性について

私には自分の性を嫌悪していた時期がある。この場合の「性」とは身体の性であり、私の身体の性は「女性」である。

その時期は、中学から高校までに渡り、「自分の体
が嫌だ!」と泣いては母に当たり散らし、自分の手首を切ったりしていた。

そんな時期を経た私は今、水商売を始めて6年になる。お客様の性的な視線を浴びる仕事である。こういう仕事をしている私であるが、かつてのように自分の身体的な性別を憂いて喚くことはない。

自分の女性性を嫌悪して泣き喚いていた人間が、どうして水商売を6年も続けているのか。

この理由について、以下推察を記していく。ジェンダー学や心理学、LGBTに明るい方がいれば、意見をコメントしていただきたい次第です。

自分の体、すなわち女であることが嫌だった私が水商売ができるようになった理由は、ズバリ

「嫌いなものはずさんに扱っても何とも思わない。」

ということだと推測している。

詳しく述べると、以下の通りである。

まず私にとって、自分の丸みを帯びた乳房や大きな尻は気持ち悪いものであり、憎く思っていた。

一方で、私が関与している水商売は、男性に性的に見られる仕事であった。つまり、女らしい身体で女らしく振る舞えば喜んでもらえる仕事だった。

この二つの事象が出会うとどんなことが起きるだろうか。

「自分が嫌ってやまない女性性を、男性は褒めてくれる、求めてくれる。」

というように私は思い始めた。

言い方を変えると、自分自身がどうしても受け入れられない、嫌悪しまくっている「女の身体」という要素を、水商売のお客様は肯定し、受け入れてくれるのである。それどころか、喜んで可愛がってくださるのである。

まずここで私は、自分の女性性を少し許せた。「私の女性性はお金になる」「私の女性性を求めてくれる人がいる」と思えば、女の体のおかげだなあと思えた。

一方で、女の振る舞いをしている時の私は演技をしているだけで、「真の私」ではないのだと思い始めた。ここで決定的に、「真の私」と「女性としての私」が乖離したように思う。


自分にとって嫌悪すべき対象の「女性性」が金を稼いでくれる、嫌いなものを使って、給料をもらう。

「どんなに女性的な振る舞いをしても、それは真の私ではない」と思えば、どんなに可愛らしい仕草も、艶かしい行為もすることができた。

以後私の「女性」としての振る舞いは次第にエスカレートしていった。たくさん男性を傷つけてきたし、危険なこともあった。

無理矢理セックスされたり、お父さんより年上の男性にホテルに連れ込まれそうになったり、とにかく色んなことがあったけれど、全部「真の私」とは関係ないことだから、何も気にすることはないと思った。「真の私」さえ守ることができたらそれでいいんだと思った。

以上が、私の推察である。

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