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溺れそうな毎日に

「多情」という言葉がよく似合う男のことがたぶん、ずっとずっと好きだった。

Episode 1.  February, 2019

「ほかの男にも抱かれてるんだろう」
「ほかの女とも寝るくせに」

そうやって何度も繰り返した埒もないじゃれあいは、たぶん、あなたとわたしとの間においては赦しだった。どこに帰ろうと、どこに行こうと、あなたとわたしとの関係が揺らぐわけではない。あなたとわたしの間に介在するものはあなたとわたしの感情だけで、第三者の存在を容れる余地はない。「似た者同士だな」とあなたは自嘲と軽蔑を綯交ぜにしたように笑ったけれど、同病相憐れむだろうが傷の舐め合いだろうが、わたしはあなたとの日々が好きだった。揺らぐという言葉さえ似合わないほどに不確かではあったけれど、なにひとつ伝えずなにひとつ答えなくても、なにひとつ取り零されない日々だった。


***


繋いだ掌の厚みだとか、両手を精一杯に回してやっと回るくらいの背中だとか、顔を埋めるのに十分なほど広い胸だとか、抱きしめられたときの顔の位置だとか、体温に合った甘めの香水だとか、どこかできちんと「父親」をやっているところとか、あまりにわたしの好みにぐっさり刺さる「男」で狡いなと、出会ったころからずっと思っていた。「パターナリズムを感じると安心して欲情する」とかいう雑な性癖晒しに堕すのは本意ではないけれど、それでも、わたしのプリミティブな欲は、押し流されたいと騒ぎ続けた。

適切に男をやれる人だからこそきっと、適切に父親の顔もできるのだろう。わたしが女の顔をしているときはちゃんと男の顔をしてくれるし、わたしが子供の顔をしたらちゃんと父親の顔をしてくれる、そういう適切な柔軟さにいつも助けられていた。わたしをいなす余裕のある人の前でしか、わたしは泣けないし笑えない。面倒くさい女をやめられないから、そうやって「面倒くさい女だな」と笑いながら上手に扱ってくれる人の前で、きちんと素直なわたしになれるとほんとうにほんとうに安心する。「壊れてるなあ、もったいないなあ」と撫でられるのが、とてもとても好きだった。

父性不在の家庭で育ったことにすべてを帰着させるのはずるいとは思うし、わたしの求める父親像がきわめて歪であることも知ってはいるのだけれど、それでも、己の男の趣味に混ざるファザコンを止められない。わたしが一番壊れているのは、父親を求めているなどと嘯きながらしれっと寝てしまうところなのだろう。「ああ、この人がわたしの父親であってほしかった」と思う相手は人生で何人か巡り合っているけれど、彼らはことごとく安い媚態や言葉遊びに乗ってわたしと寝てしまうような男だし、わたし自身、そういうところも含めての歪んだ「ほしい」であることを自覚している。「よき父親」のマスクの下の「男」の顔が見たいという衝動を、いつも押さえられない。けれど、その「男」の顔の奥に、また「父親」の顔を求めている。

入れ子状に、歪な愛は、捩れる。


***


恋にしたら傷つくことも、愛にしたら崩れることも、200%の正確さで把握していたし、そんな甘ったるいものを求めていたわけではないからこそ、「お前のそういうところが好きだよ」「悪趣味ですね」と戯言を口にすることこそあれ、お互いに本気でその手の感情の話をしたことはなかった。明け方包み込むように抱きしめてくれる優しい腕や啄むように落とされる柔らかな唇を、ほしくなかったと言えば嘘になるけれど、わたしがあなたに求めるべきものではないのが分かっていたから、眠っているあなたを置いて何度もそっと部屋の戸を閉めた。誰のところに帰ろうとあなたの自由だ。「目が覚めたときにお前がいないのは結構堪えるよ」と言われたことがあるけれど、わたしは、部屋の外でわたしの領域を守ることに固執していた。

会い始めたころ、会うたびに「もう二度と会わない」と決めてLINEをBlockしていたのは、今思えばずるずるとのめりこむのが怖かったからだ。けれど、何度Blockしても、わたしは寂しさに耐え切れなくなった夜、あなたに連絡してしまっていた。その後、甘えすぎたなと思っては自棄のようにトークルームごと削除するようになったけれど、そのころには、あなたが時々他愛のないメッセージをくれるようになっていて、いつしかあなたのアイコンがポップしてくるのを嬉しいと思うようになり、わたしは、わたしの生活と精神を支えるもののひとつがあなたの存在であることを、諦念とともに認めた。


***


会社の飲み会で疲弊した真夜中何度も、わたしらしいわたしに戻らせてくれたこと。わたしの悲しい夜と壊れてしまいたい夜をいくつもいくつも掬い上げてくれたこと。海が好きなわたしに、「よく分からないけれど、この景色を俺が見たことをお前に共有したいと思ったんだよ」と、訪れた海の写真を見せてくれたこと。夏の夕暮れ、季節外れかしらと思いながらつけていったしだれ紅梅の香水に、夜も更けたベッドの上で「会った瞬間いい匂いだなと思ったよ」と伝えてくれたこと。ダイビング帰り、器材を抱えたすっぴんジャージのわたしと、いつもと変わらず飲んでくれたこと。雨の中唐突に引き寄せるとき、流れるように傘を差しかけてくれたこと。別れ際に無言でぶつかるようにしがみついたら、わたしの気が済むまで抱きしめていてくれたこと。わたしの生まれた年の歌を歌ってくれたこと。眠るのは一人がいいと思った夜、最後の最後でいつも、「はよ帰れ」と突き放してくれたこと。一人の家に帰りたくなくて改札の向こうで泣いた夜、帰さないでくれたこと。

あなたにとっては大部分が、脊髄反射に近いような男としてのありふれた仕草か、あるいは打算にすぎなかったのだろうとは思うけれど、わたしにとってはひとつひとつがとてもたいせつな記憶になっている。小さなエピソードをときどき、ひとつずつくちのなかでころがしてはたしかめる。

思えばいつも救われてばかりだったけれど、ひとつだけ自分を褒めるとしたら、あなたが一番弱っていたあの夜、その最後の殻を破ろうとしなかったことだろう。他所では弱った男の弱さに付け込むような真似ばかりしてきたのに、あなたにだけはそうしてはいけないと思った。呻くように零された「助けてくれよ」に、応えたくて泣きそうになったけれど、黙って抱きしめる両手に力を込めた。目の前にぶら下がっているのは、かつて一度、喉から手が出るほど欲しいと思ったものだった。「お前の闇も歪みも自由さも全部ひっくるめて俺なりに愛するから、俺の奔放ごと受け入れてはくれないか」は、このシチュエーションでなければなかなか素敵な告白だっただろう。「お前のことは全部知っていて、その上でその在り方を尊敬し尊重する。全部許して、全部受け止めてやるから俺にしろよ。」には、さすがにいまだにぐらっと来る。

けれど、目尻の涙を隠すように「さすがにクサいな」と自嘲する冷静さをギリギリのところで保ち続けているあなたを、「助けてもらおうなんて思ってねーよ、自分でマネージできるさ」と強がるあなたを、あれほど愛おしいと思ったことはなかった。20も年下の女の胸で泣けるんだから、あなたはまだ大丈夫だ。

あなたが寂しさにまかせてわたしに好きだと言ったあの夜、わたしは笑っていなしてあなたを抱きしめた。わたしが寂しさにまかせてあなたに好きだと言いかけたいつかの夜、あなたは笑ってわたしの口を塞いだ。わたしたちがふたりで過ごしてきた時間の中で、わたしたちの優しさはたぶん、そういうところでずっと通底していた。ふたり夜に溺れて、それでもふたりごと沈まない強さを、ふたりは等しく持ち合わせていた。


***


不安で不安で堪らない毎日の中で、寂しさに溺れそうになっていたとき、あなたはわたしの寂しさを、いつも過不足なく満たしてくれた。わたしは何度もあなたに縋り付き、いつしかあなたの腕の中が唯一安心できる場所になっている自分をみつけた。けれどわたしはずっと、この寂しさをなにか違う形で癒せないか探し続けてもがいていたように思う。

最後にいつになく距離の近い数日を過ごした後、「まとわりつくお前が愛おしいと思った」と言われた。お互いが抱える寂しさの質はお互いを取り巻く環境の中で少しずつ変化して、それに伴ってお互いが相手にぶつける欲の質も変容してきたけれど、その果てに、図らずもお互いが「愛おしい」という語彙で相手を形容する心境に至るとは、出会ったころには思いもしなかった。

あなたが、溺れそうな毎日でお前に助けられていたよと言ってくれたとき、ああ、ふたりで時間を過ごしてきてよかった、と思った。なにひとつ正しくなどない日々だったけれど、わたしたちにとってはおそらく必要な日々だった。わたしが寂しさに溺れていた日々、あなたはなにに溺れそうで、わたしの隣にいることを好んでくれたのだろうか。わたしがもしもあなたを救っていたのだとしたら、あなたの隣はわたしがわたしの居場所と呼んでよい場所だったのだと振り返って思うことくらいは許されるだろうか。

あなたはわたしがいなくても生きていくし、わたしはあなたがいなくても生きていくけれど、あなたがいる方が、世界は少し優しかった。わたしはあなたにとってたぶんいつの日も器でしかなかったし、わたし自身そのことをちゃんと自覚していたけれど、ひとりでちゃんと立っているあなたが、ひとりで生きられるあなたが、わたし以外にたいせつなものを持つあなたが、それでも胸の内に渦巻く何かをぶつけるようにわたしを抱くのが、いつのころからかとても好きだった。

あなたがいつもすこし強すぎる圧でわたしを抱きしめるとき、このまま骨という骨が砕けてしまえばいいと、わりと本気で願っていた。肌の奥に残るあなたの指先の感触を、今もやっぱり消してしまいたくない。体温はもう遠いけれど、せめてあなたも同じ寂しさを抱えていればいいと思うわたしは残酷だろうか。

いつもどこかで父性を欲しているわたしの心がいちばん震えるのは、「好き」でも「愛してる」でもなくたぶん「愛おしい」というニュアンスの感情を向けられるときなのだろう。もしほんとうに「愛おしい」とあなたがわたしに対して思ってくれた瞬間があるのなら、少なくともしばらくは、それだけを支えにして、溺れそうな毎日を溺れずに泳いでいけるような気がした。




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