誰の為、何の為。綱渡り的バランスの上で。
療養型病院って聞いたことありますか。
日常生活の中で継続して医療行為が必要な方を受け入れる病院です。詳しくは、こちらの記事でも紹介していますのでご覧ください。
75歳以上(後期高齢者)1割で最大20万/月くらい。私が勤めていた頃の給料ではとても療養型の入院費を支払えません。誰だってこの種類の病院の世話になる可能性があるのに、それがこんなに高い。ここから減免がきく場合もありますが、それにしても高い。
急性期病院(救急対応の病院)にいる方が、施設や療養型病院にいるより安いので当然【出来るだけ長く入院させたい家族】と【次が決まり次第早く退院してほしい急性期】という構図が生まれます。
急性期が早く退院してほしい理由は2つあります。1つは病床確保のため。もう1つは患者の長期入院による減収を避けるためです。(国の規則で入院期間が伸びれば伸びるほど減収になります。)
「払えなければ家で見ればいい。」
そう。そうするしかないんです。でも、病院にお願いしたいくらいの病状の人を自宅で見るってどんな生活になるか想像つきますか?
私は、病院に勤めて初めて知りました。いかに綱渡り的バランスの上で地域が成り立っているのか。いかに綺麗事で済まされない環境で同業の皆さんが走り回っているのか。「預かってもらうお金を出せないから、エレベーターのない団地の4階まで抱えて連れて行きます、お風呂はデイサービスです。」デイサービスの為に大の大人を4階から1階まで下ろして上げてって・・・と思いました。でも各種減免制度を試してもどうにもならないことはいくらでもあります。というか・・・どうにもならない現実ばかり見て来ました。
誰の為。何の為。
子どもがたくさんいて、お金も潤沢にあって、みんな協力的。ネット環境が整っていて何でも軽々調べられる。そういう家庭ばかりではありません。天涯孤独で、年金はぎりぎり生活保護対象外。家はエレベーターがない団地の2階以上。私はこういう方を多く対応しました。
国は「住み慣れた地域で」と言います。でも私には、その住み慣れた地域で暮らすことは本当にハードルが高く見えます。いろいろな制度があるけれど、社会福祉を勉強して来た人間ですら調べて対応することがままあります。それを、一般の方にも無給で要求しているのが現状です。
家で見るのも、どこかへお願いするのも、贅沢な選択肢に見えてしまいます。ある一定の水準以上の人しか選べない選択肢。お願いする条件が整わないから結局は家で見るんですが。
こんな状況で住み慣れた街でと言われても。と思います。贅沢な選択肢ってもはや選択肢と呼べるのかと。誰の身にもフェアに降りかかる病気と老い。高級外車を買えるか買えないかっていう話じゃないんです。
「住み慣れた街で」という言葉。
私にはあまりにも乱暴に聞こえます。
澪