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円い空 流れてゆく木々

ふとした瞬間に、蘇る風景がある。
円い空。そして流れてゆく樹。

何の印象なのか、何処の風景なのか。テレビで見たのか写真で見たのかと、成人するまで疑問を感じていた。

ある時、田舎の両親と話したのが、売却した山間部の畑のことだった。

あそこの畑は難しくてなぁ。

まず出かけるところから、私が生まれた頃は、その畑までの道のりが不便で、細い林道を耕運機に荷台を付けての移動だったそうで。
父だけが運転免許を持っていた為、家族総出でそれに乗り込み、耕作したと言う。
大型農耕機を入れられない、小さな沢縁にある、収穫高が割に合わない事もある様な傾斜地の畑だったらしい。

当然、乳飲み子の私も、籠に寝かされて連れて行かれた。
そして、木陰に置かれた、円い深さのある桶に寝かされていたと言う。
森林を開墾した畑なので、作業中にも野生動物が出没する所。狐、狸、イタチ、月の輪熊やカモシカも生息する、民家から離れた場所だった。

なので、作業中に大人の目が届く位置の木陰に、動物が登ったりできない深さの桶を用意したと言うことだった。おんぶでの農作業は親も子も負担になるから。

その話を聞いて、思い出したのが、沢の水音、水の匂い。カッコウと鶯の鳴き声。木々を揺らす風の音と唐松の葉の香り。山吹の黄色い花。

それは幼児期に入ってからの、はっきりとしたあの畑の記憶と、それ以外の朧気で曖昧な、淡い記憶が入り混じったものだと思った。そんな不思議な感覚を覚えた。

私の記憶に再生される円い空は、何処か遠くて、雲が流れていた。
流れる木々は、荷台に寝かされて見たのか、空を背に両脇を流れてゆくのを見上げる風景で。
中央に縦長の青空と木漏れ日、両脇を唐松の若葉を見上げる構図だ。

果たして幼少期の記憶が、何処まで残るものなのか。

今でも時折蘇る、円い空と流れる木々を見上げる風景。

微かな不安を伴いつつも、爽やかな光と風と香りの記憶。何処か心地良い音と生命の気配。そんな記憶も同時に蘇るのだ。

多分、その頃の私は、無条件に世界が好きで、人が好きで、山の精霊と生命が好きでいた様に思う。
なんとなくだが。
そんな人物で有りたいという都合の良い妄想かもしれないが。

疲れることがあると、自室の人工的な音、テレビ、オーディオを全て止める。
そして世の中に響く音だけの聞こえる状態を作る。

車の運転中も、同乗者に音が小さすぎると言われる位に、小さな音でラジオや音楽を流す。
車外の音、エンジン音が全く聞こえないのが落ち着かないのだ。

自分でも変な癖だとか、おかしな記憶の中の映像と思っていたが、もしも乳児期の記憶が残っていて、今の私を構成しているのならば、なんとなく納得できるのも事実で。

人に疲れることがあると、動物園でも、ペットショップでも、一人で動物を見ている方が落ち着く。てんとう虫や蝶や蜜蜂を眺めていると嬉しくなる。雀や鳩が近くに居て、私を意識していると、何だかわくわくする。

私の育ってきた幼少期の環境は、人と過ごす時間よりも、動物と過ごし、自然界の中に一人置かれた時間の方が、自分では多い気がする。

それが良いか悪いかは個人差があるだろう。
事実私は、家畜に妙に懐かれたりするし、
時には人意外の生き物と居るときの方が、穏やかだったりするし。
周りの人との感覚の違いに戸惑うことも、正直なところ多い気がする。
それをおかしいとも、異質だとも思ってはいないけれど。

円い空と流れる木々の、記憶の中にある映像を、懐かしく心地良く感じている。
自分を知ろうとする時に、必ず浮かぶイメージがこの映像だ。

そしてなんとなく思う。
私は、山奥の自然に育まれていたと言う幸せを。
山林とそこで暮らす生き物たちは、幼子をあやしていたのではないかと。
そうであれば良いなという、淡い期待も否めないけれど。

そして、平成が終わりを告げるこの時も、山は畏敬の念を抱く人に、共にあろうとする人に、優しいものであってほしいと思うのだ。

よろしくお願いいたします。