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2024.5.14 キタニタツヤ 10th Anniversary Live 彼は天井から見ている@日本武道館③

『よろこびのうた』。
暗がりに灯された炎の中で静かに始まる。
「数えきれない痛みたちと」で右手を胸にあて、「片手で足るよろこびの欠片」で左手で受け止める仕草を交えながら、丁寧に祈るように歌うキタニ。
厳かに彼を包むスモーク。

シンプルに歌で聴かせる

平畑の透明感溢れるピアノが優しく寄り添い、秋好も珍しいボウイング奏法で、神聖な世界観に彩りを添える。

過去にライブではやらないと言っていたこの曲が武道館のセトリに入ったのは驚きだったが、とても好きなので純粋に嬉しかった。 

キタニがギターを抱え『振り子の上で』。
アカペラに近い形で始まった冒頭「あるいは僕と君のように」の後、佐藤とアイコンタクト。楽器が加わり華やかさを増す。

頭上を照らし後に下りてきた⚪️・白のレーザーと無数の丸い照明が、生と希望の象徴のように思える。

歌とギターに熱情をこめるキタニ

曲としてはバラード的だが、厚みのあるロックサウンドに仕上がっている。ここでも光る秋好のボウイング奏法。

アルバム『BIPOLAR』の1曲目に『振り子の上で』、ラスト10曲目に『よろこびのうた』が収録されており、ループ再生するとよろこび〜振り子の流れとなる。その順番で演奏された2曲。
対になっており、意味としては対極にある。

消えてしまえたら 消えてしまえたら 消えてしまえたら 
よかったのにな

僕らはみんな寂しくて
生きることがへたくそだった
涙がとうに涸れたから
終わる場所を探しているんだ

よろこびのうた
抱きしめるように
歌う

『よろこびのうた』

ささやかな幸福の贅肉がついた心を
責め立てるようによろこびのうたを歌う

消えてしまいたいと願う朝が
生きていてよかったと咽ぶ夜に塗り潰され
感情の振り子の上で僕らは暮らす

『振り子の上で』

「よろこびのうたを歌う」という歌詞がリンクしている両曲、死がよぎる『よろこびのうた』の後に、両極を行き来しながらも生の喜びに傾く『振り子の上で』を置くことで、まさに「消えてしまいたいと願う朝」を「生きていてよかったと咽ぶ夜」で塗り潰すかのようだ。

振り子のように死と生の狭間で揺れ動く日々だけれど、それでも生を選びとっていこうというキタニからのメッセージを私は受け取った。
武道館でこの2曲がこの順番で続けて演奏されたことに、大きな意義を感じる。 

MC②
「ありがとうございます。いや〜本当にねぇ、皆さんも武道館に立つ日が来たらわかると思いますけど、いい景色ですよ。ありがとうございます。笑 (拍手)
ぼくは大学の入学式で1回見てるんですけどね。

これまでの10年間のことを考えると、ずっと音楽はやっぱり勝ち負けだなという価値観が自分の中から取り払えず、敗北感と惨めさみたいなものに塗れながらもがいてもがいて這いつくばってきた10年だなぁとという思いがあって、何かね、去年たまたま1曲色んな人に聴かれる機会がある曲が出たけれども、それも色んな人の力を借りてやっとのことだったし、それでも自分は自分の至らなさばっかりを考えてしまうんですよ。こういうときだけ、そういうことを忘れられるのは。
それ以外はずっとそういう自分の才能のたかが知れている感をずっと考えてずっと向き合って、そこにずっと苛まれ続けて10年間経っています。自分はそういうクリエイティブの人生でした。

『風立ちぬ』っていうぼくすごい好きな映画があって、そこで印象的だった言葉として、「創造的人生は10年間しかないぞ。その10年間、力を尽くして生きろ。」っていうセリフがあって、これは高校生のとき初めて観たんだけど、それを今でもずっと気にしていて、ずっと心に残っている。
っていう言い方をすればいい言い方なんだけど、ずっとそれを恐れている。で、その10年が今日をもって終わったと。笑 だから、一般的に考えたら、あとは自分が持っている経験値とか人脈とかそういうものを使って、しがみついていくだけの人生なんじゃないかって、自分の30代はそういう風にして何とかそれでも劣化しないように曲を作り続けていくのかな、みたいなことを思っていたんですけど、いざ10年経ってみると、たった10年こっきりじゃないなというか、自分はずっと自分の才能のなさを自覚して、でもその至らなさから、たかが知れている自分のビジョンからちょっとずつちょっとずつはみ出ようとしてここまで来た結果、あなたたちに会えている、この景色を見られているっていう、そういう自分の歴史だったから、その創造的10年とやらが終わった今でも、ここからでも、できもしねぇことをどんどんやっていこうと思うし、自分が持ってなくて他人が持ってる武器をどんどん盗んでいこうと、したたかに生きて音楽を作っていこうという風に思っているから、おれのこれからの10年はすごくきっといいものになると思うし、みんなもそういう風にこれから50年、少なくとも10年、小さく小さく抗い続けて、自分の想定しているしょうもない自分のビジョンからちょっとずつはみ出して、いずれ10年後でっかい自分になっていたらいいなって、そういう風に思ってます。『次回予告』」。

『次回予告』。
バックスクリーンにはカラフルな幾何学模様と歌詞。
「何故こんなにも許せない?」〜ではモノトーンに変化、サビでは配信ジャケットのごとく七色に光る。
レーザーも戦隊カラーというこだわり。

色鮮やかなバックスクリーンと照明

キタニは晴れやかな表情で左右の端まで大きく動き、「履き潰した靴の底のように」〜部分を歌う観客を、満足気に眺める。

あのMCの後に聴くと、もちろん『戦隊大失格』OP曲としても優れているが、キタニの生き様が織り込まれた素敵な曲だと改めて思う。
これからも抗い変化し進化してゆくキタニを見続けたいと願うと同時に、保守的で変化を好まない自分も、少しずつはみ出しチャレンジしたいという気持ちになった。

アウトロからギターを準備し『スカー』。
少し高くなった円形ステージで歌うキタニは、イントロからフルスロットルだ。
「何度も何度も」の前に「歌え!」と両手を広げる。

「誰にも渡せない 僕だけの痛みだ」はライブ時に歌詞を変えられることもあるが、今回は10年背負ってきた自分だけの痛みを噛み締めるように、原曲のまま。
秋好のギソロもいつも以上によく響く。

『BLEACH 千年血戦篇』OPのピンクを基調に、紫・青も取り入れ美しい

ラスサビではステージ周りの輪が持ち上がり、頭上から照明のピンクに染まった⚪️が照らす。
全身全霊を捧げた、力強いスカーだった。

「新曲やります。『ずうっといっしょ!』」。(大歓声)

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