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器用貧乏な自分が好き

書く習慣1ヶ月チャレンジ5日目のテーマは
昔どんなこどもだったか。

今までで1番悩むテーマである。こういうのはそこそこやんちゃとか悪さしたとか、めちゃくちゃ賢かったとかやたら賢かったとかそういうエピソードが付き物だと思ってるからである。このテーマのせいで1日空いてしまったといっても過言では無い。(本当は忙しすぎて時間なかっただけだが)

成人式で小学生ぶりに会った友達には「全然変わってない!」と言われた。見た目は今とあまり変わらないようだ。まあそれもそのはずで、背も低く童顔な自分は毎日子供に「6年生がいる!」といじられる。それもまあ自分で否定できないぐらいには小学生すぎる見た目だから返す言葉もない。

…そういう話ではなくて。どんな子供だったかというと、良い子。大きな反抗期もなかったし、子供らしく素直だし、成績もそこそこ、運動もそこそこ、学級委員とかは積極的にやっていた。大人しめな子とも、元気な子とも、なんなら学校を途中でフェードアウトしていく子とも何でか仲が良かったぐらいには友達もぼちぼちいた。多分、漫画とかドラマの主人公にはならないぐらい普通。けど何となくそんな自分のことは好きだった。「器用貧乏」って言葉を初めて聞いた時、本当はそこまでポジティブな意味じゃないとしても、心の底からこの言葉は自分にピッタリでかっこいいと思った。そんな子供だった。

器用貧乏な子供時代から今は大人になったが、器用貧乏は変わらない。どちらかというと、ちょっぴり不器用な要素は増えた気もするけど。まだ「これが得意!」といえない自分が、どんな歳の取り方をしていくのか。自分自身、結構楽しみだったりする。

おわり


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