母のこと

ずっとやらないとと思っていたことは、この想いを言葉にすること。

でも、やっぱりずっとできなかったんだけど、年を跨ぐ前にトライしてみよう。

母が春に亡くなってから、まだそのことをどう捉えていいのか分からないままでいる。

二年前の春に難しいガンが見つかり、夏にはセカンドオピニオンを含めて手術ができないことが分かった。抗がん剤も効きにくいガンだったから抗がん剤治療も受けない選択をした。

二年前の春からから自分が少し浮かんでいるような感覚をずっと持っている。母が亡くなってからは、それがまた少し高くなったような、自分の基準点がなくなってしまったような感覚がある。

日常生活は普通におくれているし、元気です。

闘病中も母は一貫して信じられないくらいポジティブでその姿もまた母らしく、彼女への好きが募っていた。

母は基本的にずっとポジティブで明るい。私にとって母が弱気な発言をした記憶は二回しかない。

一度は私が思春期の頃に病気で3度の入院、手術を繰り返していた時だった。

それぞれ6-10時間に及ぶ手術、3ヶ月入院、1か月寝たきりとかなりタフな状況だったのに、それを目の前で見ていた彼女が「代わってあげたい」と言った。

今なら分かるけど、当時はこんなに大変な状況を目の前で見ていて代わってあげたいなんてと驚いたし、母の愛の深さを痛感した。当時いつも漠然と思っていた「なんで自分だけこんな目に」って想いがその時から薄らいだ気がする。

二度目は、母が介護が必要な状況になり排泄のお世話をしていた時のこと。「ごめんね・・・」というから「ママとこどものことならぜんぜん嫌じゃないよ!ママだって私が同じ状況だったらできるでしょ?」と言ったら、もうだいぶ体力も落ちて話し方もしんどそうな頃だったのだけど食い気味に「もちろん!!」と言った。

母の弱気は愛からしか現れないのか。

母は偉大だった。偉大だ。

その場にいるとその場が明るくなるし、何でもひょいとこなす。

こどもにはあまりかまわないで好きなことやっている。

大学時代に一人旅でメキシコに行くといった時も「いいなー」って言われただけだった。宿も決めずに行ったから心配しているかなと思って途中で一度電話したら「どうしたの?」って言われるし。

ロンドンに住んでいる時もぜんぜん電話もかけてこないし、5年間でかかってきたのは飼っていた犬が亡くなった時だけだった。

そんな彼女はダメって言わないから彼女がダメって言うとすんなり受け入れてしまう。でもそれも覚えているの二回だけ。

こどもの頃に英語を習いたいって言ったら中学で一緒になるから辞めといたらと言われたことと、原付は乗っちゃダメ(母が事故した経験より)。

彼女の言葉には力がある。娘たちにも引き継ぎたいから彼女がよくいう言葉を書いておこう。

「願えば叶う、願わなければ叶わない」

「絶対ということはない」

「情けは人の為ならず」

「人間万事塞翁が馬」

私はずっと母に憧れているのかもしれない。憧れているな。

でも、私は泣いている。憧れの人に笑われてしまう。

結局、何が書きたいのかも分からないし、でもこれからも書いてみようと思うし、公開もしようと思う。

母の病気が分かってから今まで、自分の大切な方を亡くした方がFBで想い共有してくれていた。読むと少しだけ地に足がつくような、うまく表現できないけど背中をなでられているようなあたたかさを感じた。

いいねもコメントもできなかったけど、小さく気持ちを寄せていた。

この文章が誰かのそれになるとは思わないけど、その時の感謝の気持ちもあり、自分自身のためにも。


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