#それぞれの10年

2011年3月11日

当時中学3年生だった私。

私が通っていた中学は家を出て5分歩けば着く所にある
ぼっろい木造校舎でした。
新校舎がまた別な所に建設されていた最中で
旧校舎の最後の卒業生でした。

14時46分
掃除が終わり帰りのHRまでちょうど切り替えの時間でした。
私は友達と教室に戻りたわいもない話をしていました。
なんだかぐらぐらと揺れ始め地響きがし始め
どんどん強くなる揺れ。
これやばいやつ!やばいやつ!と
とっさにわけもわからず机の下に潜りました。
揺れている間机の足を押さえてないと机も揺れて倒れそうになります。
右手で机を押さえ左手で友達の手を繋いで
いつ終わるのいつ終わるのとみんなパニックでした。

地震がおさまった頃電気は停電し放送ができず
先生の叫び声で外に避難しました。
落ち着いて!クラスごとに外に避難しろ!
と言った感じでした。
手を握っていた友達は泣いてるしホントにわけもわからないし
とにかく外に避難しました。
体感的に3時間くらいは外で安全確認ができるまで全校生徒グラウンドに座っていました。
外は静かでたまに地響きが鳴り響き空もどんよりして不気味だった記憶があります。

そのあと地区ごとに集団下校が決まり集団でそれぞれ解散しました。
私は5分で家に着くので速攻家に帰りました。

帰ると両親と兄、弟が既に帰宅していました。
母が帰宅した時は本棚、食器棚など色々倒れていたそうで
私が帰った頃には片付けがほぼ終わっていた状態でした。

弟がまだ5歳だったので弟を抱きしめて
お姉ちゃんが守るからねって大丈夫だからねって
言っていた気がします。今思うと逆に私が弟にショックを癒されていた気もしますが。

それから外では雪が降り始め停電していたので
暖を取るのは毛布。
懐中電灯で灯りを取りお父さんがラジオを聴きながら難しい顔をしていました。
何度も何度も沿岸のおばあちゃん家や
いとこの家に電話をかけていましたがつながらず
沿岸出身の両親はとても不安そうでした。

夜ご飯は水とガスは通じていたので母が土鍋でご飯を炊いてくれそれを食べました。

夜10時頃大学に通う1番上の兄が自転車に乗って何時間もかけ帰ってきました。多分大学から3時間くらいかかったんじゃないかと思います。
無事に帰ってきてホッとしました。

そのあとはお風呂などは入らずご飯を食べた後もみんなでソファで寝た気がします。

余震が続く日々で地震が大っ嫌いになりました。


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