愛された河津桜
いつもそこにあったのだが、今年はない。昨年の台風で倒れた為、伐採されていた事に今更ながら気づいた。
違和感はあった。だけど残留思念でも感じていたのか、丸太になって転がる幹があるにもかかわらず、気づかなかった。そこに生えている気がしていた。
暖かな日差しに、そろそろ咲くかと行ったら樹がない。家主さんの奥方に問えば、去年の1度目の大型台風で倒れたとのこと。
淋しさが広がる。あんなに地域を人たちに愛された桜。ご神木のようで、でもとても身近で。手が届くところに沢山の花が咲く樹。樹なのに人懐こいとさえ感じていた樹が、いなくなった。
明るい同級生を、一緒に遊んだ犬や猫達を見送ったときの様なやるせない喪失感。
奥方さんは、今植えたからってあんなに大きくは急にはならないしねと寂しそうに笑った。地域の仲間だと思った位だから、奥方さんは家族だっただろう。桜の樹だけど。
残留思念なのか、私の想い出のフラッシュバックなのか、あの河津桜はあの庭にまだいる気がする。
台風が神風ならば、見事なあの河津桜をかの世に連れて行ったのか。
あんなに美しい桜が今年は居ない。
愛された桜。人と寄り添う様に居た桜。
今までありがとう。
想い出の中で咲く桜になった貴方。
今年はまた新しい気の合う桜を探しに行こう。
大好きだよ。出逢って10年以上経ったけど、花咲く貴方が好きだったよ。
また何処かでお会いしましょう。
そんな風に思う河津桜に出逢った人生は、とても尊いものなんだろう。
よろしくお願いいたします。