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BIZIO MIRAGO•••創造への進化 6.


#note書き初め


茶道と能
デュアル室町期文化


其のニ
茶道


 私の母の時代までは、茶道や華道や芸事は、花嫁修行としての女子の嗜みであり、母は茶道と日舞と和裁洋裁を、叔母は、茶道と日舞とお料理を習っていた様です。

 私の時代になると、お習い事は、良い先生が見つからないとか、通うのに遠すぎるとかの理由で、その機会がありませんでした。

 二十一歳くらいから三十歳までは、着付けや日舞、四十歳までは、華道を習ってはいたのですが、育児や家事や仕事と両立するのは至難の業でした。
 
 それが、皮肉なことに、ライフクライシス以降に,不思議な巡り合わせで、前回の記事のお能と同じ頃に、茶道のお稽古も始まったのです。
 
 前職の教育の仕事の時、ご縁のあった、教育学博士とは、家族ぐるみのお付き合いで、其の博士が、ある企業の講演のゲスト講師に呼ばれ、私の他にも、お二人講師仲間の先生も呼ばれておりました。
 
 講演の後、当時人気のマジシャンか、紙をお札に変えるマジックの余興が終わり、もう一人、博士と同じゲストとして登壇されていた方が席に戻って来られ、私の横に座わられたのです。
 
 其の方は、私が以前、伝統の技術を駆使した精緻な創作作品をある博覧会会場で拝見し感動した、その会社の経営者の方だったのです。
 
 其の時は、名刺交換だけでしたが、数年後、今度は、任意団体からベンチャーを立ち上げた頃、経営者の先輩として、ご講演に来られ、其の時のご縁で茶道を勧められたのです。
 
 最初のお稽古には、他にも同期の二人の男性の方がいらしていて、お稽古に来ていらっしゃる方々も男性が多いのには驚きました。
 
 お一人は、元外資系証券会社の海外勤務だった方で、退職後に事業を立ち上げられていて、もうお一人も経営者の方で、茶道の精神文化や、物を見る目を養う事は、経営にも役立つというのもさる事ながら、経営者たるもの、日本人としての作法や所作を学べ、ということにもあるのでしょう。
 
 兎に角、戦国時代の武将も、血生臭さい戦場から、心を鎮める為に、お茶を嗜んだくらいの事ですから、当然、ビジネスにも役立つのは、確かな事です。
 
 しかし、私は、少し違った観点から、茶道を見てみようと思いました。

 今の仕事では、絹織物の質と価格の再構築と、手仕事と機械の棲み分けを目指して活動してきたのですが、最初のきっかけは、椿の木でした。

 染色で媒染として使用する、手首の太さ位の椿の木が百本も必要だという手機の作家先生がいらして、偶々訪れたギャラリーの主宰の方のご友人で、椿の木を探していらしたのです。

 その日の午後、偶々出席した会食会の主催者の方に椿の木を探している事をお話ししたら、直ぐに見つけて下さり、何と、樹齢数百年は過ぎているであろうと思われる、大木の椿が、五本もあると言う事でした。

 早速、見に行くど、所有者の方は、木を切った跡地に、ご子息のお宅を建てられる予定があられて、助かったと仰り、大木を倒す事には、少し心が痛みましたが、願っても無い、上質な椿が手に入ったのです。

 其の椿は、灰になるまで、二週間の間、燃え続け、作家の方と主宰の方のお二方が、野営をしながら見守る中、最後に、これ以上ない位の美しい、真紅に一瞬輝いたかと思えば、燃え尽きた後には、ビロードの様な手触りの、美しい灰が残ったのです。
 
其の時に、思いました。

“ この世の物は、全て灰になる ”•••のです。


其の言葉に、人生の儚さを思いました。
 
 其の時のお二人が、当初立ち上げた時のメンバーです。
 
 実は、茶道の炉の中の灰は、椿の灰が最高だと言われているそうで、別の椿ではありますが、まだ、入門する前に、他の流派の茶道の師範の方に頼まれて、差し上げた事もあります。
 
 茶道を始めた頃は、お手前を覚えるだけで、精一杯で、考えてはいなかったのですが、茶会で人が出会うという事は、人生の出会いと別れの象徴であり、土から出来た茶碗とそれにかける釉薬は、先ほどの椿の灰などの上澄を染色で使った後の、灰泥を使いますし、茶会できる着物や帛紗などの裂は、嘗ては、植物染色で、椿の灰にお湯を加え、沈殿さたのち、上澄だけを媒染に使うのですから、全て自然の中からの有機物質であり、灰になるまで、或いは、土に還るまで、最後の最後まで、無駄がありません。
 
勿論、地球も汚しません。

そして、炉の灰は、全ての物は、灰になる、ということを、示唆しているのではないでしょうか。

 茶道で、言われている、一期一会や一座建立という、言葉の意味が示唆するように、人生とは、人の出会いと別れが綾なすものであります。
 
 学生の頃の友人が、お家元と同級生であった事は、前回の記事でもお話ししましたが、茶道を通して、奇遇な出会いが幾つもありました。
 
 文化使節でニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた際、其処で館内を案内して頂いた、学芸員の方から、伺ったのですが、ニ十五年前の日本館オープンのセレモニーにどこの流派の方に、お手前を、披露して頂いたら良いかと、日本に来て全流派のお手前を見て回られたそうてす。
 そして、私が入門した茶道の、先代の御宗家に、お願いする事になったそうです。
 
 其の二十五年の時を経て、今度は、次代のお家元が、同じ場所を訪れると、先代御宗家がお約束をされ、正に時空を超えた文化の繋がりを実現されました。
 
 茶道のお手前の、所作の美しさは、海外の方々でも、思わずみとれてしまわれるほどですが、お手前をしている人が、お濃茶の最後に、お茶碗に残っているお抹茶を、清める際に、指を入れて綺麗にする所作には、官能的な美しさがあり、初めて、拝見した時は、どきっと致しました。
 
 茶道は、単なる花嫁修行とうだけではなく、血生臭い戦の世界から、静謐な精神世界に戻る、武将にとってはマインド•リセットの役割があったのかもしれません。
 
 室町期の村田珠光などの僧や武野紹鴎などの豪商の茶人の前に、鎌倉時代に栄西という仏教僧が、中国から茶の湯を持ち込み、嗜みとしていたのが始まりだそうですから、当時から、彼等にとっても現在のマインド•フルネスの様な効能があったのかもしれません。
(最澄や空海も、中国からお茶を持ち込んでいます。)
 
 茶の湯が沸く時の音を、松風と申しますが、自然と心が落ち着き、其の音をいつまでも、聞いていたいと思うのです。
 
 メトロポリタンでも、ニューヨークても、奇遇な出会いが幾つもありましたが、次回に其のお話は、譲る事に致しましょう。
 
 茶道を通して、沢山の事を知る機会と、この上ない人生に於ける至福のと•き•を刻むことになりました事に、感謝いたします。
 
また、ご一緒に、創造を巡る旅に、出掛けましょう。
                      
                Mio
 
 
 
 





 




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