見出し画像

出会ったころのように

この人と一緒にいても、綺麗になるのはきっと肌だけだと思った。

Episode 2. May, 2017

深い闇に飲まれないように精一杯だった、のか、深い闇に飲まれてしまいたい自分を認められずに苦しかった、のかと問われたら、おそらく長らく後者だったのだろう。精神的な幼さに付け込まれたいと思う自分をもう捨てよう、と決めたはずだったのに、結局わたしの弱さを消費するあなたのずるさを消費していた。


当時の恋人との関係性が否応なくルーティンになっていくことへの苛立ちと不安を、誰かに欲望される女体であると確認することで糊塗する不毛な夜に何度か足を踏み入れそうになって、けれど僅かに残る恋人への義理立てがわたしをかろうじて踏みとどまらせていた時期だった。凪いでいるようでいて、指一本でも触れるとすぐに底まで落ちそうな精神状態が肌の下に透けて見えていたのか、退廃の匂いを嗅ぎつけるのが上手な人が何人かふらふらと周りを歩き回っていて、そんな中見つけたのがあなただった。


蒸し暑い夜の五反田の、2軒目のバーカウンターでやや無遠慮に腰に回されたあなたの左手をそっと解かせて、かわりにその薬指の指輪を回して遊ぶわたしを、あなたは面白そうに眺めた。剥き出しの欲望は、前座の小道具としては安上がりすぎるから、1軒目で触れてくる男は嫌いだし、2軒目では視線で口説いてほしい。

なにかが致命的に失われている状態、というのは、わたしにとってとても安心感のある、安定した状態だ。たとえば終電の時刻を過ぎたバー。たとえば左手の薬指に指輪の光る男。たとえば目を瞑ったままするセックス。

自分を大切にできない日に、ちゃんと大切にしてくれない人が好きだ、と言うと露悪に過ぎるかもしれないけれど、そういう日に恋人を適切に尊重するのも適切に尊重されるのも、結構辛いものがある。情緒でつながるばかりでは苦しすぎるから、ドライなギブアンドテイクか、粗雑な奪い合いのふりがしたくもなる。

初めて会った夜に「死にたいの?」と問われてうまく答えられなかった死に体のわたしを、次に会った夜あなたは予定調和的に絡めとり、お互いに極めてひとりよがりなセックスをした。ラブホテルの乾いたベッドは軋まなかったし、持ち寄ったのは別に優しさではなくただの欲だった。使い捨ての夜をあたためる、使い捨ての温もり。あなたでなくてもいいあなたの、わたしでなくてもいいわたし。その程度が過不足なく心地よかった。代替可能性にも、それ相応の愛しさはある。

ベッドの上で向き合ったときに「抱きたい」とストレートな欲をぶつけてくれる後腐れのない男が、あのときのわたしにとっては何よりほしいものだったのだ。それがわたしを見て、わたしだけに向けられたものではないのは分かっていたけれど。性欲の器だろうが自己投影だろうが虚像だろうが、「わたし」を見られていないから、わたしも「あなた」を見なくていい。

あのころのわたしはたぶん、与えられる快感さえも見ていなかったような気がする。だってあのころあなたの抱き方は随分と乱暴で、ただ欲を発散させるためだけの作業のようなセックスだったから。刺激にまだ慣れきれぬ内臓をつよく突き上げられるリズムに合わせて、わたしは機械的に嬌声を口から零す。乱暴に折りたたまれたり裏返されたり、引きずりおろされたりのしかかられたりを、どこか他人事のように受け入れつづけるわたしは、ただ目の前の男から発散される欲望のにおいを吸い込みたかっただけだった。

初めて迎えた朝、「ベッドの上でどんな顔をするのか見たかった」と常套句で繕ってみたけれど、さらっと「ずっと目を瞑っていたくせに」と返されて、ああ、バレているな、と思った。このあと長く、わたしはあなたの顔をベッドで正視することも、朝を一緒に過ごすことも、名前を呼ぶことさえも頑なに避け続けた。器に名前を呼ぶ資格などない。


***


辛い夜や寂しい夜に思い出して会いたくなる相手には二通りあると思う。「この人のことはいくら消費してもかまわない」と思える相手と、「この人は絶対に自分を傷つけない」と思える相手と。二度目に会ったら寝てしまうことなど痛いほど分かっていたのに回避しなかったのは、言葉を仕事にしている人ならではの会話の楽しさに加えて、たぶん、わたしがあなたをどれだけ消費しようと、あなたが本質的に擦り減ることはないと分かっていたからだった。お互いに、相手の傷つかなさに甘えていたし、同時に自分の傷つかなさにも甘えていた。そしてどこかで、相手が自分を傷つける意図を持たないことだけはおぼろげに察知していた。

あなたの寂しさを埋めようと考えたことはなかった、どころか、あなたが寂しさゆえに女を求めているのかどうかにすら、興味などなかった。他人の寂しさなんて救えない。嘘を包んだ嘘に嘘を塗すような東京の夜の真ん中で、わたしはわたしの寂しさで手いっぱいだ。いつだって先に立つのは自分可愛さだし、歪んで崩れて溶けていく自我に溺れたいだけだった。

あなたはわたしの駄々をいつも、斜に構えた笑みで聞き流す。「他人に興味がないのはわかるが、自分自身にも興味がないように見える」「ベッドの上で何を言わせてもどれだけ泣かせても、本質的に俺を固有名詞として認識することはないんだろうなと思う」あたりはある意味ご明察だった。けれど、お互い様だろう。わたしにとってあなたはone of themだったし、同時にあなたにとってのわたしも同様だと認識していたから、そこに問題は起こりえなかった。あのころ固有名詞として抱かれたら多分耐えられなかった。


定義より身体が先に立つのは、わたしたちにとって何より言葉が大切で、自分にも相手にも安っぽい嘘が吐けず、相手の感情よりも自分の感情が重要で、お互いを全人的に引き受ける気力もなく、自分の身体を引き摺るだけで精一杯だからだ、などと言葉にしてしまうことの虚しさも誰より分かっている。くだらない。でも、それを分かりあっているがゆえに、わたしたちは、安易にお互いの身体に触れてしまう。


***


どちらも等しくずるく醜く、ただお互いがお互いに向けて据えられた膳でしかない予定調和。据え膳を据える側であるか据えられる側であるかという前段をすっ飛ばせるというのは、なかなかに気楽なことかもしれなかった。支配されることで束の間の安寧を得るわたしは、組み敷くことで支配欲を満たす人の束の間の充足感の照り返しを全身に浴びて、非日常が螺旋状に加速するのをどこか俯瞰的に眺めている。

あのころ、自分があなたの情欲を過不足なく満たしていると感じる瞬間にどうしようもなく陶酔してしまったのは、あなたの情欲がわたしの内面に向かずに、表層で跳ね返って自己完結していたからかもしれない。とことん、心を求められることが苦手だった。それでも、身体のかたちを求めてほしかった。

わたしを自由でいさせて。でもベッドの上では縛りつけて。


***


あなたに抱かれ、その夜をやり過ごす。それでも、次の日、またきっと寂しい。けれど、深酒や睡眠不足でどれほど疲弊していても、あなたと会った次の日、わたしの肌はいつもしっとりと潤っていた。


わたしの弱さを消費するあなたのずるさを消費しているという事実がおそらくわたしの一部を強くしそしてまたどこか一部をより弱くし、歪に縺れていく関係性の綾をわたしたちはたぶん、「情」と呼んだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?