N.A.へ(2)

N.A. (1969/4/24-2023/7/15)へFacebookメッセージで送った文章(N.A.が読むことはない)の再録。オリジナルの固有名詞はイニシャル等に変える。

君の声が録音された留守電のテープが思いのほかたくさんありました。いろいろなことを思い出します。 原宿の「L」でマールを飲みながら君を待っていたことがあるけれど、あのとき何らかの行き違いで私は原宿で待ち合わせをしたと思い、君は(おそらくK氏らと)音羽の「H」にいて、これから原宿に行くのは難しいというようなことが留守電の内容からわかった。確かに記憶では、バーテンダーにおだてられ、マールを何杯も、しかもロマネ・コンティのマール等も飲み、結構な金額をカードで払って一人家に帰った。
(2023/08/02 19:04)

今になって勝手な物言いなのだけれど、なぜ君と別れたのだろうと思うことがある。 一番のきれいごとを言えば、あのときに実際に君に言ったように、K.S.を続けるのであれば、仕事だけの関係にしたほうがよいと思ったというのは大きな理由のひとつだ。 『MHKM』のときにぶつかり合うことがあったのだと思う。特に「M」がテーマのひとつだったから、君は私に譲れない点が多く、私は不満ながらも君の考えを受け入れた記憶がある。 それを考えて、おそらく『MHKM』発売後、年が明けてから(春になっていた気もするが)、確か横浜に車で行ったときに、「仕事だけの関係にしよう」と私が言った。車の中で、君はずっとうつむいて苦しい表情をしていた。それを助手席の窓越しに平行して走っていた車の運転手と同乗者が、何かいい気味というようなからかうような表情で見、君がそれに怒ったことを覚えている。 私はたぶん何か冷たい態度だっただろう。なぜあのとき君の辛そうな顔を見て考えを変えなかったのか、と今になって思う。 そのほかの思い当たる理由については、また書く。
(2023/08/03 13:29)

別れを言い出した理由はまた続けるとして。 君とのやりとりは2021年に君が私がくれた年賀状が最後だった。私が出した年賀状への返事といってよいものだっただろう。 君が私のことを考えるのは、その年賀状を書くとき、出すときが最後でよかった。 私のことなど考えず、もう私と会わなくていいから、ただ元気でいてほしかった、ただ生きていてほしかった。おばあちゃんになるまで(私が先に死ぬだろう)生きていてほしかった。
(2023/08/06 01:25)





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