにもかもにソフトフォーカスがかかったようだ。「ねえ、お願いがあるんだけど」と彼が珍しいことを言うので、「なあに?」と目を合わせたら、「今度さ、一滴も飲んでない状態でしたい」と見上げられて、ああ、それは、すごく、したい、と思った。

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