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よそゆき顔で

「テキストからの妄想」と切り捨てられてしまうならそれまでだった、恋。

Episode 12. December 2019 - January 2020

あなたはいま、だれと生きているのだろうか。この一連の恋文を、あなたは今も読んでくれているのだろうか。ひところ続きを書きあぐねていたら、「筆が止まるのは情熱が失われたからだ。お前にとって、うなされるように絞り出すほどの言葉ではなくなったんだろう」とあなたに笑われて、何も言い返せなかった。けれど、「きみはこのひとについて書くときだけ、言葉が恋をしている」と言ってくれた友人の言葉を、わたしは今も信じている。


この町はもう随分と暖かいけれど、東京に冬が舞い戻ってきたというニュースを目にして、あなたはきっとあのロングコートを着ているのだろう、とぼんやりと想像する。軽くて柔らかくて暖かな、質と仕立てと肌触りのよいコート。手に入れたときのエピソードを話してくれたことを覚えている。実はなかなかに個性的で、着こなせる人間を選びそうなデザインなのに、良くも悪くもアクの強いあなたにはとてもよく似合っていた。寒い夜、そのコートの腕に絡みつくのが好きだった。

一目で上質だと分かるロングコートをさらっと着こなせるところも、ピンクやパープルのツヤ感のあるネクタイが嫌味なくはまるところも、Tシャツとハーフパンツにキャップを合わせるようなラフなスタイルにもらしさが出ているところも、体温に合った甘い香水も、好きで好きで好きで好きで好きだったから、全部覚えている。目尻の笑い皺、時々少し伸ばす髭、わずかに歪な口角、大きな手のひら、広い背中、厚い胸、頭の形、左耳のピアス、笑った顔も、笑わない顔も、すべてを好きだった。

あなたの真面目な顔も、アイコスを咥えた顔も、ベッドの上での顔も、泣き顔すらも知っているけど、今もいちばんに思い浮かぶのは、深夜、居酒屋でことさらに蓮っ葉気取って管を巻くわたしの駄々を、全部見透かすように目尻を下げて聞いてくれていたときの顔だ。わたしの死にたさなどはじめから甘えでしかないから、わたしの死にたい死にたいを聞かされすぎてうんざりしかけたら、甘えられているんだなと認識していてほしい。

***

酔っ払ったあなたが電話をかけてきて、「なあ、俺より先に死ぬなよ」などと言うので、「わたしが先に死んでしまったら、賽の河原で石積んで待ってるわね」などと答えたけれど、もしかして究極の約束をしてしまっただろうか。いい子で待っていたらあなたは、わたしのところに来て、手を引いてくれるだろうか。わたしより先に死ぬ男には二度と惚れないつもりでいたから、あなたが時々口にする、「たとえば俺が死んだら、お前がそれを知る手段はないんだよ」はそれなりに痛かった。

「キスマークで相手の肌に名前を刻んだことがある」という昔のエピソードをなんとなく披歴して、「学生のころの話よ」と被せたら、「お前に唇ができはじめたころだな」とあなたが返してきて笑ってしまった。たとえば口唇期からあなたが傍にいてくれたとしたら、わたしはどんな女になっていただろうか。

「お前が誰かに恋をすることなんぞない。お前が好きなのは父親だよ、結婚指輪をした男だよ」とあなたはかつて自嘲的に吐き捨てたけれど、それはそれで的を射ている。父親像やパターナリズムに感じる歪な安心感。嵐のときに全てを信頼して帰港できる場所。コミュニケーション不全の日々を解消してくれる徹底した対話。根本を肯定した上に注がれる人生の先達としての知恵。男と女である以上、そういった関係性が幻想であり不健全であることは知悉しつつも、我儘で脆弱なわたしを曝け出したあとに、自己決定権を期間と場所限定で手放せるのは、どうしようもなく快感だったし救いだった。

「なにかあったらいつでも頼ってきてくれていい」と言ってくれたあなたの言葉がどれくらいの深度で発されたのかなど知らないし、確かめる勇気も持てないままだけれど、父性の不在をそのまま自身の欠落として生きてきた渇いた女なので、そういうたぐいの言葉を手渡されるたびにわたしはすこしずつ埋まり、癒え、潤っていく気がしていた。

わたしが長年ほしがりつづけていたのは、「わたしを抱く父親」なのかもしれない。男と女の文脈の中でわたしが押しつけたそのロールをプレイとして積極的に拾ったひともいたし、押しつけずとも嗅ぎ取って掬い上げたひともいたし、時間をかけてなんとなくそこに落ち着いたひともいたし、もちろん拾わなかったり拾えなかったりしたひともいた。わたしの悪趣味さも履き違えもとうに自覚しているし、結局はわたし自身の問題なのだとわかってもいる。

わたしは基本的に愚かな女だけれど、それでも唯一救いようがあるとしたら、「父親像」に懐くし寝るしなんなら恋さえするくせに、本気で愛してしまいそうになったとき、きちんと踏みとどまってきたところだと思っている。父娘関係で生涯を生きられないことを、わたしは心のどこかでちゃんと分かっている。わたしはおそらく、そう遠くない未来にその関係性を「卒業」してしまう。そうやってもう何人かを、消費しては越えてきた。いつか越えてゆかねばならないものを手に入れてしまうことほど悲しいことはない。

***

友人の結婚式のために2か月ぶりに上京したわたしを、あなたは変わらず笑って迎えてくれる。けれど、深夜に臆面もなく布団に潜り込むわたしをあなたはもう抱かないので、わたしはすこしせつなくなる。わたしが折々の恋人のことをきちんと愛しているとき、あなたはわたしのことを抱かない。わたしの心が恋人から離れたとき、あなたはちゃんとその心の行き場を用意してくれる。帰る場所を用意してくれる。あなたと出会って以降、傷つききっていたわたしがそれでもいくつかの恋に踏み出せたのは、あなたがいるという安心感があったからかもしれない。

けれど、抱きしめて溺れそうなくらいキスを注いでくれる恋人がいてもなお、わたしのくちから溢れ出す言葉をひとつも溢さずに解してくれるあなたが恋しい、と我儘なことを思ってしまう夜がある。なにかひとつだけあなたに願えるのなら、変わらないで、離れたころのままのあなたでいてほしいと思ったけれど、そんな強欲なことは請えないから、翌日は「髪を乾かした。えらい。褒めて」と戯けて仕事部屋のドアを叩いた。10ヶ月前「早く眠れ」とわたしに背を向けたあなたは、なぜか今回は寝室まで一緒に来てくれた。キスだけを落とされて、ああ、あのころからずっとこのキスが好きだった、と思った。ほんとうは、抱かれたかった。「愛してほしい」は言えないから、せめて抱かれたかった。


わたしという人形で適切に遊んでくれるあなたのことがいつも好きだった。同じ文脈を生きているということや、文脈を共有できるということについ懐きすぎるわたしは、随分そこにつけこまれて消費されたりもしたのだろうけれど、その消費はなぜか決してわたしに、消耗感を感じさせなかった。そういう消費が擦り減らすはずのものをわたしがそもそも持ち合わせていなかったのか、擦り減っていることに気づく受容体すらも摩耗していたのかは考えたくない。

「よりそいあって暮らすことがあなたのためにはならないこともある」と歌う中島みゆきを聴きながらあなたと離れたとき、「遠くで暮らす事が二人に良くないのはわかっていました」と歌う井上陽水の声が遠くで聞こえていて、「待っていてほしい」とは言えなかったし「戻ってこいよ」もはぐらかしつづけた。ちなみに中島みゆきで一番駄作なのは、「糸」だと思う。


***


年が明けて、「聞いてほしい話があるのでそのうちお暇なときに電話をしてもいいかしら」とわたしらしくないメッセージを送ったわたしに、あなたはさらりと、「いいよ、結婚決めたんだろう」と返してよこした。その異常なまでの察しの良さに、ああ、理解されてしまっている、とまた泣きたくなる。以前カラオケで「よそゆき顔で」を歌ったら、あなたは真顔でわたしに「結婚するのか」と問うたけれど、当時はこんな日が来るとは思いもしなかった。

昔誰かがわたしに投げた、「普通に幸せになれると思っているのか」はたちの悪い呪いだけれど、一度くらいは賭けてみてもいいかという気がしている。生傷を舐められては膿むような人生だったので、ここからは、瘡蓋が剥がれるのを静かに待ちたいと思う。できることならば、瘡蓋の存在さえも忘れるようにして。

「もっと素直になればいいのに」はあなたがわたしにずっと言いつづけてきた言葉で、そういう意味では今、ご要望に添えていると思う。わたしはあなたの誕生日にこれからもきっと毎年チョコレートを贈るけれど、ほんとうは毎年クリスマスにツリーのオーナメントをひとつずつ贈りあうような人生を送りたい自分がいることに気づいてしまったのだ。

擦り減らない関係性を知ったわたしは、あなたとの日々の中で擦り減ってきたことに今さら自覚的になってしまう。愛しても愛しても100%わたしのものにはならない男を手に入れることをはなから諦めてただ差し出された部分だけで満たし合うことは、一夜を生き延びるためだけによく知らない男と刹那的に抱き合うことよりもひそやかに、けれどたしかにわたしをすこしずつ、擦り減らしていたらしい。わたしは摩耗する、消耗する。気づかないふりをしてきたけれど。気づきたくなかったけれど。あなたがわたしを擦り減らすよりも遥かに早いペースで、あなたはわたしを満たしてくれていたから。

***

わたしを消費するあなたを好きだったことも、傷ついているあなたを好きだったことも、わたしを突き放すあなたを好きだったことも、わたしを抱きしめるあなたを好きだったことも、すべて真実だったと思う。なにも誓えなかったわたしだけれど、ひとつだけ確かに言えるのは、わたしの熱もわたしの寂しさもわたしのずるさも受け止めてくれたあなたがいなければ、わたしはここまで生きてはこられなかったということだ。あなたにしか救えないわたしが、そこにはたしかに存在していた。

だからそういう嬉しかったことだけを記憶にとどめて、黙って飲み込んできた痛みなど忘れてしまいたいのに、なぜかいまごろになって、屑籠をひっくり返したように悲しみが散らばっている。あなたがわたしに背を向けてねむることが、ほんとうは寂しかった。あなたと離れるのが寂しかった。寂しいと言えない関係性や距離を、自分で選んでおいて寂しかった。寂しいのは、嫌だった。



つよい陽射しの下で生きることを選んだわたしにあなたは、「肌に悪いからあんまり焼くなよ」と言ったけれど、どのみち焼けてしまうことなど分かっていたから、「妬くなよ?」と笑って返した。

日に焼けた手の甲も、それでもなおしろい内腿も、ひとしく愛してほしい。
項のしろさを失ってしまっても、胸もとのしろさを愛しいと言ってほしい。
肌を焼く陽の光に妬かないでほしい。
海の照り返しに妬かないでほしい。
でも、焼けるほど愛してほしい。
変わってしまうわたしを、変わらず愛してほしい。
肌のしろさをあなたにしか見せないと誓えないわたしを、それでも愛してほしい。
寂しいのは嫌だから、せめて愛していてほしい。

まだ、愛していてほしい。




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