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送られ盆



それは夏休み。お盆休暇の申請合戦に出遅れて、極普通のシフトをこなすお盆の最中の朝。

「みんな居るから帰って来ぉ」
そんな声が聞こえた気がして目覚める。
半月程前に三回忌を済ませた父の声が聞こえた気がした。そのまま普通に出勤し、珍しく定時退勤する。翌日は公休日だった。
帰省ラッシュの中で日帰りドライブするのは、正直気が進まなかったが、送り盆の当日、思い切って帰省した。

半日の帰省。高原の夏は短い。空は秋の気配。路肩に萩の花がこぼれる。まだ青い稲穂が揺れる。赤とんぼが高原の風に乗って飛び交う。

暑い夏だった。蝉が鳴く。縁側に猫が寝そべる。偶然にも、父の祥月命日に生まれた猫だ。毛足の長いこの子に、抱っこは暑くて嫌がられた。

未だに、畑から父がひと仕事終えて、縁側に顔を出す様な気がする。のんびりと猫と庭を眺める。
父が植えた沢山のオレンジ色の百合。サルスベリ。
石附の庭。山国なれどもと、海を見立てて造られた、父の手作りの庭。大きな石を島に、ツツジをお宝に積んだ栂の木を宝船に見立て、藤を波に。私だけが知っていた、父の庭の構想だった。両親の結婚を機に、父がコツコツと造り続けた庭。

テレビのニュースでは、高速道路が渋滞だと中継している。夕飯を食べたら出発するからと、母に告げる。

ゆっくりと日が西に傾く。アスファルトの田んぼ道に、とんぼが並んで、羽根を休める。道のぬくもりを蓄えて山に帰ってゆく。
ひぐらしが鳴き始めた。
日没。残照にアルプスの山々が青く浮かび上がる。

静かに夕飯を終えて、帰り支度をする。
あれもこれもと、母が野菜を持たせてくれた。南瓜、胡瓜、じゃがいも。母が一人で作った野菜からは、弱々しい土の香りがした。
父が育てていたのは、作物だけでなく、土も育てていたんだと気付く。故郷の土の香りだと思っていたのは、父が数十年育んだ土の香りだったんだ。
畑の土から、父の気配が薄れゆくのを感じた。

送り火焚いたら、出るよ。と、母と庭先で藁を焚く。中々燃え上がらない。もう少しゆっくりして行けばいいと、私を引き止めているのか。

ひぐらしの声も途絶えた。夜空にひとすじ立ちのぼる煙。赤い炎が闇に浮かぶ。

「盆さん、盆さん、煙に乗ってお帰りなさい」
子供の頃に祖母と歌った、送り盆の歌を思い出す。心の中で繰り返し歌う。
「盆さん、盆さん、煙に乗って、お帰りなさい」


静かに火が消えた。
そろそろ行くねと、母に告げる。

シートベルトを締めて、ヘッドライトを灯す。
またねと、常夜灯の下で母が手を振る。
サイドブレーキを外して、クラッチを踏み込み、母を振り返る。


ほの暗い闇の中で、母が手を振る。
何とも言えない複雑な心境でそれに頷く。

すると、母のその隣りにぼんやりと、父が手を振る。その姿はすぅっと母と重なり、笑顔が残った。
たまらず視線をフロントガラスに戻すと、庭先に屈んだ腰を伸ばしながら、祖母が笑って消えた。

肩越しに後ろ手に手を振って、アクセルを踏み込む。
庭木の下でそべる犬のジョン、ラッキー、猫のチビ。みんなゆっくり尻尾を振る。みんな家族だったペット達。宵闇の中に消えた。

「みんな居るから帰って来ぉ」

あぁ、そうだね。みんな居たんだね。
ギアをゆっくりとシフトアップする。少しづつアクセルを踏み込む。クラッチ、ギア、アクセル。繰り返すリズムは、都会へと続く。

虹の橋を渡って、彼岸へ旅立った家族と、母に見送られて、帰路につく。
真っ暗な高原の田舎道、バックミラーから我が家の灯りが消える。
これから向う遠くの街灯りが、滲んで見える。

「おばけ怖いよ」と泣く幼い私に、
「おばけでもいいからもう一度、爺ちゃんに会いたい」と言った祖母。
当時には珍しい、職場恋愛の結婚をした祖父母。終戦後、徴用から帰国してしばらく後に、その過酷な日々の無理がたたって、祖父は他界したと聞く。
だから、祖父の顔を私は知らない。もしかしたら、祖父もここに、近くに居たのだろうか。

そして、今なら、今ならば、あの日呟いた、祖母の言葉の意味がわかる気がする。


送り盆は、この世の者があの世の者を見送るのだと思っていた。
送られ盆。そんな言葉はないと思うが、あの世の者達もまた、この日は、この世の者を見送るのだろう。

夏の一夜の夢物語。
淡く消えた一瞬の幻影。

2015年夏

よろしくお願いいたします。