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人を想わば穴二つ

「触れたい」と「触れてほしい」のどちらが正しい恋かなんて知らない。恋に主客はいらない。触れているのか触れられているのか分からないくらいになりたい。

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出張に出かけてゆく恋人にお土産の希望を問われて、「ボディクリームがほしいな。特にこだわりはないからドラッグストアの適当なもので構わないけれど、もしも選ぶ余裕があったら、あなたの好きな香りのものを選んでほしい」と伝えた。

贈り物は相手が楽しめるものを選ぼうと思うし、相手の喜ぶ顔が見られればそれでいいけれど、自分がもらうものに関しては、もしリクエストを容れてもらえるなら、贈った側と贈られた側との双方で楽しめる類のものが好きだ。好きな男の好きな香りを纏うのは楽しいし、好きな女から自分の好きな香りがするのも、きっとそう悪いものではないだろう。

ボディクリームなんて海外旅行のお土産だとかちょっとしたお礼の品だとかのド定番だから、実際のところ自宅で小売店が開けそうなほどにストックはあるのだけれど、そんなことはこの際どうでもよくて、わたしは、恋人の好きな香りが知りたかっただけだ。恋人が、女の肌から何が香れば欲情するのかを、知りたかっただけだ。


暇に飽かせて足の爪を男ウケの悪そうなネイビーに塗ったから、早く帰ってくればいい、と思う。恋人は、「マニキュア」と「ペディキュア」という用語を正確に使い分ける男だ。「真っ当」しか知らないし「普通」しか好まない、というような顔をしておいて、しれっとわたしの足の指をくちにふくむような男だ。

愛されているのが分かっていれば、2週間くらい会えなくてもどうってことないけれど、愛されている自信がないときは、一晩だってひとりで眠れない。夏の夜の熱気に紛らせるようにして、「会いたい」なんてわたしらしくない台詞を漏らしてしまったのに対して、「ちゃんと帰るから安心して」と、恋人はわたしの不安をこれ以上ないくらいダイレクトに癒す。それが「不安」という感情なのだと、当のわたしですらまだうまく言語化できないでいるうちに。恋人は触れ方やキスでいつもわたしを本能的に安心させてくれるけれど、一旦言葉を紡がせてみれば、その言葉すらも適切にわたしを安心させてくれるものだったので、ああ、溺れてしまいそうになる。

根拠のない自信が一番強いように、根拠のない「安心して」が一番信用できるのかもしれない。新しい男はいつも、新しい解釈や新しい感情を教えてくれるから楽しい。安心したわたしは、ちゃんと部屋の電気を消して眠ることができる。


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最後に抱かれてからきっちり2週間経って、細胞のひとつひとつが触れたくて触れてほしくて騒いでいる。愛してるの響きだけではもう強くなれないから、ちゃんと抱いてほしい。

2週間ぶりに会った恋人は、適切な前座を踏んだあとにわたしの着衣を緩やかに剥ぎ取り、先ほどわたしが開封したお土産の袋に手を伸ばした。わたしが願いを言語化した僅かな文字数のうちに、ただ恋人に触れられる肌の潤いを維持したいだとか、ただ恋人の好きな香りを纏いたいだとかいうだけではない邪なニュアンスが底流しているのを、きちんと汲み取って咀嚼してくれる程度にはこなれた男なのだな、とわたしはまた安心する。同じところまで落ちていてほしいとはべつに思わないけれど、人を育てるのは得意ではないから、ひととおりのことは予め知っていてほしい。


恋人の手のひらでふわりと広がった爽やかなレモンヴァーベナの香りは、わたしの肌の上で少し湿度を増す。すでに一度熱を灯された身体は、くぷり、とボディクリームのノズルが鳴る音にさえ欲情を掻き立てられて、ひんやりとした粘液を纏った優しい手がそっと背中を這うたびに、わたしの喉は安易に嬌声を噴き零す。

恋人は体温が高くて、わたしは体温が低い。体温が高い人は心が冷たいし体温が低い人は心が温かいのだ、という言説の正しさは知らない。肌と肌の間で熔解したボディクリームがふたりの体温と綯い合わされて、いつもとはすこし違う香りがベッドの上に満ちる。恋人の肌の匂いそのものも好きだけれど、小道具は小道具でスパイシーだ。


暗がりの中、触れ方は手探りで深まってゆく。肌の上を滑ってゆく指も、耳を舐められているときに歯が掠るのも、腰をなぞりあげる舌先も、一転してただ髪を撫でられることも、もうどうしようもなく気持ちいい。数週間前まで遠慮がちにゆびいっぽんでわたしのなかをゆるくかきまぜていた手は、何夜かを越えて、いつの間にかゆびにほんですこしつよく擦り上げるようになり、わたしはそれでも足りない気がして、なのにキスに飲まれて「もっと」を請えず、せめて腰を揺らして強請るしかない。

恋人は基本的に、セックスの間じゅう、わたしのくちを解放しない。舌を引っ張り出されてゆるく噛まれるのは、声がだらしなく漏れてしまうところも含めて、とても好きだ。口蓋が性感帯であることを、何かのはずみに気づかれてしまったのかわたしから気づかせるように仕向けたのかはうまく思い出せない。くちのなかを触られているとき、恋人はたいていきっちりわたしの顔を覗き込んでいるから、羞恥が脳の回路を焼き切る。

キスに埋められたわたしは、受け止めきれない快感を声にして逃すための僅かな隘路さえも塞がれ、そうして逃げ道を失くした快楽は身内をまわりつづけて水嵩を増し、わたしはやがてなかをゆるめるすべを見失い、与えられる刺激を与えられた以上の値で受け取らざるを得なくなってしまう。

挿入しながらの長い長いキスからやっと解放されたかと思ったら、頰に手を添えられて指を咥えさせられて、ああ、どうしてこのひとは、わたしのほしいものを知っているのだろう、と、ふやけて爛れた脳の片隅でぼんやりと思った。男らしく骨ばった指に素直に舌を絡ませてなんとか声を殺そうとしてもみたけれど、恋人がいまわたしに与えつづけているものがたしかに快感なのだと知っていてほしくて、わたしは唇の隙間から仄かな喘ぎを出力する。


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アルコール抜きで駆け引きをやれるほど男好きなわけでもないから、年齢を問わず、お互い素面で初回を寝た相手、というのがほとんどいない気がするのだけれど、振り返ってみると、恋人が酔った勢いでわたしを抱いたことは今までに一度もないのだった。酩酊に流されていないせいもあってか、初期の満足度という意味では正直さして高くはなかったものの、身体を重ね、肌の温度を知ってゆくうちに、わたしたちはお互いをひらいていく。

四半世紀も生きると、女を抱くことがそれなりに好きな男はたいてい一定程度の技術的成長をみるのだな、と改めて思う。そもそも同年代と寝たことがこれまでほとんどなかったのでサンプル数は多くないけれど、二十歳そこそこのころと比べて明らかにレベルが底上げされているのを実感する。基礎さえできていれば、あとは世界観だとか音楽性だとか言語センスだとかのチューニングの問題だから、いくらでも添いようはある。

わたしは、恋人と寝るのが好きだ。もう、当たり前に抱いてくれる男としか付き合えない。


恋人が落とすキスは、まだ恋人ではなかったころから不快さを感じたことは一度もなかったけれど、わたしが随分恋人のペースに慣れ、恋人が随分わたしを知った今、以前よりもずっと深く、脳を溶かす。1日で初めて顔を合わせるのが、性的な匂いのしないシチュエーションであることが多いのだけれど、キスを落とすときにわたしの顎を掬いとって、きちんと空気を変えてくれるその器用さが好きだ。静かな熱に、わたしの自意識は緩慢に自由を奪われていく。

恋人はわたしの意識をキスで繋ぎとめる。わたしが勝手に脳内でストーリーを構築してそれに溺れてゆくことを許さない。わたしはわたしに触れわたしを抱く恋人のことを意識させられつづけ、恋人から与えられるものを恋人から与えられるものだと認識させられつづける。どこにも逃げられない。その逃げられなささえも、快楽に変質してゆく。

恋人のセックスで好きなところは、絶対に我を忘れてわたしにむしゃぶりついたり、わたしを置き去りにして没頭したりしないところだ。彼の身体はいつもよく統制されていて、心はどこかで理性に縛られている。理性を残した人型のままわたしの身体に触れる、獣になりきれない恋人のことが好きだ。その理性すらも、わたしを抱きたがっている。


恋人と抱き合うとき、眠るときわたしは、ああ、このひとの世界に、わたしは存在してよいのだ、と、いつもこっそり確かめては安心している。セックスがわたしにとって、「わたしをこの世に繋ぎ止めて」という声にならぬ悲鳴であったころ、男の体を通して己がこの世に在ることを物理的に確かめずには生きていけなかったころは、この程度では足りなかったのだろうなと思う。けれどいま、恋人の理性の平野と地続きに抱かれてみて、わたしはしずかに居場所を手渡されることのたしかな幸福を知る。恋人の腕の中が、いまわたしが在るべき場所なのだと知る。

恋をした相手は、わたしを容易く傷つけ得る相手になるから嫌だ。わたしはまだ、「このひとになら傷つけられてもいい」という防衛線がわりの諦念をうまく築けていない。このままこの恋を過剰摂取すると、わたしはきっといつか、無防備なまま自分の身を焼くことになる。ストーリーを描かずに恋をする、というのは、わたしにとってそういうことだ。

だから、この恋文はたぶん、恋人を想いながら書く、わたしの墓標だ。




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