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送られ盆



2015年9月23日 の作を少し加筆修正したもの



それは夏休み。お盆休暇の申請合戦に出遅れて、極普通のシフトをこなすお盆の最中の朝。

「みんな居るから帰って来ぉ」
そんな声が聞こえた気がして目覚める。
半月程前に三回忌を済ませた父の声が聞こえた気がした。そのまま普通に出勤し、珍しく定時退勤する。翌日は公休日だった。
帰省ラッシュの中で日帰りドライブするのは、正直気が進まなかったが、送り盆の当日、思い切って帰省した。

半日の帰省。高原の夏は短い。空は秋の気配。路肩に萩の花がこぼれる。まだ青い稲穂が揺れる。赤とんぼが高原の風に乗って飛び交う。



暑い夏だった。蝉が鳴く。縁側に猫が寝そべる。抱っこは暑くて嫌がられた。

未だに、畑から父がひと仕事終えて、縁側に顔を出す様な気がする。のんびりと猫と庭を眺める。テレビのニュースでは、高速道路が渋滞だと中継している。夕飯を食べたら出発するからと、母に告げる。

ゆっくりと日が西に傾く。アスファルトの田んぼ道に、とんぼが並んで、羽根を休める。道のぬくもりを蓄えて山に帰ってゆく。
ひぐらしが鳴き始めた。
日没。残照に山々が青く浮かび上がる。

静かに夕飯を終えて、帰り支度をする。
あれもこれもと、母が野菜を持たせてくれた。南瓜、胡瓜、じゃがいも。母が一人で作った野菜からは、弱々しい土の香りがした。
父が育てていたのは、作物だけでなく、土も育てていたんだと気付く。故郷の土の香りだと思っていたのは、父が数十年育んだ土の香りだったんだ。
畑の土から、父の気配が薄れゆくのを感じた。


送り火焚いたら、出るよ。

と、母と庭先で藁を焚く。中々燃え上がらない。もう少しゆっくりして行けばいいと、私を引き止めているのか。

ひぐらしの声も途絶えた。夜空にひとすじ立ちのぼる煙。赤い炎が闇に浮かぶ。
「お盆さん、お盆さん、煙に乗ってお帰りなさい」
子供の頃に祖母と歌った、送り盆の歌を思い出す。
我が家だけの歌なのか、地域限定かは不明だ。
迎え盆にも
「お盆さん、お盆さん、煙に乗っていらっしゃい、煙に乗っていらっしゃい」
と、歌うのだが、今年は迎え盆の日に私は居なかった。

心の中で繰り返し歌う。せめてものお詫びな気もしたし、故人に公然と語りかける事が出来る気もした。しかし、声に出すのははばかられる静けさを感じた。
「お盆さん、お盆さん、煙に乗って、お帰りなさい」


静かに火が消えた。
祖母は生前、送り火が消えると、「また来年」とか、言っていた気がする。

「そろそろ行くね」と、母に告げる。

シートベルトを締めて、ヘッドライトを灯す。
またねと、常夜灯の下で母が手を振る。
サイドブレーキを外して、ギアを入れ、母を振り返る。


ほの暗い闇の中で、母が手を振る。
そして、その隣りにぼんやりと、父が手を振る。その姿はすぅっと母と重なり、笑顔が残った。
たまらず視線をフロントガラスに戻すと、庭先に祖母が笑って消えた。

肩越しに後ろ手に手を振って、アクセルを踏み込む。
庭木の下でそべる犬のジョン、ラッキー、猫のチビ。薄らとした影の様な姿を一人見ながら、生家を後にする。

「みんな居るから帰って来ぉ」

あぁ、そうだね。みんな居たんだね。
ギアをゆっくりとシフトアップする。少しづつアクセルを踏み込む。

虹の橋を渡って、彼岸へ旅立った家族と、母に見送られて、帰路につく。
真っ暗な高原の田舎道、バックミラーから我が家の灯りが消える。
これから向う遠くの街灯りが、滲んで見える。
思わず山道の路肩に停車する。車の窓を開けると、コオロギの声がした。誰も居ない夜はない。出穂したばかりの水田を渡る風の音。蛙が田んぼに飛び込む音。一人じゃない。私は一人じゃない。



「おばけ怖いよ」と泣く幼い私に、
「おばけでもいいからもう一度、爺ちゃんに会いたい」と言った祖母。
戦前、当時には珍しい、職場恋愛の結婚をした祖父母。終戦後、徴用から帰国してしばらく後に、この家を建て、田畑を開墾し、家族が生きる術を残した。祖母と幼い父を残して祖父は他界した。

今なら、今ならば、祖母の言葉の意味がわかる気がする。おばけでも幽霊でも良いから、爺ちゃんに会いたい…。そう言って祖母は、祖父との思い出の松の木を見上げていたっけ。


送り盆は、この世の者があの世の者を見送るのだと思っていた。
送られ盆。そんな言葉はないと思うが、あの世の者達もまた、この日は、この世の者を見送るのだろう。

夏の一夜の夢物語。
淡く消えた一瞬の幻影。

千の風がそこに吹く時に、故人もまたそこに佇むのかも知れないと思う事がある。

物の怪、おばけ、田舎の夜、は真っ暗で怖かったのが子供の頃。 お盆はあの世とこの世が近くなると聞くと怯えていたのに…。
大人と呼ばれる様になって、夜が優しく感じられる様になった。 夜の墓場で送り火を焚くのも、平気になった。

故郷も様変わりした。そして、人も私も変わってゆく。ただ、想い出と、過した時はそのままにそこにある様にも思う。

この話を、随分経ってから知人にしてみた。それでも私を変人扱いせずにこう言った。

「それってさ、誰も傷つけない体験だし、事によると貴方の能力じゃない?喪失感に苛まれて居る人にしたら、ある種の安らぎになる話だと思うよ。」

もしも、これを読んで頂ける方が、そんなふうに思って頂けるならば幸いである。

よろしくお願いいたします。