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隊長のビールと坊ちゃんのワイン 19.

第一話から読む
https://note.com/miosan303/n/n667d9b1af522


 デメトリア市城壁内の北東部、王宮地区には数々の神殿と広場、ケメト貴族の屋敷、そしてアルゲアスの本邸でもある将軍の館がある。すでに先触れを出していたこともあり、ネフェルは門兵に一言二言、短く告げただけでどんどん敷地に入っていった。ユリアンは名乗らなくてもいいのかと心配になったが、ネフェルも兵も何も言わないので戸惑いながらも付いて行く。

「将軍は?」

 門を潜り、大きな建物を突っ切って、さらに奥の建物。入り口にいる兵士にネフェルが短く問うた。

「応接室でお待ちです」

 そこから広々としたポーチ、中庭を抜けて、ようやくネフェルの足が止まった。
 日が暮れ、室内にはいくつものランプが灯っている。

 応接室の奥、屋敷の主人が座るべき場所にその人は座っていた。どっしりと、と表現するにはややくたびれた雰囲気だ。傍らにはイリホルも立っている。
 二人とも、ネフェルの突然の来訪、それも随分と荒々しい態度にも驚いた様子はない。
 ユリアンはトーガの端を持ち、右手を胸の前に掲げて膝を折った。

「アルゲアス将軍、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。ユリアン・クラディウス・フィレヌスにございます。この度は大変お世話になりました」

 カセケメリラー・アルゲアス氏は瞼を下ろしながらゆっくりと頷いた。
 六十二歳という年齢からすると見目は若々しかった。体が大きく、背格好や雰囲気は実子であるイリホルとよく似ている。しかしどこか覇気がない。

「お初にお目にかかる。カセケメリラー・アルゲアスである。クラディウス・フィレヌスの子息よ、ようこそデメトリアへ。そして海上にて奇策を用い、海賊を追い返してくれたこと、深く感謝する。おかげで我が軍は追走に成功し、五隻を拿捕するに至った」

 将軍は声にも疲れが滲んでいた。隣に立つイリホルの様子も重苦しい。

「恐れながら、アルゲアス将軍にお聞きします。国境警備全体の、半数をデメトリア市に移動させたというのは本当なのでしょうか?」
「いかにも。王命である」
「なんでそんな馬鹿な真似を止めなかった。王の勅命だなんて、そんなもの、もう何十年って出されてなかっただろ」

 ネフェルが唸るような低い声を出した。アルゲアス将軍は答えずに項垂れ、代わりにイリホルが半歩こちらへ進み出た。

「若殿の前で言いにくいのですが……アルバ軍が突然いなくなり、それを狙ったかのように海賊の襲来があり、我が王は大変に動揺なされました。そこでポイボス様の神託を三日三晩かけて下ろし、今回の軍招集となったのです……お止めするのは、難しかった」

 イリホルの声は沈痛だった。ユリアンは一度唇を舐めて湿らせてから口を開く。

「一体、どのような御神託だったのでしょうか?」
「我々も人伝てに聞き及んだだけですが、意味としては、『守りを堅め、人を動かせ』ということだったと」
「その神託を受けて、国境の半数の兵を王宮の守りに……」

 アルゲアス将軍は、一層項垂れて下を向いた。
 絶句せざるを得ない。そもそも御神託の言葉というのは、あまり具体的でない。神官と言えど神の御意思のほんの一部分しか受け取ることはできず、それを地上の言葉にすれば曖昧に聞こえるものだ。故に、神託をどう生かすかは受け取った人間の能力に寄る。

「なぜそこまで性急な動きを? 確かにデメトリアは襲撃に遭っていたが、防ぎ切っていたではありませぬか。内陸を一気に手薄にしてまで、王都に兵を集める理由は」
「今までケメト軍は、単独で戦ったことがないんだ」

 ネフェルが不機嫌な低い声でそう言った。

「外敵を迎え撃つときは、アルバ軍が背後の守りを固める。逆にアルバ軍を支援する際は、守りと補給に徹するという具合に。ケメト軍だけで作戦を立てたことすらない。だから国王陛下はビビっちまって、とにかく王宮の守りを増やそうとした。そういうことだろう」

 アルゲアス将軍とイリホルは揃って視線を落とした。ネフェルの言った通りなのだ。

 アルバ軍――レグルスになんらかの狙いがあり、帝国とケメト王国の利益のために動いていることは、ユリアンだけでなくネフェルも、アルゲアス将軍もきっと分かっていることだろう。
 しかし、国王にはその意図が伝わっていない。アルバ帝国は、同盟国の王の信を勝ち得ていなかったのだ。

「せめてもう少し数を減らすとか、なんとでもできただろう。軍の人事権はアルゲアスが持ってるんじゃないのかよ。なんでいつもそうやって言いなりなんだ」
「ネフェル!」

 イリホルが強い口調でネフェルを遮った。
 そこで会話が途切れる。

 扉の向こうが騒がしい。どたどたと慌ただしい足音のあと、扉が壊れるのではというほど勢いよく開き、数人がなだれ込んできた。

「おいクソ親父!」

 その先頭はパセルだった。ネフェル以上に荒々しく応接室を突っ切ると、アルゲアス将軍に手を伸ばした。

「塩湖に賊が攻めてくるってのは本当かよ!」
「ダメ、さすがにダメだよパセル!」

 胸倉を掴もうとしたパセルを寸でのところで止めたのはヤコモだった。ヤコモとほぼ同時に衛兵がパセルを引き剝がす。
 息子たちの相次ぐ襲来にアルゲアス将軍も口を開けて呆けている。

「ごめんなさい、止めたんだけど、ボク一人で止められるわけもなくて」
「パセル殿、一体どうしたのだ。そんな血相を変えて」
「坊ちゃんも知ってんのか。アイツらの仲間が塩湖を狙ってるって」

 答えるべきか否か。ユリアンが視線を送ると、ネフェルが代弁してくれた。

「捕虜がそういう情報を吐いたのは本当だ。俺はそれを報せにここへ来た」

 後半はアルゲアス将軍とイリホルに向かって告げられていた。それを聞いたパセルは「クソッ!」と悪態をつき、取り押さえていた衛兵を振り払う。

「俺は行くぞ。今すぐ行く。外にいるあの増援兵、みんな国境の持ち場を離れて来ちまったんだろ? まずいじゃねえか! あの辺はもともと兵が少ねえのに」
「パセル殿……」

 パセルの顔を覗き込む。近づけば、表情も見える。パセルは苦しそうに、悲しそうに、唇を噛みしめていた。

「故郷なんだよ……十四まで、塩湖の西の村で育った」
「それは、さぞや心配であろう」

 想像もつかないほど悍ましい事態だ。自分の故郷に賊が迫っていると聞いたら。

「大丈夫だ、パセル。塩湖の防衛には俺たち、アルゲアス百人隊が駆け付ける」

 ネフェルは再度将軍へ向き直り、今度は床に膝をついた。

「そういうわけで、塩湖の防衛には俺の隊を出す。すぐに大軍を動かすのは無理でも、俺の隊を派遣する命令くらい、今ここで口頭でいただいてもよろしいのでは」

 アルゲアス将軍はか細い声で答えた。

「すまぬが、よろしく頼む」
「イリホル、お前は親父と王命の撤回をしろ。それで使えるようになった兵を国境にすぐ戻せ」
「三日、くれ。三日だ」

 イリホルは絞り出すように三日だ、と繰り返した。
 王命を覆すのに、三日ならば短いだろう。おそらくどんなに急いでも三日はかかるという意味だ。

「モレアから、わずかですがクラディウスの私兵を連れて来ています。漕ぎ手として雇った者の中に元兵士もおりました。呼びかけに応じる者を連れて、僕もネフェル殿に従おうと存じます」
「お気持ちは嬉しいが、あまりにも危険。若殿と船の者たちはどうか、デメトリアで事が収束するのを見守っていただきたい」
「それではケメト王の御心は動きますまい」

 ユリアンもアルゲアス将軍の前に膝をついた。

「僕の叔父である司令官の策が、ケメト王に不信を抱かせてしまった。これは帝国の本意ではございませぬ。ケメト王、そしてケメトの民に、アルバは決して貴国を見捨てないと示さなければなりませぬ」
「おやめください、若殿が最前線へ赴くなど……いや、監督府に確認を取れば、あるいは。いや、やはり万が一があっては色々と問題に」

 イリホルの言いたいことは理解している。ケメト国内でのユリアンの世話人はアルゲアス家だ。もしユリアンが大怪我、引いては命に関わるようなことがあれば、なんらかの責めを負わされるだろう。

「ネフェル、どうすれば良いだろうか……?」
「悪いがゴチャゴチャしたことはそっちで始末してくれ。俺はとにかく現場へ向かう」

 ネフェルは何か考え込んでいる様子だったが、短くそう告げてユリアンの腕を引いた。

「行こう、坊ちゃん。一人でも手が欲しい。クラディウスの私兵が使えるっていうなら喜んで借り受ける」
「ワシの……アルゲアスの兵から、五十人出そう。少ないが、連れていきなさい」

 アルゲアス将軍は項垂れたままだった。
 ネフェルは、小さな声でありがとうございますと伝えたが、その目は将軍を見てはいなかった。



 パセルは先発の十騎に入り、道案内も兼ねて一番に駆け出して行った。年に一度は故郷の村にも顔を出しに行っていて、誰よりも道を知っているそうだ。

 ネフェル率いるアルゲアス隊全員と、将軍から贈られた五十騎、それにユリアンに従ってきたクラディウスの私兵からも二十名が隊列に加わった。
たったの百七十余名。
 国境の防衛には随分と小規模な部隊である。

「五十二人だ。異常だろう?」

 塩湖へ向かう船の中、ネフェルが呟くようにユリアンに問いかけた。
 アルゲアス家の実子・養子合わせて五十二人。いくら子沢山を良しとしても、ここまで多くの子を持つ貴族も珍しい。

「五十二人も子を持つ将軍と聞いて、もっと豪快な御方かと思っていたのだが……」

 ユリアンは問いには答えず、船べりにもたれるネフェルを見た。
 夜明け前に出発し、運河で船に乗り換えてからまだ間もない。南へ進路を取った船は、左側から朝日に照らされている。川面が真っ白に光って、時折ユリアンの目を射した。

「何考えてるのか分からないだろ」

 全員が着の身着のままで、荷物などほとんどない。ヤコモだけは薬箱を運ばせて、今も箱の間に埋もれるようにして仮眠を取っている。

「俺が出ていくと言ったら、黙って土地をくれた。俺が百人隊長以上になるのは嫌だと言ったら、そのままにした。あの人が何を考えているのか分からないし、何を考えているんだろうと考えると、疲れてやる気がなくなるんだよなあ」

 人間は小さな葦船に分かれて乗り込んだ。馬を運ぶための大きな木の船もすぐに準備され、ケメト国内の水運の充実さが伺える。
 寝ないで走ると言われたものの、道程の半分以上は船であった。イテルー大河の水を引いた水路は、農地だけでなく水上交通も潤わせていた。
 船では座れるため、ユリアンたちは今後の策を存分に練ることができた。

「おそらく叔父上はパルサワに行かれたのであろう」
「ああ、それで繋がった。レグルス殿としてはパルサワへの威圧牽制と、わざとアルバの駐屯兵を減らして隙を見せ、誘き出しを図った」
「でも我が王が想定外に縮み上がって国境をさらに手薄にしてしまった、ってことだね」

 仮眠から起き出したヤコモが、抑揚のない声で冷たく吐き捨てる。
 ネフェルもヤコモも、自国の王に対して随分と評価が低い。ユリアンからすれば帝国軍の動きのせいでケメト軍に混乱を招いたという負い目を感じるのだが、ケメトの民の目には国王の弱腰として映るらしい。

「パルサワの牽制はすでに手を打ってあるなら、俺らは国境を守ることに集中すればいいな」
「うちの隊は塩湖地方には詳しいからね。人数は減ってるけど、現地の警備隊もいるし。結構有利だよね」

 ヤコモの言葉に頷いて、ネフェルはユリアンに視線を送った。

「パセルの生まれ故郷でもあるし、俺もしばらくあの辺りで働いてた。十年位前に大規模な移動民の襲撃があったことがあってな」

 移動民とは、住宅を持たずラクダを連れてオアシスを移動して暮らす人々の総称だ。行商を生業としていたり、小さなオアシスや牧草地を枯らさないために巡っているなど理由は様々。だが、中には行く先々で略奪を行う盗賊も少なくはない。
 イテルー大河を擁するケメトの地は肥沃だが、そのすぐ横には不毛の砂漠がどこまでも広がっている。

「その縁もあって、塩湖に一番近い警備隊の今の隊長は、俺の知り合いなんだ。ピアイといってな。志願市民からの叩き上げで、話の分かるやつだ」
「それは心強いな」

 さらに塩湖周辺の警備隊の組織について説明を受ける。
 塩湖はひとつではなく、大小合わせて五つ。水のない岩塩が取れる場所なら無数にあるという。その東側に展開する国境警備隊は北から順に番号が振られており、一番大きな塩湖を背に守るのが東第十二隊。その北が十一で、南は十三となる。

「そもそもなんで国境を攻めさせてるんだろう。パルサワ自体はケメトから遠いし、あの国って海もないでしょ? 土地も海も取れないのに、なんでこんな手の込んだことするのかな」
「パルサワは、アルバが嫌いなのだ」

 子供じみた言い回しだが、ユリアンは自分でも言いえて妙だと思った。
 パルサワ王国はアルバの友好国ということになってはいるが、歴史上、実際に友好だったことはほとんどない。

 七十年前の東方紛争で、パルサワは反乱軍を支援した。その結果、海岸沿いの目ぼしい植民市はすべて、クラディウスの先祖返りの将軍率いるアルバ帝国が勝ち取った。デメトリア大図書館にある書物の十分の一は、もともとパルサワが誇る王宮の図書館の蔵書であったのだ。
 彼らはいつだってアルバとケメトを目の敵にしている。いつだって帝国の力を削ぐことを考えている。

 だからと言って、このやり口は納得がいかない。
 きっとどれだけ賊を上手く使っても、ケメトの土地を少しも削ぐことはできないだろう。全面戦争などもってのほかだ。先に口火を切ったパルサワは近隣国から袋叩きにあう。故に、土地を取る気も、金品を奪うつもりもない。これは単なる大規模な嫌がらせでしかない。

「分からないよね。ボクも分からない」

 情勢の説明を聞いたヤコモがはき捨てるように言った。話の意味が分からないのではなく、敵の真意が分からないという話だ。
 他人の考えなど分からない。例え本人に詳しく話を聞いてみても、理解できないことも多いのだ。

「とりあえず今は、相手を殴り返さないとまずいってことは分かる」

 ヤコモの怒気を含んだ声にユリアンも同調する。

「そうであるな。腹の立つ相手だ。思い切り殴ってやらねば、気が収まらぬ」
「クラディウスさんって意外に血の気が多いよね」

 驚いた声を出すヤコモに、隣のネフェルがくつくつと笑った。


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