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「素直になりなさい」って何だ?

子どものころ親によく言われた
言葉って覚えていますか?

「素直になりなさい」

でした、私の場合。

「素直になる」って
「正直になる」ってことでしょ?
ってことは

休みの日、父によく
洗車の手伝いをするように言われた。

「えーーっ」

「素直になれ」っていうんだから
「やりたくない」って
言えばいいのかな?

そんな風に思いながら
結局は言えないまま
イヤイヤ手伝ったものだ。
言葉にはしなくても顔には
しっかり出ていたのだろう。

そして
「やる気がないならやるな!」
と怒られる始末。

いや、
「素直にやってるんですけど…」。

私の中ではずーっと
「素直になりなさい」
の意味が疑問で、
それについてよく考えたものだ。

幼い頃の私は
存在を忘れられそうになるくらい
おとなしく恥ずかしがり屋だった。

大人たちからしたら
何を考えているのか
わからなかっただろう。

旅行から帰って来て
「どうだった?」と訊かれて
「わかんない」とか

友達の家に遊びに行って
お手洗いに行きたくなっても
「トイレ貸してください」
と言うのに相当の勇気が要った。

小学校1年生だったか2年生だったか
ある日の掃除時間、
みわこちゃんの頭を
持っていたちり取りで叩いた。

みわこちゃんの言葉に腹を立てたのか
それとも気に障ることをされたのか
さっぱり覚えていない。

最高学年の6年生になっても
クラスで一番小さくて
運動会の組体操では一番上。

お菓子食べる?
と聞かれると大抵返事は
「今いい」「あとで」。

一日3食が苦痛で、
兄と私が食べ終えるまで
待ちくたびれて食卓で居眠りをする
母の姿が思い出される。

そんなちっこくて静かな女の子が
自分よりずっと背の高い
クラスメイトを叩いたのだ!

母が担任の先生に呼び出された。

すると先生は
「○○ちゃん(私)にそんな強い意志
(だったかな?正確な言葉は覚えていない)
があることがわかって安心した」
と喜んでくれたという。

私が勉強ができなかったのは
教えられている内容が
嘘ばっかりだったから
なのだろうなぁ。
(と言い訳してみる)

先生は
「□という出来事があった、
覚えておくように!」と言う。

じゃあどうして□が起こったのか!
そもそも〇がまずあって
そのために△が起こり
結果□が起こったんだ

という説明もない。

だから
どうしても納得ができなくて
覚えることもできなかった。

違和感をずっと感じてたんだ。
もしかしたら
素直だったのかもしれない。

なんかおかしい
と思ったところで
正しいとされる答えは
決まっているのだから
テストの解答には
正しいとされている答えを
書けなければ不正解。

成績が良くないことで
親に説教されたことは一度もない。
だから劣等感を感じることもなく
グレずにすんだのかな。

小学校を卒業して
中学のころ、高校のころを
振り返ってみると
先生だろうと誰だろうと
おかしいと思うことは
おかしいと言っていた。
生意気な生徒だっただろう。

アメリカで数年過ごしたのが
よくなかったか(笑)?
自己主張に拍車が
かかってしまったかもしれない。

20代になって
思ったことを何でもかんでも
言ってしまう私は
子どもだと言われたことがある。

何でもかんでも言っている
つもりはないけれど
大事なことは
黙っているわけにはいかないよ
大事なことは言葉にする。

確かに言い方に
問題があったかもしれない。
私はオブラートに包むことをしないから
相手の取り方次第では
「喧嘩売ってる」ように
感じられたのかもしれない…。

あれあれあれ???
子供の頃は喋らない子だったのに
大人になったら喋り過ぎ?!

子どもの頃黙っていたのはきっと
違和感を言葉にできなかったんだ。
大人になった今
大人しくして
いられなくなってしまった。

人は(というか特に日本人かな)
相手の立場を考慮して
「言わない」
ということをよくしていて
黙っていることこそ
「大人」という。

相手に気を遣って
自分の意見を言わない。
相手には相手の
事情があるのだから。

相手を尊重するってどういうこと?

相手を想うからこそ黙っている。
そういうこともあるにはあるけれど

でも相手を尊重するなら
自分の意見は言うべきじゃないかと
私は思う。

私だったらこうするかな、
と想像してみる。
他人ごとじゃなくて
自分ごととして考えてみる。

それが自分を尊重することにも
繋がらないだろうか。

相手と自分の意見が違うなんてことは
当たり前のようにある。
完全に一致なんてありえないもの。

「そうだよね」と
同調した優しい言葉を
かけるだけが優しさなのか?

それはそもそも優しさと言えるのか。

私は例え意見が違っても
「私はこう思うんだ」と言いたい。
だってあなたの思いが聞きたいんだもの。
あなたのことが知りたいんだもの。
そしてそれは私を知ることでもある。

黙っているのは
相手を尊重しているわけでなく

実は自分を守っているのでは?

相手を傷つけたくないんじゃなくて
自分が傷つきたくないんじゃ?

40過ぎの私が身に付けた
「素直さ」は

誤解を恐れずに
自分を表現すること

かもしれない。

ということは
「自分に素直になる」
ということなんだな。

何でもはいはい、
「素直に言うこと聞く」人は
相手にとっての素直であって
自分には「嘘をついている」
ことになる。

頭の良い人たちが
どうしてこんな単純なことが
わからないんだと
不思議に思うことが多々ある…

そうか、世渡り上手なんだ!

世の中の矛盾に
見事に対応できている。

そういうもんだ、って。

自分の気持ちを
ないがしろにしてるんだ。
そしてあたかも人生うまく
行っているように見えるけど、
自分の本当の気持ちなんて
わからなくなっちゃったんだ。
自分を大切にしていない。
他人軸なんだ。

素直になるということは
自分軸で生きる
ということなんだ!

今なら洗車の手伝いだって
感謝しながらできる!
かもしれない。
いや、できないかも。
断言できない自分。

あれ?全然成長してないや。

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