忘れられない恐ろしい光景~農業の空中散布があった昔

それはまだ、幼かった頃の夏の朝の事。
時は昭和。

朝からヘリコプターの音が大きく聞こえる。
朝食を食べながら窓の外を見ると、かなりの低空飛行だった。

間近に見るヘリコプターが嬉しくて、窓ガラスに近くと、

「開けちゃ駄目!外出ちゃ駄目!」

と、親に言われた。

ヘリコプターが低空飛行していた理由は、農薬の空中散布だった。

輸入木材に寄生して日本に入った外来種の昆虫が、大発生した頃の事だ。

農産物に甚大な被害が及び、一斉駆除に至ったと記憶している。

ヘリが飛び去り、しばらくして登園時間になる。

「今日は行きも帰りも、道中で何も触っちゃ駄目」

そう言い聞かされて家を出た。

辺りに薬剤の臭いが濃く漂う。
田んぼ道や農道を通るのだが、歩き出して数歩で立ち止まる。
と言うよりも、歩けなくなった。

道いっぱいに累々と横たわる、昆虫の死骸があった。
蝶も、蛾も、バッタも何も、とにかく何処を歩けばいいのかわからない。

元々、生きているものは何でも平気だ。虫、両生類、爬虫類も、動物も大概触っても大丈夫で、毒性の無い生き物や、ペット、家畜も遊び相手だった。
ただ、それらがその生を終えた状態は、とても怖かった。

その怖い状態の虫が、足の踏み場の無い程に、その屍をさらしていた。
とにかく怖くて、でも登園しないことを𠮟られるのも怖くて、我慢して登園した。

いつもは捕まえられない虫も、痙攣して土の上にいたり、もう二度と動かないものになっていた。
見たいのは、生き生きと舞う蝶で、バッタでカエルで、死んでしまった生き物の死骸じゃないと、強く思った。

農地のど真ん中に暮らす子供としては、農薬の危険性を教えられて育つのが普通で。
都会の人達で言う所の、ゴキブリ殺虫剤に近い感覚だろうか。農薬散布も日常生活の一つだった。
ただ、空中散布の殺虫規模の大きさに、戸惑うと同時に、とてつもない一大事だと思った。

露に濡れた草の葉も、野菜の苗もそよぐ青い稲も、いつもはきらきらと見えるのに、その朝の光景は不気味で、恐ろしく見えた。

子供なので、園に居る間は朝の恐怖はすっかり忘れていて、帰宅途中に思い出した。
帰り道が怖くなった。地域を指定して、空中散布は行われる。市などが今も行う、公園の害虫駆除と同様だ。なので、園の辺りは空中散布の時期も異なるし、山林や農地を主に行われるので、市街地は散布されない。

不思議と朝の惨状よりは、帰宅途中の道にいると思っていた虫の死骸が減っていた。

その日に見た光景が、全て謎だった。その夜は、父にひたすら質問した。

日頃から、益虫と害虫の区別をし、駆除するかしないかを判断することを教えられていた。しかし、その日はその区別無く、何もかもが死に染められていた。

虫が死ぬなら人も死ぬでしょう?
…人は虫よりは大きな体で、薬剤の影響は極めて低い。

何故、朝より虫の死骸が減ったの?
…道は掃除したり、鳥が食べたかも知れない。

農薬着いた虫食べたら、鳥も毒を食べるじゃない?鳥も死んじゃう!
…鳥も大きな体で、大丈夫かとは思うが、中には死ぬ鳥も居るかも知れない。

その死んだ鳥食べる狸や狐は、大丈夫なの?
…わからない。

あんなに虫が死ぬのに、それが野菜に着いているじゃない!そんなの食べたら、具合悪くなっちゃう!
…雨で流されるし、食べる前に洗えば大丈夫な薬剤だ。

雨で流された農薬は、土に着いていいの?
ミミズは?だんご虫は?
…多少は死んでも全部は死なない。

でも、あんなに虫が死んだら、虫が居なくなっちゃう!蝶々いっぱい死んでたよ。
…硬い羽持ってない虫は、よく薬が効くから。
それに、全滅することは無いから、また増える。薬剤に強い個体が生き残る。

そんな事を聞かされた。
子供にはどうにもならない、人が生きる為の事情で、自然環境が変わる事が、とても怖くて、罪深いと思った。

具体的な期間は覚えていないが、期間を空けて、何度かヘリによる空中散布が繰り返された様に記憶している。
その度に、道草してはいけないと諭され、虫の死骸が敷き詰められた道を歩く、そんな恐怖を体験した。

本が読める様になり、様々な知識が増えるに連れて、農薬の空中散布についての違和感が募った。
蛍が減った。トンボが減った。幼虫時代を水中で暮らす虫の減少理由は何?

山火事の時のヘリによる消火活動は、素直に喜べた。パイロットさん頑張れ、頑張れと思った。水消火の時は。
けれど、消火剤の時と農薬散布は怖かった。風の臭いが変わるから。

時と共に、次第に害虫駆除を空中散布で行う事はなくなった。

それは、耕作する作物の変更や、薬剤の改良、作付面積の変化や農業の進歩とか、様々な理由があるのだろう。空中散布のリスクも認められたのかも知れない。
なくなったおかげで、私の恐怖の朝の登校もなくなった。

今年になって、海外でのバッタの異常発生のニュースを見た。遙か昔からの事で、いきなり発生した種類ではないが、その影響は甚大。
日本のバッタとは異なる種類だが、国際化時代において、いつ日本に上陸してもおかしくない。アメリカシロヒトリ、ヒアリの例がある。

バッタの甚大な被害を抑え込む為の、大がかりな空中散布による駆除作戦。
実施されたらまた、自然環境に影響が出るだろう。バッタ以外の何かも死ぬのだ。命が消えることは、残されたものにも何らかの影響を与える。

感染予防対策、感染対策のための消毒作業のニュースも、日々伝えられる。
除菌作業も、害虫駆除も、ターゲットマーカーがある訳でもないままに、ランダムな対象に駆除が行われる。特定のターゲットのみに効果をもたらす薬剤を、現時点で私は知らない。

無農薬栽培、有機栽培の農法に注目が高まった。その方がよいと昔からわかっていても、生産性の面や何やらで、農薬使用は当たり前で。
その辺りの話を、無農薬有機栽培を始めた農家さんと、たまたました事がある。

戦後の飢えた沢山の胃袋を満たすために、農家は農薬使用をせざるを得なかったんだよ。仕方無かったんだよ。あなたの父上を含めて昔からの農業を責めても、悔いてもつらいと思う。
これからの安全な食を守る為に、農薬を変えていきたい。

…そうおっしゃる方がいた。そのお話に、当時少しだけ救われた気がした。

目の前にある問題解決の為、できる限りのことをする。それは然り。
けれども、その解決策のスパンをどう捉えて行動するのかで、また大きな違いが出てくる。
こんなに素晴らしいもの作りました。皆さん使ってください!…おおいに結構。
では、使用後にそれはどうなりますか?どう処理しますか?リサイクル可能ですか?生分解性はありますか?

除菌しましょう!使い捨てが安全です!
では、その副産物の廃棄方法は?

そこまで予測して、長い目で見る社会の創造をしましたか?

…というのは簡単で、残念ながら私にその力はないに等しい。

多分、昔の人達の方が世代を超えた命の事を考えるのが、上手だったのではないかと思う。私の祖父は、生前に私達の世代の事を考えていてくれたと、父の話から感じている。

実際に一度も会ったことがない祖父なので、本当のところはわからない。
ただ、水脈のある土地で、稲作と畑作可能ならば、世界が武器をとったとしても、生きてゆけると父に語ったそうだ。

そんな時間感覚を持って暮らす事が、祖父の時代は当たり前だったのかも知れない。
今を生きる私には、薄い感覚だと思う。

ここに記したことに、特に結論はない。
拙い語り部のように、ただ語るだけ…。






よろしくお願いいたします。