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砂上のミラージュ 第二話 アリス


あらすじ
 


 シルクロード時代から、舞台は変わって、1860年代のアメリカ。

 
アリスは、2歳の幼い少女。
アリスの父は、郊外の広大な土地と屋敷を所有していた。

 屋敷には、広大な庭と、牧場、ゴルフ場、厩舎、車庫があり、3歳上の姉とアリスは、厩舎にいる姉の馬のウォーと、大好きなアリスの馬ラスティのいる厩舎と父親の書斎が、お気に入りだった。

 ある日、家を抜け出して、厩舎のラスティに会いに行ったアリスは・・・。


Alice
 

 「アリス!アリス!アリス!また、お父様の書斎にいるのね。」

 お父様の書斎には入ってはいけないとお母様に言われ、書斎の外に出た。

 食堂では、朝食の用意が始まっていて、テーブルにバターの入った銀の容器、角砂糖の入った銀のシュガーポット、幾つもある銀のカトラリーをメイドがセットしていた。

 私は、食堂にある、マホガニーの椅子によじ登ると、銀色の容器から角砂糖を2個、注意深く摘み出してポケットに入れ、家の外に出た。

 厩舎には、お気に入りの馬が私の持ってくる角砂糖を楽しみにして待っていると思うと、急に走り出したくなる。

 マンハッタンから車で2時間のこの屋敷を別荘として、私たちは、週末を過ごしていた。

 周りの自然環境を保護する為と、屋敷からの眺めを守る為に、この辺り一体の渓谷の土地をお父様は、買い占めた。

 屋敷には、広大な庭と、近くには、私たちと関係者が礼拝にいく教会や牧場もある。

 いつもは、幌付きの車で厩舎に行くのだが、屋敷の裏の庭園を抜けて、少しだけ間の空いた裏の垣根をくぐると厩舎に出る近道があり、そこに出ると、時折、航行する汽船のボーという汽笛が遠くから聞こえる。

 お転婆の私は、屋敷にずっといると、夥しい家具や陶器、彫刻などの美術品に囲まれて、息が詰まりそうになる。

 それに、数日前から風邪をひいていたので、今朝まで、自分の部屋のベッドで食事を取っていた。
ベットでの朝食の時、オートミールが熱くて、舌を火傷して、ヒリヒリしていたので、時々舌を出していたら、お行儀が悪いとお母様に叱られた。

 それから、お母様は、冷たいミルクを入れるようにとメイドに指示した。

 もう随分、家の外には出ていない。
とにかく、大人はいつも口うるさく干渉するものなのだ。

ずっと、ここにいたら息が詰まりそうだ。

 朝食の後は、先ほどまで、お父様の書斎のカウチの上に寝そべって、馬や砂漠の写真を見ていたのだが、お母様に叱られて、マホガニーの机の上にあるお気に入りの馬の写真が見れる書斎を出て、食卓の角砂糖を盗むと、こっそり厩舎の方へと向かったのだった。

 まだ、冷たい空気を吸い込むと気管に染みて咳が出る。

 厩舎までは、途中で咲いている花を摘んだり、池に浮かんでいる小さな船で遊んだりするから、小さな私の足では、少々時間がかかる。

 大人達は、昨夜の夜会で夜遅くまで、ダンスをしたり、お酒を飲んだりして夜遅くまで騒いでいた。

お母様以外の大人達は、まだベッドの中かもしれない。

 この辺りは、時折ストロームに見舞われて急に天気が荒れる。

 今日も、午後からストロームが来るらしい、と朝食のセッティングをしながらメイド達が話していた。

 厩舎の馬達は、ストロームと雷が大嫌いでそんな時は、前足を上げて、ヒヒーンと嘶いて暴れる。

 外から屋敷の中に来る来訪者には、警戒が厳しいのだが、一度中に入ると敷地内では気にせずにゆっくりと過ごせるように配慮してある。

 途中、昨夜の夜会に訪れていた親戚の一家が、朝食の後幌付きの車で、教会と牧場のあるあたりに向かって、車で通っていた。

 私は、木の影に隠れて、彼らをやり過ごすと再び厩舎に向かった。

 気がつくと、ドレスの裾は泥だらけで、エプロンの端が茂みに引っかかって破れていた。

でも、ここまで来ればもう大丈夫だ。
 
 草原の坂を下ると、厩舎の焦茶色の屋根が見えた。

 馬は、気がついいたらしく、蹄で床を蹴る音と嘶きが聞こえる。

「ラスティ!」私は、思わず馬の名前を呼んだ。

 ここにいる馬は三頭で、そのうちの一頭が私の馬で、名前はラスティという。

 ラスティとは、錆色のことだが、私は、長い間、光り輝くという意味と勘違いしていた。

 ラスティの栗毛は、赤みがかっていて、その名がつけられたようなのだが、、、。

 ラスティは、雌のサラブレットで、アラブ馬とハンター種を掛け合わせた競走馬の子供だが、気性が穏やかだったので私にとあてがわれた。

赤みがかった栗色のラスティは、まだ子馬だった。

私もまだ、小さいので、馬に乗ることはできない。
厩舎の入り口を開けるのには、大人の手が必要なので、私はいつも裏口に止めてある門番の幌付きの車を見つけようとした。

車があれば、門番は、見張り小屋の中にいる。

 門番は、私がラスティに会いにきたことがわかって、中に入れてくれるだろうか・・・。

 私は、小さな頭を駆使して、一計を案じた。
そうだ、厩舎の中に、何か忘れ物をしたと言えば開けてくれるかもしれない。

 私は、持っている人形を、空いていた厩舎の窓から中に放り投げた。

 それから、あたりを見渡すと、坂の下に門番の車と小屋が見えた。

 私は、そこまで一気に駆け降りると、しめた!と思い、小屋のドアを叩いた。

 あまりに背が低くて、私が見えなかったのか、門番はすぐに戸を閉めようとした。

 が、私に気がつくと、微笑みながらしゃがんで何か言ったが、私が「お人形。」と言って、私が厩舎の中を指差すと、頷いて私を抱き抱えると、小屋から厩舎にむかった。

 私は、抱き抱えられたまま、彼の背後を向いて、彼の肩に手をのせて、しめた!と思い、にっこりと笑った。

 大きな開き戸の檻を外すと、板戸が開いて、手前には広いホールがあり、そこには車が数台、その奥にはたくさんの馬具が並んでいて、乗馬服の上着だけが、掛かっている。

 緊急用の馬の外科手術用の薬や、傷薬まで、常備していた。

 馬は、お父様達大人にとっては車と同じのようだったが、私にとってはお友達だった。
 
人形は、厩舎の中程に落ちていた。

 ラスティのいる場所までは、10メートルほどの距離だったが、私にはその何倍にも感じられた。

 門番は、片言でラスティの名を呼ぶ私を見て、察したのか、私をおろして人形を渡し、片方の手に渡すと、ラステイのいる場所まで、もう片方の手を引いて連れていってくれた。

 私は、エプロンのポケットの中から、ボロボロになった角砂糖を出した。

 私を見て喜びながら首を振っているラスティの、鼻先近くに差し出したいのだが、届かない。

 それを見かねた門番は、再び私を抱き抱えて、ラステイの高さに届くようにしてくれた。

 角砂糖は、無事ラスティの鼻息の荒い湿った鼻先近くに届き、そして舌先を出したラステイの柔らかい舌に届いた。

ラスティは、喜んで、首を振っていた。

 私は、大満足で、手を叩いて、砂糖の粉を叩くと、門番の頬にキスをした。
 
 すると、表で車が止まる音がして、大声で誰かが私の名前を呼んでいた。

門番は、慌てて私を抱いたまま表に出た。

 そこには、運転手とお父様とお母様が、血相を変えて立っていた。

 あまりのことに、門番が驚いていると、運転手が説明した。

 運転手は、奥様が私がいなくなったと心配して、屋敷中を探して、姉や親戚の子供達に聞くと、厩舎じゃないかといったので、私が馬に会いに来たのではないかと思ってやってきた、と言っていた。

 お父様は、私を見ると抱き寄せてキスをしたが、お母様は、軽く私のお尻を叩いた。

 私たちは、車で家の玄関まで戻ってきた。
お母様に抱かれて、家の中に入ると、地下にある絵画の保管庫からは、油絵具をとくためのとき油の、ペンキのような匂いがした。

 その匂いを嗅ぎながら、部屋に戻ると、昼食のため、姉と從姉たちが席についていた。

 数え年で2歳の私は、この家では、「おちびちゃん」と呼ばれていた。

 姉が心配して、「おちびちゃん、ここへお座りなさい。」と、メイドにお願いして自分のそばへ私を椅子ごと引き寄せてくれた。

 姉は、いつも私の面倒をよく見てくれた。
さっきのお人形も、姉が私にくれたものだった。

 ラスティより大きな馬を私より先に持っていた姉は、私が両親に黙って、ラスティに会いに行ったことを叱られたと聞いて、
「だって、お馬さん、とっても可愛いもんね。」と言って、私に賛同してくれた。

 お母様は、少しだけ、睨みつけるような目をしたが、口元は笑っていた。

「困った子たちね。」とお母様は言ったが、私達お転婆姉妹には、少しも困ったようには聞こえなかった。

みんなは、泥だらけの私を見て、一斉に笑った。

 私は、自分のしたことがみんなを心配させたことよりも、企てが成功したことに大満足していた。


An accident
  

 食事が終わると、皆は、午後から夕方にかけて行われるコンサートや、慈善パーティーに出かける。
私達姉妹を除いて・・・。

 私達一族は、自分達の経済的優位性に対して社会的な重責を少なからず持っている。

 そして、資金を、社会に還元するため、慈善団体に寄付したり、芸術を擁護するために、芸術家の支援の為や、美術品収集品を収集したり、管理したりする財団の運営もしている。

 その活動に、両親が出かける時はいつも、姉と私は、お留守番することになっていた。

 乳母に抱かれて、玄関で姉と一緒にみんなを見送ると、私たちは、鳥籠から解放された小鳥のように、広場と言わず廊下と言わず駆け回っていた。

 屋敷は、いつもより何倍も大きな、それは、それは、広いお城の中のように感じられた。

 お父様の書斎の前までくると、姉は、ドアを指差した後、その指を垂直に立てて私の方を見ると、その指を何度かメトロノームのように横に振って、チッ、チッと舌を鳴らした。

 ノーかと思うか否か、姉はくすっと笑って、ドアを躊躇なく開けた。

 そこには、夥しい数の本が書架いっぱいに置いてあり、私たちの好奇心の格好の餌場だった。

 カウチの上には、朝方私が見ていた馬の写真集も、まだ片付けられていないまま、開いた状態で置いてあった。

 書斎の窓からは、絨毯のように黄色い落ち葉をいっぱいに敷き詰めた地面と広大な庭の手入れが行き届いた植木が見えていた。

 刈り込んだ芝生のあるゴルフ場までは見えるが、その先の遥か彼方にある、渓谷や流れている川や対岸の半島までは、書斎からは見えない。

 ただ、周りの景色の間から時折聞こえる船のボーッという汽笛で、そこに川が流れて船が航行していることがわかる。

 壁には、乗馬服姿のお父様の写真があった。
そして、私のお気に入りは、馬の写真集と砂漠や砂漠の遊牧民の写真の載った本だった。

 眉間に皺を寄せて、私は何時もそれらの写真に見入っていた。

 しばらくすると、字の読めないはずの姉が、どこからか絵本を持ってきて、お母様が読んで聞かせた時の声音で、姉が丸暗記していて、暗唱できる本だけを読んでくれた。

 私には、それが可笑しくて、可笑しくてたまらなかった。
 
 姉も、私が上手に魔女の声音の真似ができると、堪えきれずに笑った。

 やがて、本に飽きると、今度は、庭の池で遊ぶのだが、ここには、誰かお付きの人がついてくる。

池の回りには、動物や鳥の像があった。

 そこに、小さなヨットを浮かべて暫くは遊ぶのだが、すぐに飽きて私たちは厩舎にこっそりと行くことを企んだ。

 さっき叱られたばっかりなのに、すっかり忘れて、私も姉の企てに乗ることにした。

 私たちは、いつも午後三時からそれぞれ自分の部屋に行き、お昼寝をすることになっていた。

 乳母が、それぞれの部屋に私達を寝かしつけた後に、姉が私の部屋に、乳母の目を盗んで、抜足差し足でやって来て、私の部屋のベットに自分のお人形を寝かせると、今度は自分の部屋に行き自分の服を取り、それに毛布をぎゅうぎゅうに詰めて、再び自分のベットに置いた。

 姉と私は、昼寝の時のペチコートと下着姿のまま、姉は私の手を引いて、垣根をくぐって厩舎に向かった。

 今度は、門番ではなく姉が入り口を開けて、私たちは、先ほどよりも短時間で目的を果たすことができた。
 
 姉の馬は、少し気象が激しくて、黒っぽい毛色をしている馬で、名前はウォーという。

 姉は、ブーツに差し込んであった人参を引き抜くと、ポキッとって半分を私に渡した。

 ラスティーは、私達を見ると喜んで首を上下に振ったが、ウォーは前脚を激しく地面に打ち付けた。

 姉は、どぅ、どぅ、と言ってウォーを宥めた。
姉が、人参をウォーに差し出すと、ウォーは瞬く間に食べてしまった。

 今度は、私がラスティーに人参をあげる番だ。
と、思って、私がラスティーに人参を差し出した途端、ウォーが前脚を跳ね上げた。

 私は、驚いて転んでしまい、動揺したラスティーの前足で、左の上腕部を蹴られて弾かれてしまった。

 一瞬、気を失ったが、意識が戻ると、私は、火が点いたように泣き叫んだ。

姉は、なす術もなく驚いて一緒に泣き出した。

 私たちの鳴き声を聞いて駆けつけたのは、ちょうど門番の小屋にいた運転手で、私は彼に抱き抱えられて、姉と私は車で屋敷に連れ戻された。

 幸い、左手の打撲と擦り傷だけで済んだ私は、今朝までいた自分の部屋のベッドに逆戻りした。

それ以来、姉と私は馬に会えなくなった。

左手には、内出血の青い痣が暫くの間残っていた。

 姉も、お父様とお母様に叱られて、馬は当分の間ご法度となってしまった。

 しかし、相変わらず、お母様の目を盗んでの姉と私の書斎通いは、続いていた。



Pneumonia
 


 あの日以来、私達姉妹は、家から出ることを許されなかった。
 
 お父様の書斎をこっそり訪れる以外には、スリリングな出来事がないばかりか、お母様の私達お転婆姉妹に対する怒りは、日に日に回数を増していった。

 私は、お母様に名前を呼ばれるたびに震え上がった。
 
 相変わらず、息を深く吸い込むと咳き込んでいた。

 それから、数週間経ったある日、私は急に熱を出した。

風邪が、完全に治っていなかったのか、今度は、なかなか咳が止まらない。

 お母様は、暑いオートミールに、冷たい牛乳を入れて食べさせてくれた。

 そして、寝るときには、お母様のシルク・オーガンジーのストールを私の首に巻いてくれた。

そうすると、少し咳は、和らいだ。

 ラスティに会いたかったが、なかなか起き上がれない。

 私は、肺炎に罹っていた。

 付き添いの看護婦を探し、お医者様は、毎日のように往診してくれた。

 毎日、吸入をして注射をするが、一向に治る気配がない。

 肺炎は、日を追うごとに重くなり、私は、再び起き上がれなくなっていた。

私は、生死の境を彷徨っていた。

 紫色の霧の中を、どこか、遠い異界を彷徨っていた。   
           
                                   To be continued








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