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教室、制服、男と女

男っぽい、性欲に素直な男に、「この女と寝てみたい」という視線を向けられるのは、わりと嫌いではない。

***

よく知らない男と当たり障りのない会話をしていたはずなのに、突然耳元に寄せられた唇が口角を上げて、「ねえ、俺と寝てみたいんでしょ?」などと不穏なことを嘯いたので、敢えて否定も肯定も口にしないまま、目を合わせてにっこり笑って首を傾げておいた。もう夜も随分更けたというのに、ゆるい人垣に囲まれたバーベキューコンロは今さらのように炎を上げて、男の長い睫毛があかく縁取られていた。

この男の、彫りの深い二重瞼から放射されるもの。

- 雑な決めつけ、性欲の乱反射、「この女にならこれを言ってもいいだろう」という甘えとある種の信頼、身勝手な同族意識。


昔のわたしなら、この距離に近づくことを許しさえしないタイプの男だ、と思う。幼いころからガキ大将気質で、周りには自然と人の輪ができて、身体を動かすことが好きで、声と態度が大きくて、勉強は好きではないけれど要領も教師からの受けもよく、試験前に女の子からノートを借りて首尾よく合格点を掠め取っていったりする、教室の真ん中にいる男。

わたしは、こういう男のことがずっと嫌いだった。わたしは、休み時間にはひとり教室の隅や中庭で本を読んでいたり、変わり者と噂されている教師と社会科研究室で話し込んでいたり、音楽室でピアノを弾いていたりする女子高生で、ストレートで、快活で、自分に自信があって、誰にでも愛されるような男のことなんて大嫌いだった。

そういう男たちは、ただの好奇心だったのかあるいはひとりで過ごすことの多いわたしへのある種の優しさだったのか、ときどきわたしに寄り添おうとしてきたけれど、わたしのほうでは彼らと共有したい話題など当時なにひとつもたなかったから、いつも随分邪険に振り払ってしまっていたような気がする。

たぶんきっと羨ましかったのだろうと、今になってみると思う。そういう男たちのことも、そういう男たちに選ばれる、女友達が多くて笑顔の可愛いあの子たちのことも、あのころ彼ら彼女らを取り巻いていた鮮やかな光彩のことも。ああいうふうに生きられたら楽だったかもしれない。でもたしかに、ああいうふうには生きられなかった。

ー あのころのわたしが教室の隅で、制服の下に何を隠していたかは誰も知らない。


散会したあとに、男は「送るよ」とさらりと手を引いてきて、齢を重ねて己を守る棘を多少丸くしたわたしは、それに抗う理由を強いて見出すことをやめた。骨の硬さよりも肉の厚みを感じる手のひらは、男らしくて嫌いではない。わたしの家に着くすこし手前で引き寄せてキスを強請る強引さも、嫌いではない。

曖昧に逃げつづけるわたしに、「好きな男でもいるの」と男が鷹揚に問うので、「いるよ。でもあなた、そういうこと気にしないタイプでしょ」と返す。「気にするさ。そのほうが燃える」と男は喉の奥で笑う。そう言うこの男はこの男で、今日は薬指の指輪を外している。男の指の、すこしゆるいリングを回して遊ぶのが好きだから、別にはめたままでいてくれて構わないのに、とぼんやりと思う。


「お前、いつも仕事ですれ違うときに無視してくるのやめろよ」
「だって、ちゃんと話すの今日が初めてじゃない」
「じゃあこれからはちゃんと声かけろよ」
「え、やだ」
「酷いな」
「…これからも無視するけど、あなたはわたしにすれ違うたびにわたしのことを思い出してね」

転がされっぱなしも癪だから、つい、と背伸びをしてわたしにできうるかぎりのセクシーなキスをしたら、男は一瞬驚いたように目をひらいて、そしてわたしをつよく抱きしめる。今ほしいのはこの男ではない、と頭の片隅で理性が囁いたけれど、それでも、キスの感触を覚えさせてしまったのは、あのころ教室の真ん中にいた男たちへの、教室の隅のわたしからのささやかな復讐だったかもしれない。


***


数日後、町を歩いていたら、聞き覚えのある声に後ろから呼び止められた。

「無視するなって言っただろ」
「無視しないとは言ってない」
「分かったよ。…送る」
「あなたに送られるの、まったく安全だと思えないんだけど」
「ははは」

そうやって屈託なく笑うけれど、人目のあるところでは、この男はわたしの手を取れない。意識的に距離を保ちながら歩いていたのに、人通りの絶えたあたりですかさず手繰り寄せられて、機会を見失わない男だな、と思う。その胸の広さや腕の逞しさに安易に「男」を感じそうになる。感触を思い出させるようなトリガーを仕込んだわたしよりも、「寝たいか寝たくないか」という二元論を先に意識させたこの男のほうが、やっぱり一枚上手だったかもしれない。

うっかりその腕に絡めとられそうになったけれど、まだこの男と寝るつもりはない。いつかわたしに寂しい夜が来て、ひとりで眠れなくなってしまったときのために、この男にはもうしばらく、教室の真ん中で男っぽい屈託のない顔をして笑っていてほしい。

人の輪の中心にいる男にもそれなりの鬱屈があることも、誰にも理解されないようなちいさな拘りがあることも、人には知られたくない秘密や痛みがあることも、わたしは知ってしまったから、もうあっさり嫌ったりしないし、コンプレックスまみれの棘を向けたりもしない。ただ、この男がわたしに何を見せたくてわたしの何を見たいのか、わたしに何を舐められたくてわたしの何を舐めたいのか、そこにはすこしだけ興味がある。


わたしは、人間的な興味と性的な興味を混同しているという意味で男女間の友情を成立させられないタイプだし、恋愛感情抜きに寝れるという意味で男女間の友情を成立させられるタイプだ。


***


ここ半年、「この男とはいつか寝るだろう」という予感を、わたしはひとつも外していない。

寂しい夜は案外に早く訪れて、わたしは飲み会の勢いのまま、この男の「俺はそろそろ帰ろうかな。澪は帰らねーの?」にあっさりと乗ってしまう。あとは予定調和だともうお互いに分かっていて、特に言語化せずとも、相手がその予定調和をささくれだてずに演じられるだろうという程度の信頼関係さえも生まれてしまっている。女を帰すべきでない夜と、黙って帰すべき夜と、キスだけでリリースすべき夜とをきちんと識別できているから、この男は、きっと、モテる。

「今日はこのあとうちで飲みなおす?」
「…そうする」


缶ビールを半分空けたあたりで視界が反転して、「先に言っとくけど、惚れるなよ」と男は笑い、わたしは食い気味に「惚れないよ」と返す。寝たくらいで惚れるような杜撰な感受性の持ち合わせはない。


ー ここは、教室の外。わたしたちは、制服を脱ぎ捨てる。


***


昼過ぎにようよう起きだして男の部屋の鏡を覗いたら、最近どこか苦しそうな顔をしていた自分が、すっかり「セロトニン!オキシトシン!女性ホルモン!」と言わんばかりの肌艶になっていて、我ながら自分の現金さに浅い笑いが込み上げてくる。絶対的な睡眠量で言うと足りていないはずなのだけれど、それにしては随分と身体が軽い。

泥酔、セックス、セックス、睡眠、セックス、二度寝、セックス、セックス、昼寝、セックス。こういうのは、若くてやんちゃな男の良さだなあ、と思う。

歳を食った男たちは、諦念やら諧謔やら文脈やら手管やらをまるで第二の皮膚のように、あるいは鎧のように全身に纏っていて、わたしはそれにそっと触れたり舌を這わせたりするのがとても好きなのだけれど、一方若い男の外連味のない欲の圧に横殴りにされるように抱き潰されるのも、それはそれでたまには悪くない。文脈に溺れさせてくるのではなく、テクニカルな上手さで抱く男、というのは久しぶりに引いた気がする。それはそれで安心できるから好きだ。


テニスをするような感覚でセックスができる男は良い。自慰はあくまで壁打ちだから、ちゃんとほしいところに返してくれる相手がいるのは面白いものだ。寝物語に「セックス好きでしょ」と男はわたしに問うともなく言ったけれど、この男も相当だと思う。

目の前の女を愛するのと同じくらいかそれ以上に、セックスそのものを愛している、というタイプの男と寝るのは楽しい。

移り気な男のその場限りの情の濃さにいつもすこし惹かれてしまうのは、男がわたしをその腕に抱いているときだけはちゃんとわたしのことを見ているからだ。セックスそのものを愛している男は、案外その時々に目の前にいる女のことをちゃんと見ている。見ていたほうがセックスが楽しいということを、ちゃんと分かっている。身体だけでなく、表情も反応も趣味も思考もひっくるめて抱いたほうが面白いということを、ちゃんと分かっている。

そんな男たちに倣って、というわけでもないのだけれど、わたしはこのごろ、寝る相手のことを、寝ているときだけは結構ちゃんと愛している。


「澪、寝た男によく惚れられるでしょ」と顔を覗き込まれ、心当たりのないではないわたしが「…なんで分かるの」と返したら、「抱くとめちゃくちゃ可愛いから」といたずらに笑われた。普段取り澄まして斜に構えている女が抱くと途端に崩れることなどよくある話だし、わたしだって安易に男の肩の窪みに顔を埋めてみたり頬や頤にキスを落としてみたりはしたけれど、それはこの男がそんなことで絆されるタイプではないことが分かっているからだ。

「これだけちゃんと反応してくれると楽しいな」と男は言ったけれど、わたしは気持ちいいときにはちゃんと気持ちいい反応をするようにしているだけなので、それはこの男がきちんとわたしの気持ちいいところを探り当てているからだ。

触れると水音が立つほどに他愛もなく濡らすわたしを男はたしかに嗤ったけれど、その嗤いには軽蔑のいろも咎めのいろもなくて、ただ、「お前を抱くのは楽しいよ」と、それだけが滲んでいた。それがなぜか無性に嬉しかった。


初々しさには10年前から縁がなかったし、かろうじて制服とともに着込んでいた清楚という言葉などももう随分前に似合わなくなってしまったから、今はこうして、わたしから漂う退廃の香りを愛でてくれればいい。正しさなどもう保てなくなってしまったから、わたしの崩れ加減や歪み方を愛でてくれればいい。どちらもきっと、この男も多かれ少なかれ持ち合わせているものだ。

けれど、わたしの胸に顔を埋めてねむる強欲な男を眺めながら、わたしの鼓動が男の頭蓋に反響して跳ね返ってくるのを聞くともなく聞いていたら、男の面差しのどこかから、おそらく長らくこの男のうちに息づいているのだろう、素直な幼さが匂った。

教室の真ん中に向かって毛を逆立てていた少女だったころのわたしが、心の奥底で、ふっと肩の力を抜いた気配がした。




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