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あたり前の「しあわせ」が離れていく

エアコンの涼に満たされた室内。
静かに、パチパチとキーを叩く時間が、最も落ち着く。
ダイニングテーブルで、家族とともに過ごす空間。
それぞれが、自分のことをしながら、15時になったらおやつを食べて、自然と会話が弾む。
そんな、あたり前のしあわせ。

特別じゃなくていい。
小学生の娘と、カップのアイスを半分こしたり。
子ども2人が、2種類のアイスを前に「どっち食べようか」って、相談をしたり。
そんな時間が、たまらなく愛おしい。

それが無くなったらと考えると、途端に怖くなる。
今の家に住んでいられなくなるかもしれないと思うと、悲しいを通り越して虚しい。
でも、きっと今のままではいられなくなる日が来る。

7月の半ばから、今の今まで。
ずっとずっと「今を守りたい気持ち」と「未来を守りたい気持ち」の狭間で戦っていた。
今のままではいられない。
わかっていても「今」を断ち切ることができない。


あたり前の「しあわせ」が離れていってしまう。
遠い遠い、手の届かないところへ。
今のままでも、今のままじゃなくても、もう2度と返ってこない。

私は、近い将来きっと離婚すると思うのだけど。
どちらに進むにも、その代償が大きすぎて、悲しくてたまらない。
なんで、未来はこんなにもねじ曲がっているんだろうと、悲しくなる。

私は、ただただ子どもたちの「あたり前のしあわせ」を守ってあげたかった。
でも、それはきっと叶わない。
こんなに悲しいことがあるだろうか。
こんなに悔しいことがあるだろうか。

いくら大人になっても、いくら頑張っても、こんなにもどうにもならないことがあるなんて、と思うのです。
それでも、進むしか無いんだなぁ。
それが、今の率直な気持ちです。

もし、あなたの心に少しでも安らぎや幸福感が戻ってきたのなら、幸いです。 私はいつでもにここいます。