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国軍に向けた手づくり猟銃

次同じ過ちをしたらその矢で俺を殺して良いと一本の矢を渡して謝る文化がチン族にあります。チン族は過ちを正々堂々と認める純粋さと戦いとなれば命を捨てても仲間を守る勇敢さを兼ね備えている方々です。

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https://note.com/minthit21dj/n/n91f0d134c7e2

カレイ市、ミンダット市では仲間を守る一心で猟銃を持って市民防衛隊に加わって国軍と戦いました。相手の国軍兵士は数百人の死者を出すという痛手を食いました。

なぜ今まで国軍との戦闘がほとんどないチン族が国軍との戦いに加わったかの経緯をみていきます。

チン族とは

チン族の住民は200年前から変わっていない生活をしているといわれています。山地農業、狩猟や魚をとったりして自給自足の生活を送っています。チン州には様々な少数民族が暮らしています。年に一度しかシャワーをしない村やシャワを全くしない部族が存在します。

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また猟師として生計を立てている人が多く一軒に一丁の猟銃を所有しています。山岳地帯での行動になれていて8割以上の男性は猟師をしていると言われています。戦いの部族であり仲間を大事にして戦士を敬う文化があります。

チン州はミャンマーの西北に位置し、インドとバングラデシュと接しています。世界銀行の格付けでミャンマーで一番貧しい州と認定されています。2014年の調査では48万人が暮らしています。週の面積の9割が山岳地帯で、資源もなく交通が不便で登山用のウィンチがついていない車では到達できない地域も少なくないのです。出稼ぎする人が最も多い州でもあります。

国軍との戦いに加わった理由

2月1日のクーデター以降の国軍の一方的な暴力を受け入れられなかったのが理由です。全国の若者がパチンコで対抗しているのなら銃を持っている我々は戦わずにはいられないと地元の猟師はいいます。

もしクーデターが2010年以前に起きていたらチン族は国軍との戦闘に加わっていないかもしれません。1962年以降のクーデター後に戦いに優れたチン族の多い部隊は解体されました。国軍からみてチン州は敵でも味方でもなく資源もない地域なのでずっと放置されてきました。

民主政府が誕生した2010年以降に発展し2015年以降には車とバイクが増えました。24時間電気が点くようになり、インターネットが通って、市場、病院、大学などが整備されました。Help And Hopeプロジェクトで活動するササ医師の主導により2018年には初めての空港ができました。ヤンゴンまで90分で辿り着ける道が開発されたのでした。

以前は車で到達できない地位域がほとんどでした。新聞が一週間遅れで届きます。市民の殆どは中学校止まりでヤンゴンやマンダレーの大学へ進学できる人は数えられるぐらいしかいません。

2015年以降にスー・チー政権で初めてチン州向けの予算が用意され生活と交通インフラが整備されて始めました。ようやく最貧の州が発展し始めようとしているときに不当なクーデターがおきたのです。これから豊かな生活になる一歩手前のできことなだけに、やるせない気持ちでいっぱいだと現地の住民はいいます。

戦いの始まり

3月に入ると国軍の弾圧が強まり若者が命を落としはじめました。そのタイミングで猟師たちは若者の防衛隊に加わりました。誰かに誘われたわけでもなく、誰かから圧力がかかったのでもありません。ただただ仲間を守りたい一心が行動につながったのです。いつもの狩猟スタイルで猟銃、弾薬、食事と水を持って参戦しました。

時代遅れの猟銃は弾の補填に時間がかかるので一発一発を大事にして打ったとCDF(チン州防衛隊)に参加した猟師は言います。またミンダット市は急勾配地で地形的も有利です。ミンダット市での戦いでは周辺村の住民も含めて1000人以上の市民が防衛隊に加わりました。

地形や猟師たちの攻撃を予想していない国軍は大きく大打撃を喰らいました。国軍は100ミリ以上の重砲やヘリなどで応戦しました。それでも歯が立たず最終的には市民を人間盾にするレベルまで残虐な行為をしました。

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人数では圧倒的な差で国軍を制することができても、第1次世界大戦時代の武器では国軍には勝てません。弾薬が底をつくと有利な地形を使って周りにある石などを投げつけて応戦したと目撃者は言います。ミンダット市やチン州の戦いでは国軍兵士が大雑把に計算しても300人以上戦死しています。

市民への影響

行軍は市内の病院、学校、協会などもなりふり構わず攻撃しました。市民のほとんどは森に逃げ込んで町はゴーストタウン化しました。家畜は町中でうろついて餌を探し回っています。雨季に入り森で暮らす市民の生活が過酷を極まりました。薬を入手できずに7ヶ月の子供が風邪で命を落とこともありました。

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6月の終わり頃にCDFと国軍が停戦条約結んで市民が帰宅できるような措置をとりました。しかし国軍は条約を守っていません。CDFとの条約を無視して検問の設置や支援物資の略奪を続けています。いつ戦いが始まってもおかしくない状況にあります。

戦争避難民への支援募金

戦争避難民と国軍の弾圧で命を落とした方の遺族を助ける目的で支援金を募集しています。

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7月17日時点で国軍の武力弾圧によって最低でも914名の罪のない市民が命を落としました。また全国で戦争避難民は数十万人を超えています。難民は寝る場所と食料が確保できていない為飢餓に直面しています。支援方法の詳細は↓

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