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この熱を持てあまして

恋人のどこが好きかを明確に言語化できないから、たぶんほんとうに好きなのだろうな、とおもう。

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恋人といると、彼の心の奥の捻れた部分がわたしと近しい捻れかたをしているような気がして、どこかむず痒い気持ちになる。恋人は、起伏の少ない平面的で安定した人間でいるようでいて、なにかとんでもなく縺れきった部分を心の奥に隠している気配がする。わたしが素顔を見せたら、このひとは素顔を見せてくれるのだろうか。先回りして諦める癖をやめたら、先回りして諦めないでいてくれるのだろうか。

いつもどこかに乾いた諦念を漂わせている恋人は、わたしとの共通項などほとんどなにひとつもたないようなひとで、だからこそその乾燥度への親近感が、まだ乾ききらないわたしを疼かせる。過去共依存に陥りがちだった。他人に期待して傷ついたことがある。身を切るような喪失を経て、失ったら生きていけないようなものをもう作らないと決めた。そんな匂いがする。手を伸ばすことを意識的にやめている匂いがする。その諦念の下の感情を見たい気がするけれど、わたしはそれを引き受ける度量を持ち合わせているだろうか。


恋人はわたしの前では、好意というゆるい熱でわたしを包むので、わたしは安心して、ほどける。その好意が熱すぎないことが、いまは心地いい。剥き出しの感情をぶつけられることが怖いのは、かつてそれが侵襲でしかなかったことがあったからで、だから、感情を人にぶつけずにその場にそっと投げ出すように置いてくれるひとが好きだ。わたしはそれを、拾ってもいいし拾わなくてもいい。

恋情で相手に対する関与の度合いを変えるほどに熱のあるひとではないから、わたしは変わらずに、わたしの在りたいわたしのままでしっくりと恋人の在り方に添うことができる。 抱き合ったときに腕も足も絡めてもどこかに埋めがたくできてしまう空間のように、どこまで添おうとしても添いきれない部分はきっとあるのだろうけれど、その距離感さえも楽しみながら、届かないものを思っていたい。

わたしに何も求めず、本質的な何をも与えず、ただ柔らかくそこにあるだけのひとといるのが、結局いちばん穏やかにいられる。そういうひとにとっても、本質的に他人に興味のないわたしを相手にするのは、絶対に追いすがってこないぶん気楽なのだろう。顔色や様子を窺われることもなく、ただ気ままに、キスは溢れるほどに落ちる。


わたしは排他性を前提とした交際関係をほとんど途切れることなく、なんなら時期を重ならせさえしながら維持しているタイプなのだけれど、その関係性は大抵どこかが歪んでいる。珍しく真っ当になりうる余地のある付き合いかたをしたのは、この町にも一度一緒に来てくれたことのあるやさしい男が久しぶりにして最後だったなと思う。もう2年も前の話だ。「この人がいないと生きていけないと思うような相手をもう作りたくない」というコンセプトのもとにしたその恋はやがて、「この人がいなくても生きていける」というコンセプトのもとにあっさりと崩壊した。感情ではなく理性で選んだ相手だった。わたしの感情も本能も最後には、わたしが理性で選んだ相手を拒絶した。だから、もう理性も世間体もありふれた幸せも、わたしには必要ないと思った。

なのに恋人といるとわたしは、ありふれた幸せめいたものに包まれてしまうので、わたしの理性はこのあいだからずっと、「あなたが本能で愛するのはいつもこういう男ではない」とちいさな警告音を鳴らしている。ほんとうにこの男でいいのか、と意識の端で赤いランプが明滅する。けれど、恋人を見るたびにあたまもからだも否応なくざわざわと騒ぐから、もうこれでいいのだと思う。ひとを好きになる、ということは、そのひとをみつめるまなざしに、「好意」というフィルターを装着する、ということかもしれない、とふと思った。わたしは恋人の一挙手一投足を、フィルター越しに追っている。

おそらくいま、わたしは恋人にきちんと恋をしているし、このひとのことをきちんと尊重している。個人的な心情を正確に言語化するなら、「恋人の瞳に世界がどう映るのかに興味がある。恋人の瞳を通して見る世界を美しいと思う。それらすべてを、ああ、適切だ、と思う」。わたしにとっては、「きちんと」はそういう意味あいをもつ言葉だなと思った。使い古された表現だけれど、恋とは、世界を再発見することかもしれない。


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覚悟を決めた恋人が優しくなったので、幸せを噛み締めている。夜恋人の運転する車で一緒に帰ってきて、セックスをしてねむり、朝起きてもういちど、とても長く時間をかけて交わり、昼前に起き出して一緒にお風呂に入り、交互に膝枕をしあいながら映画を一本観て、軽くご飯を食べて、昼寝をする。夕暮れの日差しを浴びて、同じシャンプーの香りの中で目覚める。目を伏せて眠る彼の寝顔がうつくしくて、ああ、愛しいな、とおもう。たぶんこれを、幸福と呼ぶのだろう。

恋人とのセックスは、いつも前戯が長い。お互い酔って始めたりすると、前戯の途中でふたりともあっさり寝落ちしてしまうことがあって、そんなときは明け方どちらからともなく求めあう。恋人は眠ってしまったことを謝るけれど、欲情したまま弛緩して、眠りの底に落ちていくことがわたしは案外嫌いではない。朝になれば、起き抜けで感度を増した身体を、恋人がまた丁寧に蕩かしてくれる。


セックスのあとにそのまま眠ってしまった翌朝の恋人の脇の匂いを嗅ぎたい、と思う。肌の匂いを嗅ぎたがるわたしを、恋人ははじめのうちは嫌がっていたけれど、最近許してくれるようになったので、わたしは嬉しい。わたしを抱いて汗ばんだ恋人の脇の下からは、幸福の匂いがする。冬の寒い日、かじかんだ指先で割った肉まんの香り。湯気が冷えた鼻先をあたためる。純度の高い幸福。

恋人の指先をくちにふくみながら観る映画は薄く紗がかかっているようで、けれどときどき恋人が零す適切なコメントに意識を引き戻され、かと思えばまた恋人の指先がわたしの舌を捏ねるのに意識を奪われ、行ったり来たりの甘美な地獄には、今日も果てがない。


恋人の好意が熱すぎないことを喜んでいるのに、わたしはわたしの熱を持てあましている。恋人は、わたしの「やだ」を字句通り解釈するので、わたしは喘ぎかたをすこしチューニングする必要に迫られている。「やだ(きもちよすぎてこわいでもやめないでもっとして)」。すこし無理のある体勢のキスにわたしの腹筋が耐えきれなくなってきたら、彼はちゃんと気づいて手を引いてくれる。ベッドに押し倒すときには、ちゃんと後頭部に手を添えてくれる。正常位から後背位に移行するときには、ちゃんと腰に手を添えてくれる。だから、わたしが恋人に顔を埋めるときには、ちゃんと頭を撫でていてほしい。

恋人が触れるわたしの身体など、もう全身性感帯みたいなものだから、「どこが気持ちいいの」と問われてもうまく答えられない。恋人がわたしに欲情するのが嬉しい。恋人がわたしを抱きたいと思うのが嬉しい。恋人がわたしで気持ちよくなるのが嬉しい。恋人はわたしの肌の手触りを愛でるから、わたしは夜ごとボディクリームを欠かさなくなった。

大丈夫。恋人は、わたしのことが、ちゃんと好きだ。触れかたからそれが伝わってくるので、わたしはもうほとんど不安にならない。不安になったら、喘ぎに混ぜながら「ねえ、きもちいい?」と問うから、「きもちいいよ」と返してほしい。その喉から「好き」という言葉が零れるのを聞きたい、などと愚かなことを思ってしまいそうになるけれど、決して「すき?」と問いはしないから、ちゃんと行間から読み取ってほしい。万一うっかり「すき」を噴きこぼしてしまったら、聞こえなかったふりをしてほしい。


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「死にたくなったら俺に殺させてくれ」が愛の言葉だと思って生きてきたけれど、「一緒に死のうか」は恋の言葉だと思う。

有休を取って日がな一日わたしとベッドの上で絡まっていた恋人は、「一緒に死のう、明日」とわたしの腕の中で呟き、ああ、恋をされているのかもしれない、と胸があつくなった。いつだって、「ずっと一緒に生きたい女」よりは「一緒に死にたい女」でありたかった。

「ああ、もう仕事なんて行かずにずっと澪とこうしていたい」とぼやく恋人がたいへんに可愛らしくて、わたしに溺れる男の愛しさに眩暈がする。わたしといるときぐだぐだに崩れる恋人のことが、とても好きだ。駄々を捏ねる恋人に、なにもしてあげられないわたしはただすり寄って、髪を撫でたり抱きしめたりする。軽いキスが雨のように降ってきて、「思考停止してキス魔になっちゃったの」と笑ったら、「澪にキスをしてると、嫌なことを忘れられるんだよ」と返ってきて息が止まった。この声もこの身体も、あのとき捨てなくてよかった、と思った。

恋人が、すこし現実逃避的にわたしにキスを落としている瞬間があることには薄々気づいている。それでも、その粘膜の柔らかさも、耳に響く水音も、力の抜けた優しさ紛いのなにかも、流れ込んでくる温もりも、すべてがわたしを安心させるから、すべてをあまさず受け止めていたい。キスに溺れていられるのは、幸せなことだ。

「性欲が消え失せても澪にはキスをしたいと思うよ」と恋人は呟き、膝に乗せたわたしの顎を捕らえてまたキスをして、「これで俺は幸せ」と笑う。わたしは、そこにさしたる意味が込められていないことを知りながら、ああ、好きだ、と思う。そういうことを安易に口にしてしまう恋人の、ずるさと甘さと幼さと諦念と逃避癖が、好きだ。そういうことを言っておきながら翌日、わたしと絡み合って過ごした3日間のことなどなかったような顔をして出勤していくところも、好きだ。


朝、身支度を整えて玄関に歩きかけて戻ってきた恋人は、わたしを抱きしめてキスを落とす。執拗なくちづけにわたしの息が乱れはじめたころに、「…きりがないな」と恋人は苦笑いしてわたしを解放する。そうして灯された熱が、今日はいちにち恋人の代わりにわたしを抱く。


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