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変容の今、痛みからも目をそらさずに。


我が家は広いテラスのある一階で、
そのまま外にも出ていける。

桜並木とちょっとした芝生があるので、
自宅から3秒でアーシングも可能だ。


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東京でありながらこの環境はとても恵まれていて、
太陽と風と土と、
鳥のさえずりと心地よい風を味わいながら、

今もこうしてテラスでパソコンを打っていることに、
感謝の気持ちでいっぱいだ。


ここが気に入ってもう長く住んでいて、
ずっとこの環境が手の中にあったにもかかわらず、

こんなにも感謝の気持ちがわいてくるのは、

これが当たり前のことではないと、
身体の芯から感じているからなのだろう。


どんなにか守られて、許されて、
そして愛されて、
今まで私は生きてきたことか

どんなにわがままを言っても

どんなに目を背けても

どんなにエゴにまみれて突き進もうとも

地球は、宇宙は、
一時も見放すことなく、
いつも見守り、赦してきてくれた。


私は今、
その大きな存在の愛を目の前にして、

正直、うろたえている。


こんなにも大きな愛を、
享受していたことに。


私はそれにしっかりと目を向けて、
意思をもって受け取っていたのだろうか?

自信をもってそう言える自信は、
残念ながら私にはない。


あまりにも当たり前に、
あまりにも無意識に、

あって当たり前

だと思ってきた。


でも今、その愛を目の当たりにして、
私は朝から涙があふれて仕方ないのだ。


ごめんなさい

という気持ちと、

ありがとうございます

という気持ちと、

それが半分ずつくらい、
もうどう表現したらいいのかわからなくて
途方に暮れる。


でも、
どのように謝って、
どのように感謝しても、

いつ、
どんなときであっても、

変わらずに包み込んでくれる存在が、
いつもあるということに、

もう私たちはしっかりと目を開く時だ。


今までの時代が間違っていたとは思わない。

その時間がなければ、
私たちは大切なことに気付けなかったから。

必要なプロセスだったのだと思う。


でも、
その時間の中で失ったものは、
あまりにも大きかったのではないかと思う。


特に自然環境においては、言うまでもなく。

多くの人がそれに気づきながらも、
その壮大すぎるスケールを目の前に立ち尽くし、

自分の無力感を認めたくないがゆえに、
目を背けてきた。


私は、確実にその一人だ。


でも今、
その自然が、世界が、地球が、
そして宇宙が、

大きな変容を遂げるために、
大きなチャンスを与えてくれた。


現に、
我が家の目の前の桜並木や芝生も、

力強い生命力で、
生きる力を吹き返し、
生き生きと生きているように感じる。


私が見る目が変化したのかもしれない。

感じ取る視点が変わったのかもしれない。


でも、世界はそうやって、
創り出されているのではないだろうか?


私たちが何を見るのか。
何を感じ取るのか。

そしてそこから何を選び、どう行動するのか。


その想念が、世界を創る。


「早く元通りになりますように」

という言葉を、
様々な発信の中で目にするけれど、

正確には、元通りになんてならない。


今まで通りの世界になんて戻らないし、
戻ってはいけないし、
私は戻りたくなんてない。

そして、戻る必要がない。


大きく変わるチャンスであるからこそ、

大きく変わらなければいけない時だからこそ、

こんな時間を世界規模で、
私たちに授けてくれたのだろうと思うからだ。


もうこれ以上、たくさんのものが必要だろうか?

もうこれ以上、複雑にする必要があるだろうか?


たくさん作るために、
たくさんの箱を作り、
たくさん消費することで、
豊かになっているだなんて、

幻想にもほどがある。


本当に必要なものは何か?

本当に大切なものは何か?

本当の豊かさとは何か?


この先に広がる世界に、
私は可能性と希望しか見えない。


それを一人一人が深く感じ入る、
そんな時間を与えてくれている。


痛みも浮上するだろう。

怒りも浮上するだろう。

不安や焦りも、浮上するだろう。


当然のことだ。
人間として当たり前のことだ。

正常な反応であるにもかかわらず、

今まで見ようとしてこなかった
ダークサイドだ。


しかし、闇がなければ光は見えない。


闇があることを、ないことにせずに、
安心してそれを感じていいのだ。

必ずそこを抜けることができるし、

本物を知るためには通らなければならない道筋だ。


安心して、絶望しよう。

安心して、泣こう。


だって、いつどんな時でも、
私たちは愛され、守られているから。


必ず、また立ち上がれるから。

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