Put the blame on "VXR"?
どうでもいい気づき
あまりに有名だけど、一応まず紹介したい。"Video Killed the Radio Star"はイギリスのバンド the Buggles の代表曲で、テレビジョンの台頭により活躍の場を失われていったラジオに対する『やるせない感じ』を表現した名曲だと思う。
この曲の歌詞の一部を引用させてほしい。上の動画でいうと2:14~の箇所。
In my mind and in my car
We can't rewind, we've gone too far
Pictures came and broke your heart
Put the blame on VTR
ー "ラジオ・スターの悲劇" から引用
ラジオの時代が過ぎ去っていくことに対する無力感、そして静かな怒りがよく感じられる。
さて、ここで今度は別の動画を紹介したい。紹介文からすると、The Prince's Trustと呼ばれるチャリティ・コンサートにおける2004年のライブ映像らしい。
‥‥あれ? put the blame on "VCR"って言ってる?
僕が発音を聞きまちがえたのだろうか。別の動画もみてみよう。
これも "VCR" と言っているように聞こえる。Academy of Contemporary Musicという音楽学校で行われたライブらしい。実は "VCR" が正しいのか?
これは the Buggles のメンバーであるBruce Woolleyが歌っているバージョン。ちゃんと "VTR" と言っている。どっちだ。
こちらはイギリスのアイドル・ポップ・シンガーのRobbie Williamsのカバー。う~ん、"VTR"だ。
こちらはアメリカのロックバンド、ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカのカバー。バンド名ながっ。こちらはハッキリと "VCR" と歌っている。
カナダのインディーズ・バンドであるWalk off the Earthのカバー。"VCR" のパターンだ。チルな感じがいい。
おまけで、天てれで放映されていたラジオ・スターの悲劇。歌詞に出てくるのは、 "VTR" 。そりゃそうか。
VTRとVCRの違い
どうやら歌詞には "VTR" と "VCR" があるようだ。その違いってなんなんだろう。てか、そもそも "VTR" と "VCR" ってなによ?
・VTR(Video Tape Recorder):ビデオ・テープ・レコーダ
ビデオ・テープ・レコーダ (CC BY-SA 3.0 by gunnar_maas [Link])
VTRはテープで映像を記録する装置の呼称とのことだ。テープの種類は問わず、例えば『オープンリール』というテープがむき出しになっているものが挙げられる。よくレトロな映画とかで出てくる8mm映写機みたいなやつですね。
日本のテレビ番組でも『VTR、どうぞ!』みたいな使われ方をするけど、テープレコーダそのものを指しているわけでなく、あくまで比喩表現だろう。
・VCR(Video Cassette Recorder):ビデオ・カセット・レコーダ
ビデオ・カセット・レコーダ(CC BY-SA 4.0 by VHSVideos2006 [Link])
VCRの歴史はVTRより新しく、ビデオカセット、つまりテープが入ったカートリッジを再生する装置を呼称するらしい。ビデオカセットもテープの一種なので、VCRも広義ではVTRといえるみたい。
豆知識だが、文化的背景でいうとアメリカでは家庭用ビデオカセットはVCRと呼称することが多く、日本でいうビデオデッキ(video deck)という言い方はそこまで一般的ではないそうだ。
予想:なぜ "VTR" が "VCR" になったのか
イギリスのthe Buggles が "Video Killed the Radio Star"を発表したのは1979年。家庭用VCRがはじめてイギリスに上市されたのが1972年だから、曲の発表時にはVCRというものがすでにイギリスにあったはずだ。
つまり the Buggles が歌詞を "VCR" でなく "VTR" としたのは何らかの意図があると考えられそうだ。ここは想像が多分に含まれるが、当時の家庭用VCRは非常に高額(約64万円)だったため、ひとにぎりの家庭にしかないVCRという用語を使わず、VTRという呼称を意図的に使っていたんじゃないだろうか。
そしてVCRが技術進化によって改良され、家庭向けにどんどんと普及し、確固たる地位を得た結果、曲の歌詞も "VTR" から "VCR" に変わっていった‥‥。なんてことが想像できる。
そう考えると、曲中でビデオがラジオを駆逐したあいだに、オープンリール型VTRがラジオを駆逐し、カセット型VCRはオープンリール型VTRを駆逐した、なんて二重の構造が実は隠れていたのかもな~、なんて妄想ができて楽しい。(もしかしたらまったく的外れで、もっと別の要因が本当はあるのかもしれないけど)
時代に合わせて歌詞を変えるということ
ちょっと本題からそれるけど、"Video Killed ther Radio Star"のすごさは歌詞だけではなく、その構造にもある。技術革新が進むたび、歌詞に登場する単語だけを変えることで曲が再生産できるのだ。その証拠に、時代にあわせてパロディがよく作られてきた(例: YouTube Killed The TV Star)。
本来はいいことである技術革新が進むことでむしろ生じてしまう郷愁を1つの曲として体現しているけど、このノスタルジーのフレームワークは時代が進んでも変わることがない。この曲の神髄はもしかしたらここにあるのかもしれない。
だから歌詞中の "VTR" が "VCR" だって成立するし、"TV" でも "オンデマンド動画配信" でもいいかもしれない。曲の『構造』は変わっていないから。曲のコンセプト、表現したい根幹のものが変わらなければ、歌詞に登場する単語なんて些細なことなのかもしれない。(実際、The Prince's Trustのライブ映像ではオリジナル歌詞の "you are the last one" が "too bad the last one" に変わっている)
そう考えると、『当時と変わらない懐かしの曲』もいいが、『当時からどんどん歌詞が変わっていく曲』があってもいいな。"俺ら東京さ行ぐだ" だって、当時はレーザーディスクが最先端だったから成立した『レーザーディスクは何者だ?』は、現在では『古すぎて知らない』という意味で『何者だ?』と化しているし。
曲はなにかしらの構造を提供する。歌詞はその構造を時代背景にあわせて説明する。歌をそんな役割で鑑賞してみても面白い、かも。
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