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東京で暮らしていたころ、「死にたい」という感情はいつも心のわりあい浅いところにあって、ごく自然なものとして毎秒その存在を認識していたのだけれど、この町で海を眺めていると、あまりそう思わない。それは「死にたくない」だとか「生きたい」だとかいうことではなく、単に「死にたいと思う瞬間が少ない」というだけのことなのだけれど。 ふた回りほど年上の先達に数年前から、「わたしが先に死ぬから、骨はこの海の、わたしのお気に入りの場所に撒いてほしいの」と、ことあるごとに頼みつづけている。すべて