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夜の動物たち

あのひとがわたしに触れたことを思い出す。動物のように、女のように、幼子のように。

第一夜


動物のことをきちんと好きなひとは、動物になるべきときにきちんと動物になるということを知っていて良いな、と思う。


***


あのひとが仕事でこの町を訪れると共通の知人から聞いたので、わたしがいまこの町で暮らしていることを報告しがてらに、久しぶりにお会いできたらうれしいです、とメッセージを投げておいた。1年半ほど前に友人から紹介されて会い、動物好きの度合いが通常想像される範囲を相当程度に逸脱している、という共通点をもつ年の離れた知人として、何度かメッセージのやり取りをしただけの仲だった。もともと、わたしよりずっと深く、この町にゆかりを持つひとだった。


あのひとの仕事仲間も交えて数人で飲んで、お互いに少し酒量を過ごしすぎてふわふわしながら夜道を歩いた。最後の1人を見送ってなお歩みを止めないわたしに、「君の帰り道はそっちじゃないでしょう」とあのひとは声をかけたけれど、「夜の海を覗きに行くからいいんです」と返したわたしのことばは、あのひとには「誘ってください」と聞こえていたのかもしれない、と思う。言い終えるか終えないかのうちに、その腕に抱きしめられていたから。

先達と見たことこそあれ、わたしが殊更に「男」を感じるひとでも、わたしの前で殊更に「男」の顔をするひとでも、これまではなかったから、こうなることはまったく想定外ではあったのだけれど、その腕を振りほどくという選択肢をわたしがもたなかったのは、臆面もなく道の真ん中でわたしをとらえたあのひとの動作が、存外に動物めいていたからかもしれない。

背後をいくつかの靴音が足早に通り過ぎ、知り合いだったら困るなとぼんやりと思いながらも、心地よさに流されていた。軽いキスのあとに、「部屋に来るか」と平生の丁寧語を外して問うたあのひとは、最後の一歩を明確にわたしの意思で踏み外させる、優しくて狡い男だった。


わたしの手を引いて、花々に彩られた小道を辿り、立て付けの悪いドアを開けて、「女を連れ込むつもりはなかったんだよ。こんな部屋で悪いな」とあのひとは笑った。その面積の殆どをシングルベッドに占められた宿の部屋は、旅慣れたひとらしい乱雑さと一定の秩序とが入り混じっていて、いきものの巣穴のようだ、と思った。ただあたたかくて、安心できる場所を求めるだけの動物になってしまったような気がする。このひとの懐にいれば怖くない、と何の根拠もなく思えそうだった。


***


低い声と柔らかなキスをたくさん落とされて、リードされるがままに委ね、何も気を遣わなくていい、誘導もしなくていい、ただ触れられる箇所すべてが気持ちいい、苦しくも痛くも不快でもない、かといって物足りなくもない、ゆったりと心地良いセックスをした。こんなにも無防備に相手の愛撫を受け入れたのは、初めてだったかもしれない。搾取されている感じも、磨耗していく感じもしなかった。わたしを引き寄せる腕のささやかな強引さや、逃げかかるわたしを捕らえる指先のゆるやかな執拗さまで含め、すべてが適切にやさしかった。

端的に言うならば、よく練れた上手な男だった、ということになるのだろうけれど、その手つきや唇の動きに動物どうしの毛繕いを想起し、ああ、動物を愛する男が抱くのは、身体だけではないのだな、と妙に納得した。


SMのSはサービスのS、という言葉を思い出すほどに、「抱かれている」というより「世話を焼かれている」という感覚がつよいセックスだった、などとひとり反芻しているところへ、「人であれ動物であれ、世話を焼くのが好きなんだよ」という台詞があのひとのくちからこぼれおちて、ああ、わたしのことばは今日も、世界に対して適切だ、と思った。


動物に触れることに慣れている人は、女に触れることにも慣れている。悪意を敏感に察知する動物たちと接することに慣れている人は、わたしに軽率に悪意を晒さない。物言わぬものたちの心の動きを推し量ることに慣れている人は、わたしの声にならない声をよく聞いてくれる。心と身体とが適切に接続されている動物の行動を眺めることに慣れている人は、身体という器を通して、心という不確かなものを抱きたがる。


***


ベッドの上であのひとは、平生より少し低い声で、平生より少しゆっくりと話す。それがとても心地良い。わたしをさん付けで呼びながら抱くあのひとを、わたしは、せんせい、と呼ぶ。ベッドで相手を呼ぶことが長らくあまり得意ではなかったけれど、名前でなければ意外と呼べることに気づく。あたらしい発見があるので、あたらしい男と寝るのは楽しい。浅いキスが上手なこと、密着度の高い体位を好むこと、まるい喉仏をくるくると舐めていたら、ひくり、と首の血管が脈動すること。

その肌に動物のように舌を這わせていると、骨や筋肉や血管が、薄くなりかかった皮膚の下に息づいているのがよく分かる。昔3年ほど付き合った男の骨格をとても愛していたのだけれど、あのひとの肩甲骨と骨盤はそれ以来のヒットかもしれない。声が好みな男は骨格もだいたい好みだ。その声を鳴らす楽器としての、身体。


あのひとは、足を絡めるのが好きなわたしに「甘えたがりだなあ」とこぼしたあと、「きみの感じるところはだいたい分かった」と、ちいさくわらった。触れていたいことも触れてほしいところも、あたらしい男にはいつもわりとわかりやすく伝えているつもりなので、「わかりやすいね」ときちんと受け取られると、うれしい。ベッドの上で途端に平生の姿をうしなうわたしを、寝た男はみな甘えん坊だと評して可愛がる。わたしはわたしの甘えを適切に処理する、彼らの慣れと余裕に欲情する。


***


普段眼鏡をかけて、節度ある距離感を保っていたはずのひとが、眼鏡を外して至近距離にいるのがなにかおもしろくて、頬を両手で包んでその瞳を子細に観察してみたり、頬や頤の起伏をなぞってみたり、少し白髪の混じった髭を愛でてみたりした。あのひとの額には、鳥が空に羽ばたいているような形の深いしわがある。あのひとの目尻には、鳥の足跡のような3本のしわがある。この町に降り注ぐ日差しやら雨風やらもきっと、あのひとの顔を形づくるもののひとつになってきたのだろう。

東京都心の蕎麦屋やらセミナールームやらでこれまでに、スーツのあのひととハイヒールのわたしとは、動物についてたくさんの言葉を交わしたような気がしていたけれど、いまお互いの愛する場所に身を置いて、2匹の動物のように身を寄せ合って眠ってみて伝わってきたことのほうが随分多いように思う。わたしはやっぱり、ものいわぬものたちにきちんと寄り添うことを知っているひと、が好きなのだ。愛するものが近しいということは決して互いを愛しているということを意味しないけれど、行為に微かな連帯感の匂いが漂っていたのは、たぶん錯覚ではない。あのひとがたいせつに思うものを、わたしもまた、わたしなりのやりかたでたいせつに思っている。


恋愛感情を微塵も抱かないでいい相手と、曖昧な共感に揺蕩いながら溶け合うのは楽でいい。湿度のつよい朝、ほどけたわたしをゆるやかに結び直しながら部屋を出た。動物としてわたしを適切に受け止めてくれたあのひとの愛するこの町で、わたしはこれからも、きちんと動物であろうと思った。

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