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ダダイストの駄々

心から救われたいと思っているし、心から救いがないと思っている。

Episode 6. as for the days on end, in 2018

皇居の桜が満開になった日、恋人ができた。2017年の七夕に前の恋人と別れたあと、秋の初めに出会い、並みのカップルよりも高い頻度で時間を共にしながら、特に色恋の気配もなく冬を越えてきた相手だった。絶対にわたしに本気になりはしない相手だと思っていたから、わたしは冬の間安心して、「あのひとのこういうところが好きなの」を酒のつまみとしてあなたに垂れ流しつづけた。

どんな人かと問われて「信用できる人」と答えたら、「それは耳が痛いな」とあなたは笑っていた。わたしの朽ちかけた安っぽい純情に嫉妬すればいいのに、と思いかけて、されたところでどうしようもないな、と気づき、ビールに混ぜて飲み下す。お互いの都合の良さを愛であってきた相手の都合の悪い部分を許容する努力は、昔から1ミリもできない。

基本的に人間不信なわたしが珍しく恋人を信じることに決めた理路をあなたに話してみたけれど、「ロジックを組まないと恋愛ひとつできない不器用な女だよお前は」と一笑に付されてしまった。考えすぎるきらいのあるわたしをそうやって笑い飛ばしてくれるひとがいるのは、たぶんそれなりに幸せなことだった。「お前、もう本当に、他の男と寝るなよ。俺も含めてな」とふいに真顔になったあなたに、「しばらくは大丈夫」と返したわたしは、わたしの身体に興味のない男を引いたことと、それがわたしにとって思った以上にフェータルであったことを、まだ知らない。


あなたに出会ったのは、前の恋人との終焉を意識し始めた時期だった。心が離れているのに自分から別れを切り出せずにいるずるいわたしにあなたは、「お前は他の男に心を奪われるのを待っているだけなんだろう」と、当たらずといえども遠からずの台詞を吐いた。あなたに出会ったことが決定打になったわけではないけれど、前の恋人と付き合って1年数か月の間一度もほかの男と寝なかったわたしは、あっさりとあなたの腕に抱かれてしまった自分をかえりみて、「ああ、きっとほんとうにもう駄目なのだな」とやっと納得したような気もする。

前の恋人と別れてからも、新しい恋人ができてからも、特段熱量を変えずにあなたと会い続けたわたしにはたぶん、恋愛感情を維持するよりも関係性を維持することのほうが容易い。冷たさや打算から出る優しさのほうが安心して受け取れるし、冷えた感情で選ばれるほうが快適で持続可能性があるなと思う。いっときの熱は、所詮いっときの熱だ。

身体的な荒廃で精神的な荒廃を誤魔化そうとするのも、身体の痛みで心の痛みを覆おうとするのも、身体を埋めて心の穴を見ないふりをするのも、全部同じで逃げでしかないことは分かってはいた。けれど、わたしは寂しかったのだ。自分の寂しさすら認めてあげられなくなったら、もう人の心など死んだも同然だから、わたしはただひたすらに、わたしの寂しさをかたちあるものとして繋ぎとめようとしていた。


***


夏にしては肌寒い夜、疲弊した会食帰りにあなたに送った、「会いたい」と「抱いてほしい」と「救ってほしい」とそれらに類するなにもかもを込めた「雨ですね」、を、「雨だね」で返されたから、ぜんぶ飲み込みなおして、おとなしく家路を辿る。飲み込みきれなかった塊が胸のあたりに痞えているのには、気づかないふりをする。「都合のいい女」像を選んだのは自分だから、ちゃんと最後まで演じ切ろうと思う。

昔、あなたのどこが好きかを言語化しようという血迷った試みを実践した結果、「壊れてしまいたい夜に呼び出したら、壊れる5歩くらい手前でわたしの鬱屈を発散させて、壊れる2歩くらい前でさくっと帰してくれつつなお、壊したいという願望だけは伝えてくれるところ」というセンスのない感じに収まってしまって匙を投げたことをふと思い出した。会えない夜に思い出したところで、結局センスはないままだった。


五反田駅の東口の横断歩道の島の花壇には、今年も向日葵が植えられていた。去年も、帰りたくないとあなたの胸に顔を埋めて駄々を捏ねた夜、昼間の熱気を残したままのアスファルトの上で、向日葵は俯き加減に咲いていた。空気を伝って届く声ではなく、もちろん電波になった声でもなく、抱きしめられた胸や腕の骨や肉や血を通して伝わる、くぐもった声のよさというものがあるな、と、抱きしめられるといつも思う。

ふと、わたしを抱かない恋人にも、わたしでなくてもいい東京にも、もう耐えられない、と思った。あなたがいることでなんとなくやりすごせてきた日々の棘を、いつの間にかうまくやりすごせなくなってきていた。これは、身体でしかひととつながってこなかったわたしへの罰なのだろうか。不惑と書いてfuckと読むタイプの人類を笑えないなと思った。わたしにとって、愛はセックスの必要条件ではないけれど、セックスは愛の必要条件かもしれない。わたしの性的な熱量の奔流で押し流したいわけではない。けれど、身体を愛でてくれないと、わたしの総体を愛されていると思えない。

「自由は安心を犠牲にすることによってしか拡張されない」、は、20代半ばで悟るには少々ハードロックすぎたかもしれない。バウマンを愛読する趣味はわたしにはない。恋人はその安定性でもってわたしを安心させてくれるし、わたしを精神的に自由でいさせてくれるけれど、わたしの性的な熱量に自由さを与えようと思ったとき、わたしは恋人を安心させられない。「自由で何が悪いと言うの 好きなようにしていいじゃない」と、「その不自由ささえも愛しい」を高速で反復横跳びするだけの人生だな、と思う。不自由を愛せなくなったら、恋の病も終わりだ。


***


すれ違いの多かった夏が終わり、気づけば秋も終盤に差し掛かり、冬の匂いが微かに漂いはじめていた。わたしが絶対に名前を呼びたがらないことをちゃんと覚えていてくれるあなたは、年に一度あるかないかでわたしが名前を呼ぶとき、そこに特別ななにかがあることに気づいてくれるひとだから、あえて名前を添えて会いたいと連絡してみる。

「耐えられないものからはもう逃げてしまおうと思うの」という台詞は、場末の居酒屋で奇妙に浮いて響いたけれど、あなたはきちんと受け止めてくれたから、わたしはこれからもおそらく、戻りたい過去や失敗した選択というものをもたないまま生きていくのだろう。

相変わらずワーカホリックなあなたが、「疲労が背中に張り付いている」などと珍しく弱音をこぼすから、「わたしだと思って」と戯れておいた。もっとちゃんと肩を揉んであげればよかったとか、たぶんきっといつか思い出すのだろう。くだらないことがまだなくならない、の極致だ。これまでわたしがあなたに湯水のように吐き続けてきた弱音は、流れも敢えずにあなたの心のどこかに引っかかっていたりするのだろうか。

「寂しくなるよ」というあなたに、今日は曖昧に笑うことしかできない。寂しがられるのにとても弱いのは、寂しがらされたことがあるからで、なんならそれが日常だったからで、あのころ喉から手が出るほど欲しかった今もまだ欲しくないとは言えないものを再認識して、ああまだ飢えているなあと思う。けれど、他人の闇に触れることのおこがましさを知った結果、誰の心にも触れられない人間になってしまったし、わたしの心に触れさせるのも憚られてしまう。

「お前の目に俺はいったいどう映っているんだろうな」
「好きだとかその類の感情の話をしたことなんぞなかったけど、お前が好きだよ」
長く続いた男はいつも、己のバックグラウンドを振り捨てて勝手なことばかり言う。都合のいいひとの言う都合のいい話は、たいてい都合がよすぎる。始めるときにバックグラウンドごと引き受けて、バックグラウンドありきでわたしの存在意義を定義してしまったわたしは、いまさら器用に在り方を変えられない。

わたしには開けられない鍵穴と、わたしに空けられる風穴と、別にどちらでも愛せるタイプの女だ。けれど、わたしのためになにかを棄てられる男のことなど、たぶんいつの日も皆目愛せなかった。なにも棄てなくていい。なにひとつ違えたり損ねたりしない。けれど、もしわたしをほしいと言うなら、あなたのそのすべてを賭けて求めて寄越してほしい、と思った。そしたらなにかが変わるかもしれない、と思った。でもそうはならないし、なにも変わらないことも知っていた。

体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ
ー岡崎裕美子


***


その左耳のピアスを見るたびに、右耳の持ち主はどんな人かしらと漠然と想像する。そこに意味を付与するつもりはないと殊更に言い立てるわたしがたぶん、一番こだわっている。

わたしに触れたあなたの頬にわたしのアイシャドウのラメが移っていることを、指摘しないまま始発前の駅の改札で別れた。家に帰ったあなたを観察する誰かのことを想像する。ああ、わたしは今日も、死ぬほど悪趣味だな、と思う。

アイコスの匂いと、誰かが選んだ柔軟剤の香りが、あなたと会ったあとは1日わたしに纏いつく。



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